源氏物語と共に

源氏物語関連

若菜のイメージ色

2008-02-26 08:44:39 | 

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私の習っている源氏講座では
毎回、一定の講座(前期・後期)が済むたびに
使ったプリントなどを重ね、表紙をつけて和綴じ本を作る事になっている。


私は不器用なので上手には作れないが、大変記念になって嬉しい。


表紙は各自好みの和紙。
同じものに統一する人もいれば、全く違う私のような人もいる。


皆さんの力作をみると、ハッキリした色合いの方が綺麗だったりする。
私はどちらかというと原色よりパステル系でぼけた色が好きなので全く綺麗でない(笑)
毎回自分なりのイメージにあわせているわりにはもう一つだった。
今まで三冊作ったが、なかなかイメージに合う和紙がなかったりするが、
藤模様は藤壷が亡くなるまで、撫子模様は玉鬘十帖と、
私なりのイメージでそれなりに~(^^ゞ


今回、若菜の表紙を作るにあたって和紙を買いに行ったが
もう一つイメージ通りのものはなかった。


若菜というと、やはり赤と黒のイメージ。
それに桜の模様が散っていると更に良い。


柏木が蹴鞠で女三宮を見た時も桜が散っていたし、
国宝源氏物語絵巻で柏木を見舞う夕霧のシーンにも模様に桜が散っている。
または、手毬の模様や猫、桜が流れるような模様で過去も感じるものがあればいいのに。


今回、赤系の和紙を選ぼうと思ったが、
他の表紙の色がぼけているのに、これだけ原色というのもと思い、
同じ紫でもちょっと濃い目地に桜や藤などのにぎにぎしい模様を選んだ。
女三宮もいってみれば、紫のゆかりですから。
あの藤壷女御の妹の娘という事にひかれて源氏は結婚したのだから。


平安時代の貴族も文のやりとりには色々と思案したようだが、
今も昔もセンスは大事とセンス×の私はそう思う。


せいぜい美術鑑賞でもしてセンスをみがきませぅ(^_-)-☆
くれぐれも、末摘花のように時代遅れのセンスにならないように気をつけて~(笑)


(追記)
先日作った桜と藤、にぎやかな若菜の表紙。
野分から藤裏葉分と2冊作るという事を忘れていたため、
他の本にしようと、たまたま持っていたありあわせの扇面柄でもう1冊作る。
裏はもったいないが若菜と同じ和紙使用。
ほとんど人まかせであったが、出来上がると嬉しい\(~o~)/
ハッキリした色の方が良いかもしれませんね。



冬の暖房

2008-02-25 11:51:53 | その他

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冬の月を愛でる光源氏は何故か雪の日に琴を弾く(拙文<冬の月>参照)


女楽の後、紫の上の発病で延期していた朱雀院の五十の賀の試楽が
12月十余日に決行される。やはり、雪がちらついている時であった。


今日はかかるこころみの日なれど、御方々もの見たまはむに
見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤き白橡(しろつるばみ)に、
葡萄染の下がさねを着るべし、
今日は、青色に蘇芳かさね、楽人三十人、今日は白がさね着たる、
辰巳のかたの釣殿に続きたる廊を楽所(がくそ)にて、
山の南のそばより御前に出づるほど、仙遊霞(せんゆうか)といふもの遊びて、
雪のただいささか散るに、春のとなり近く、梅のけしき見るかひありて
ほほゑみたり。                  (若菜下)


試楽とはいえ、寒い冬の京都での合奏。
女三宮は懐妊中でかなりお腹も大きいだろうから、体を冷やすのはどうかと思う。


吹き抜けで風が通りやすい平安時代の邸宅での音楽会であるが、
現代のようにストーブもカイロもない時代、暖房はどうなっているのか。


枕草子では有名な「冬はつとめて」
この段に出てくる炭の様子から、火鉢のようなものが使われていたように推測はできる。


こんな局所的な暖房だけで、楽人をはじめ、大勢の貴族・女房達の暖はどうしたのだろうか?


