米田明美先生の講座も、ざっと手習まで来た。
時間上、かげろうの巻は飛ばされたが、
手習では浮舟の和歌が沢山出てくるそうだ。
しかも、源氏物語にある和歌の中で、
紫の上23首より多い。26首が、浮舟の和歌であるそうだ。
最初から登場する紫の上と違って、
浮舟の登場は、宇治十帖の後半わずか。
非常に特異であるし、
それだけ浮舟は何か印象的な意味があるのかもしれない。
手習とは、すさび、自分の気持ちを和歌にする事。
人に見せるものではない下書き。
ここで明石の上が、六条院でお正月にすさびの和歌を置いていた事を思い出す。
そして光源氏は泊まったような?
その和歌は、ちい姫に対する気持ちのすさびだったか
それは忘れたけれど(笑)光源氏も子供を紫の上に預けたという負い目があった?
さて、手習の巻は突然、横川の僧都なるものが出て来て、
その家族も出てくる。当時、実際にモデルとされる人物がいたようだ。
その母尼と妹尼は初瀬観音(長谷寺)のお参りの帰りに、
母の具合が悪くなり、修行している兄に知らせた結果、修行中の兄僧都が山から降りてくることになった。
そして一行は宇治院というところに泊まる事になる。
そして、そこで浮舟であろう人を木のもとで見つける。
最初は狐のたぐいと思ったが
次第に女人という事がわかってくる。
しかも妹尼は自分の娘を亡くしており、結願のおまいりの初瀬で、その晩に夢(夢告)を見た。
これは娘の生まれ変わりかと、
一生懸命浮舟を文字通り、親鳥が抱きかかえて子鳥をはぐくむように介抱する。
僧都が再びいっこうに良くならない浮舟のために、
再び山から降りて祈祷すると、
やっともののけが出てくる。
昔は僧侶であったが世に心を残し、美しい女達のいる宇治の八宮邸にすみついた。
一人は殺した(宇治大君だと思われる)と白状する。
その後、もののけは退散し、妹尼の手厚い介抱で、浮舟もやっと回復していった。
このあたり、とても面白く、狐が人をばかす話などが、当時にもあった事などがわかる。
その表現もリアルでハラハラ。紫式部は上手に描いている。
導入部分と浮舟の見つかり方、妹尼と初瀬観音信仰なども含めて、見事な物語の書き方。
小野や横川など、
京の都から離れた場所をどうして紫式部は知っていたのか不思議であるが、
その場面が目に浮かぶような有様。
小野は故柏木の夫人「落葉宮」の母が住んでいたあたりかということだが、
夕霧も盛んに落葉宮を慰めに通っていた事を思い出す。
後に夕霧の妻になった落葉宮であるが、
小野は、比叡山西麓(一乗寺から八瀬の方)一帯が
清水好子先生によると、小野(小野妹子など)一族の持ち物だった所からそう言われるとか。
次の展開も楽しみな浮舟の今後。
今話題の半沢直樹ドラマの来週が楽しみなのと一緒?