先日、京都へ行った折に
東三条院の屋敷跡の碑を見ました。広大な屋敷です。
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後に、譲り受けて
道長邸になったようですが、
京都はこういう歴史の碑があり
面白いですね。
こちらは、足利尊氏邸 等持寺跡
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京都は、現実にあるから驚きます。
源氏物語は、基本フィクションとして描かれたと思っていますが(史実をモデルにして)、
その背景の実在登場人物などの名前を実際に見つけると、
ちょっと感激してしまいます
しかし、お屋敷での暮らしは
籠の中の鳥だったのかな?と、
江戸時代の大奥を想像してしまいます(笑)
その大奥では、源氏物語が好まれたのは調度品などから見て、ご存知の通り。
私の大好きだった 大奥の女達( 吉屋信子作)
おまんの方もそうでした。
1000年以上も語り続けらる事にも
驚きです。
さて、今まで紫式部の家系などには、興味がなかったのですが、
読書の秋 湖月抄の最初部分に
紫式部の母が摂津の守の為信の女(娘)という箇所を見つけ、
ハッとしました。
紫式部は須磨や明石をどうして
あの時代に知っていたのかと
不思議に思っていたのですが、
摂津の国の西隣は、播磨の国ですし、
2~3歳の時に母は弟を生んで亡くなりましたが、摂津あたりの話や歌に興味を持っていたかもしれません。
後に実際に行ったかどうかわかりませんが、
妙に現実的な描き方と感じていました。
想像だけで描いたなら、描写が素晴らしいと思っています。
淀川を下ると、
住吉大社を詣でられます。
現在の住吉大社から向かいに六甲の山並みを見た時に、
六甲の山並みの近さをとても感じました。
山には緑の木がなく、裸山だった?
伊勢物語に見える
布引の滝が有名だったのですが、
当時は船で逆に行く事も出来たのでしょうか?
明石の上は船で住吉大社に来ていましたが。。
源氏物語は、
フィクションながら、
色々な現実背景を知りたくなる物語だと、いつも不思議に思っています(笑)
東三条院の屋敷跡の碑を見ました。広大な屋敷です。
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後に、譲り受けて
道長邸になったようですが、
京都はこういう歴史の碑があり
面白いですね。
こちらは、足利尊氏邸 等持寺跡
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京都は、現実にあるから驚きます。
源氏物語は、基本フィクションとして描かれたと思っていますが(史実をモデルにして)、
その背景の実在登場人物などの名前を実際に見つけると、
ちょっと感激してしまいます
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しかし、お屋敷での暮らしは
籠の中の鳥だったのかな?と、
江戸時代の大奥を想像してしまいます(笑)
その大奥では、源氏物語が好まれたのは調度品などから見て、ご存知の通り。
私の大好きだった 大奥の女達( 吉屋信子作)
おまんの方もそうでした。
1000年以上も語り続けらる事にも
驚きです。
さて、今まで紫式部の家系などには、興味がなかったのですが、
読書の秋 湖月抄の最初部分に
紫式部の母が摂津の守の為信の女(娘)という箇所を見つけ、
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紫式部は須磨や明石をどうして
あの時代に知っていたのかと
不思議に思っていたのですが、
摂津の国の西隣は、播磨の国ですし、
2~3歳の時に母は弟を生んで亡くなりましたが、摂津あたりの話や歌に興味を持っていたかもしれません。
後に実際に行ったかどうかわかりませんが、
妙に現実的な描き方と感じていました。
想像だけで描いたなら、描写が素晴らしいと思っています。
淀川を下ると、
住吉大社を詣でられます。
現在の住吉大社から向かいに六甲の山並みを見た時に、
六甲の山並みの近さをとても感じました。
山には緑の木がなく、裸山だった?
伊勢物語に見える
布引の滝が有名だったのですが、
当時は船で逆に行く事も出来たのでしょうか?
明石の上は船で住吉大社に来ていましたが。。
源氏物語は、
フィクションながら、
色々な現実背景を知りたくなる物語だと、いつも不思議に思っています(笑)