「源氏物語図典」では火桶・炭櫃(すびつ)の説明があった。
「火桶」は木をくりぬいて金属制の「おとし」を入れ、その中に灰を入れて
炭火で暖をとる、円筒形の暖房器具。主に桐の木で作られ、側面には絵などの装飾。
方形のものを火櫃と区別したが早くから混同。
「炭櫃」は方形で脚のある暖房器具。金属制のおとしを入れ、灰を入れ炭を燃やす。
火炉は中に灰を入れ、炭を燃やしたり香をたいたり、調理をしたりする器具。
火桶や炭櫃なども含む。
直径30センチ、深さ9センチほどの円形のものが普通。銅や鉄の金属製も他、
木製もあったとの事。


服装については、十二単だから着物を重ねる事はできる。
しかも、結構袴の下に色々重ねてはいていたようだ。
<井筒雅風『日本女性服飾史』光琳社>によると、
指のない靴下の長いようなものもあったそうで、服装は意外にも暖かいようだ。
脱ぐのは大変そうだ。


しかし、お金のない末摘花の女房達は着物も重ねられず、寒そうだった事を思い出す。
黒の皮衣の話もあった。


冬に琴を弾くという事は、
暖房があるお金持ちじゃないと出来ないという事かもしれない?



薔薇(8)その後のコウシンバラ(3)

2008-02-21 08:52:27 | 
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薔薇(7)にも書きましたが、その後の庚申バラの観察です。

10月20日以来、12月中頃にも蕾は出来ましたが、
咲く前に散ったのか、気付くと蕾は無くなっていました。
つまり60(庚申)日ぐらいでちゃんと蕾も出来ていた事になります。

そしてこの2月は寒いながら、蕾からやっと少し咲きだしました。
写真がそうです。

源氏物語の「さうび」は庚申バラではないかもしれませんが、
このバラは枝先を切らなければ、文字通り60日ぐらいの周期で咲くようです。
そして原始のバラにみられる実もできていました。
多分12月の花がそのまま実になったと思います。
この実がいわゆる漢方に使われた事から、日本に入ってきたという事ですね。
梅も同様です。「梅」の記事を参考にしてください。

しかし、実際には平安の昔と気候も違っているので同じものかはわかりません。
また、普通のバラはこの冬の寒い時期、次回の花を咲かせるために、
枝を切る剪定と寒肥の必要な時期になります。
さうびは、階のもとにあったという事でおそらく外に地植えしていたと思います。
肥料をやっていたかは定かではありませんが、
今のところそんなに手のかかるバラでもなさそうです。

時期が少し遅くなりましたが、そろそろ新しい芽を出すために枝先を切ろうと思います。

同じくチャイナローズのオールドブラッシュというピンク色のバラも売っていましたが、
中輪の花です。やはり四季咲きです。

この花が源氏の「そうび」かどうか不明ですが、今後も「さうび」に注目したいと思います。

王朝の恋 伊勢物語絵巻

2008-02-19 17:10:29 | その他

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出光美術館で開かれた「王朝の恋」伊勢物語絵巻の展示を最終日に見ました。


伊勢物語はあまり詳しくないのですが、
江戸時代の伝俵屋宗達の絵などが展示されていました。


源氏物語と同じ構図で描かれた鎌倉時代の絵もあり、とても面白かったです♪
平安時代の古今集切は展示の期間があわず、残念ながら見られませんでした。
しかし、たまたまなんでしょうか?
古くから人気のこの作品の絵巻は不思議と江戸時代のものが多かったです。


美術館所有の岩佐又兵衛筆の在原業平図は掛け軸でしたが、
いかにも美男という業平の見返り図で、雰囲気を感じさせます。



屏風も源氏物語の屏風同様、色々な場面が一緒に描かれていてました。
また富士山などは、やはり綺麗に感じます。
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図録に載っていた上野英二氏の説の中に源氏物語との比較もあり、面白かったです。


源氏物語には鷹狩りが描かれていないという事、
源氏物語があくまでも女性の想像の世界であるのに対して、
伊勢物語の在業業平は実物の人物であり、男の視点からの物語であるという事も注目でした。


虫も色々描かれていたり、源氏物語絵巻と同様に、
お約束の場面というのも決まっているようです。
柳の図柄まで決まっているのには驚きでした。↓
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1番古い鎌倉時代の絵は源氏物語と同じ構図ながら、
人物の顔が、かなりふくよかな描き方のように思います。
几帳の模様は復元された源氏物語絵巻と似ています。
若紫の北山を感じさせる絵もありました。



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見立といって、伊勢物語の場面を江戸時代の服装のまま表現していたのも興味を引きました。


