源氏物語と共に

源氏物語関連

白と黒

2010-07-31 15:21:31 | 
イメージ 1

厳しい暑さが続きます。
皆様どうぞお身体をご自愛ください。

さて、源氏物語の色に興味を持ってから
吉岡幸雄氏の他に伊原昭先生を知りました。

ご高齢の女性の先生ですが、
様々な時代の色について研究しておられます。

先日、古本市で先生のご本を見つけましたので買いました

昭和57年 中公新書「平安朝の文学と色彩」

様々な色について載っていました。

上代には中国から来たという五行(あか、あお、き、しろ、くろ)の
色と、身近にある自然界の植物や土で染めた色があった。

つゆくさの花から染めたもの、茜や紅花、紫の根で染めたもの。
またドングリの実(つるばみ)で染めた色など。

最初は単色で染めていたが、
平安時代になると技術の発達もあり、
貴族の邸宅に材料を運び、そこで染める場所があった。

うつぼ物語にもその様子が見られる。

最初は呪術的だった色が次第に身近な四季の植物の色を
真似るようになり、
かさね色や薄い色から濃い色のバリエーションの匂いなど
様々なものが出来た。
そしてたて糸・横糸の色を替えることによって
また違う色あいが生まれていったという。

平安時代は身分によって着る衣装の色が違っていた。
「延喜式(醍醐天皇の勅命によってできた儀式の記録)」には
内蔵寮(くらつかさ)の所に、詳しく載っていると。

自然界への興味は
桜を惜しむ気持ちから、衣を桜色に染めていつまでも惜しもうという歌さえ、あった。
古今集 
さくら色に衣はふかくそめてきん 花のちりなん後のかたみに 

清少納言の枕草子も紫式部の日記にも
衣装に対する興味があります。

日記には、皇子誕生の時の接待役の女房の衣装について
白一色でも凝った刺繍をほどこした女房の衣装は素晴らしく、
普通のものは見劣りがすると、他の女房とつつきあって笑っている様子が描かれています。

百花繚乱の源氏物語おいて、
光源氏の衣装記述は22例あり、その3分の一が
何と白と喪服色であるという事には驚きました。
もっとも、比較的くつろいだ普段着描写が多いようです。

人生において、喪服を着ることが多かった光源氏。

白は誰にも人工的に染められない色。神の領域でもあります。
冬の雪・月の中での場面。
雨の夜の品定めも季節的に白。

何か意図的だったのかもしれません。

私など、光源氏の印象は
皆が黒一色の中、
桜かさねのあざれたる大君姿が大変印象的だったのですが、
源氏物語の違った一面を見たような気がしました。

衣装については女君への正月の衣配りが有名ですが、
これを書いていたら、すべて消えてしまいましたので、
また何かの折に。

源氏物語は奥深いですね~
イメージ 2



2010-07-22 16:25:03 | その他
イメージ 1

先日、京都へ行って山鉾巡行を見てきました。

梅雨明けの日と重なり、20万人の人出だったとか。
大変暑い日となりました。

源氏物語には葵祭はあっても、
祇園祭の事があまり出ていないように思います。

若い女子の着崩れた浴衣姿より、
意外に外国の方の方が似合っていたような・・(笑)
日本人は茶髪も多くなったので、あまり変わらない?
それも若い男子が似合っていました~侍のイメージなのでしょうか?
イメージ 2


暑さの中、鴨川はそんな外国の方々が歩いていました。
写真には写っていませんが。
数日前は、豪雨だったので、水量はいつもより多い日でした。
お天気の中、無事に巡行が終わって良かったです。
川床はあまりの暑さに、夕方のみの営業だそうです。

暑さに氷が恋しい時期となりました。

千年も昔から京都にもあった氷。
枕草子だったでしょうか、氷室の氷を
あまづらをかけて食べる様子が載っていましたね。

源氏物語にも、夏の風景描写はあります。

宇治十帖では
女一ノ宮の女房達が氷を割って騒いでいる場面があります。
そしてそれを薫が覗き見しています。

女房達の着物も薄物で透けています。
だらしない着方もあり、
またたしなみのある着方は誰かと思うと、
普段薫が目にかけている女房でした。

後に薫は、妻となった女二の宮に、
この場面と同じ薄物の着物を着せてみますが、
姉妹とはいえ、女二の宮は母が低い身分。
女一宮に似てないことにガッカリするのでした。

女一ノ宮に憧れている薫は策士になります。
女二の宮に、臣下に結婚したからといって疎遠になってはいけないと、手紙を出させ、
女一ノ宮の手紙を手に入れます。そしてその筆跡を見て喜んでいます。

本当の父である柏木が、
帝からあの唐猫を手に入れる策略に何だか
似ているように思いました。

イメージ 3







橘(たちばな)

2010-07-12 14:33:25 | 
イメージ 2


橘の香をなつかしみほととぎす
     花ちる里をたづねてぞ訪ふ   (花散里)
 
花橘と古歌でも読まれる橘とはどんな花なのだろう。
柑橘系の木だと思うのだが、ミカンに近い木なのだろうか。
 
おりしも、A新聞 [高橋睦郎 花をひろう ]に
橘の記事が載っていたので、調べてみた。


橘は万葉の昔から愛でられた。
左近の桜、右近の橘 雛人形の飾りでも有名である。
花は6月ごろに咲き、実は黄色で秋~冬になる。
古歌では花たちばなとも読まれる。
 
ホトトギスと一緒に歌われるのは、
鳥が柑橘系を好むからであろうか?
オレンジの実を半分に切って木に下げると、鳥がよくつつく。
 
昔の人を思い出す事で、有名な和歌
 
五月待つ花橘の香をかげば、昔の人の袖の香ぞする (伊勢物語)
 
まさしく香は昔の人への追憶。
 
しかし、古事記と日本書紀には橘に関する記事がある。
 
多遅摩毛理(たじまもり=田道間守)は、
垂任天皇の命をうけて常世へ行った。
ときじくのかく木の実(時を定めずに輝く果実)を探しに。
しかし、実を手に入れて帰ってくるも、すでに天皇は亡くなっていた。
悲しみのあまり死んでしまうたじまもり。この実が今の橘であるという記事。
 
それゆえ、橘は異次元の神仙境の実を表す。
古代人は冬に黄色に輝く実に生命力を見、不死を感じた。
そして葉は常緑でもある。
 
橘は亡くなった人を追想し、失われた時を夢みる。
まさしく花散里も源氏にとって亡き桐壺院を思い出すよすが。
 
同じく「古典植物誌 知っ得」には、枕草子の事例も載っていた。
 
花の中より黄金の玉かと見えて、いみじう鮮やかに見えたるなど
朝露に濡れたるあさぼらけの桜に劣らず  (枕草子)
 
橘はミカン(柑子)よりも実が小さいイメージがする。
今でいうと、ジャスミン系の白い花のイメージ?
源氏物語には柑子も見えるから別物と思う。
 
レモンの木の花もそんな感じだった。
イメージ 3



 
ちなみに和服の模様の橘はお目出度い柄。
後に武将が桐のように家紋にしていたりする。
やはり永遠の生命を感じさせるからだろうか。
 
画像は橘のwikiより拝借。
イメージ 4


イメージ 1

 

京都 源氏庵

2010-07-06 16:55:04 | 日記
友人が京都へ行って
源氏庵でご飯を食べたと教えてくれました。

私も機会があれば
是非行ってみたいと思います
http://r.gnavi.co.jp/k602300/

今月17日は京都の祇園祭です。
蒸し暑い毎日です。

そして申し込みができませんでしたが、
町屋で朧谷先生の古典講座が開かれたようです。
街かど古典カフェ
http://www.kotennohi.jp/event.html#cafe
イメージ 1