今は無い平安時代の古い伊勢物語絵巻あるいは絵図の表現は、
国宝源氏物語絵巻にも投影している事でしょう。


伊勢物語の在原業平もヒントにして源氏物語は作られているでしょうから、
今後も注目したいと思います。



思い出 枕草子の音楽

2008-02-07 10:13:37 | その他
2月といえば、枕草子で真っ先に思い出す恩師F本一恵先生の亡くなられた月である。


明治生まれの先生は女性として、とても聡明であり、そのユーモアある語り口で
沢山の生徒を魅了した。


中宮定子がお好きで、ご自宅もその墓所に近い所にあった。


戦争未亡人として、その結婚生活は5年と短いながらも2人のお子さんがおられ、
ご主人とは、女性としてはじめて入学を許された大学で知り合われたそうだ。


その時に「紅一点ならぬ、へちゃ一点」といわれたと、
懐かしそうに語っておられた事が印象深い。


そのご主人が戦死と知らされた時は、
目の前の風景がすべて黒くなったとも言われていた。


時代に翻弄されながらも、明るく気丈に明治・大正・昭和・平成の長い時を過ごされ、
最後はお嬢様達に囲まれて卆寿近くまで生きられ、大往生された。


私は「枕草子」にあまり興味を持てなかった劣等性であったが、
それなりに先生との思い出もあり、とても感慨深い。


後に先生をご存知だったという先生方にも、源氏関係でお会いできた事も大変嬉しかった。


もう亡くなられて5年になるでしょうか。ご冥福をお祈りしたいと思います。


という事で、枕草子の音楽について。
<枕草子の音楽描写>



源氏物語の膨大な音楽描写を見る限りその広大な知識に驚異を感じざるを得ない。
そしてこれを同時代に生きた清少納言の枕草子の音楽的叙述と比較すると、
量においても質においても明らかに両者の差を感じるのである。
枕草子における音楽叙述をあげてみると、次のようになる。


(日本古典大系「枕草子」使用)
                     琴      笛    遊び   その他


23段 清涼殿の丑寅のすみの・・ Oきん  
77  まいて臨時の祭の調楽などは        O笛    O
78  職の御曹司におはします頃                O
81  御仏名のまたの日      O筝・琵琶  O笛
83  かへる年の二月廿日よ日  Oきん
93  無名といふ琵琶の御琴を  O琵琶・御琴 O御笛
94  上の御局の御簾の前にて  O琵琶・こと O笛    O
96  かたはらいたきもの     Oこと
100 職におはします頃、八月十日よ日O琵琶
115 つねよりことにきこゆるもの                        O物の音
123  暑げなるもの         Oきんの袋
142  なほめでたきもの     O御琴(こと) O笛・神楽の笛    O女舞
158  うらやましげなるもの    Oこと    O笛
193  南ならず東の         O琵琶
214  あそびは夜                          O
216  舞は                                      O女舞
217  ひくものは          O琵琶・筝
218  笛は              O琴(こと)  O笛・横笛
                           篳篥・笙
224  いみじう暑き頃       O琵琶     O笛
245  一条の院をば今内裏とぞいふ       O笛
278  関白殿二月廿日に                             O舞・楽
280  歌は    
                                               O歌
291  日のうらうらとある昼つかた        O御笛
 
全体的に音楽論とよべるほどの詳しい叙述はなく、
ほとんどが通りいっぺんのものであり、音楽に重きを置くというより、
その他のことを述べるために必要であったと思われる叙述が多い。
93段の無名という琵琶の話は無名という名を自分が知っていたという一種の自慢話であるし、
245段は単に音楽会が催されたという風景描写にすぐない。
そして琴(こと)よりもむしろ笛の方に清少納言は興味をもっていたようだ


笛は横笛いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やうやう近くなりゆくもいとをかし。
近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞ゆるもいとをかし。
車にても徒歩よりも馬にても、すべてふところにさし入れて持たるも、
なにとも見えず、さばかりをかしき物はなし。
まして聞き知りたる調子などはいみじうめでたし。
暁などに忘れてをかしげなる、枕のもとにありける見つけたるもなほをかし。
人のとりにおこせたるをおし包みてやるも、立文のやうに見えたり (218段 笛は)


枕草子の音楽叙述の中で、もっとも音楽論らしい叙述であり、空間と広がりを感じさせる文である。そしてこれが琴(こと)となると、


弾くものは琵琶。調べは風香調、黄鐘調、蘇合の急。鶯の囀りといふ調べ。
筝の琴(こと)いとめでたし。調べはさうふれん。  (217段 ひくものは)


と、書かれているのみである。


清少納言と紫式部では、音楽に関する感覚が違うように思う。
特に琴(こと)に対しては、かなりの違いがあるようだ。