1月に鹿児島県出水市へ、ツルを見に旅行に出かけました。
2009年と2010年にも訪ねているので、これが3度目になります。
初めて行った2009年、背景となる山並みと家並みの前に広い田んぼが広がっており、
そこにたくさんのツルが群れている光景に魅かれました。
それにツル以外にもいろいろな鳥が見られたのも楽しかったです。
鹿児島県出水市のツル飛来地全景(2009年1月)
同じく出水市のツル飛来地全景(2010年1月)
鳥インフルエンザの影響で、昨年から田んぼのそばまで近寄れなくなったそうで、
それは今年も続いていました。
鳥インフルエンザ防疫のため、ツル飛来地への出入りの際は、消毒液でのタイヤや靴の消毒が
呼びかけられていました。
また、ツルを見物するさいにも、飛来地のすぐそばまで近づけないよう、進入禁止となっていました。
毎回いろいろな種類の鳥や生きものを見ようと、あちこちを探します。
今回は出水に飛来するツルたちの中で一番数の多い、マナヅルとナベヅルのほか、
ニュウナイスズメ、ミヤマガラス、イソシギなどを撮影することができました。
マナヅルの家族(2012年1月)
ナベヅルの家族(2010年1月)
ニュウナイスズメ(2012年1月)
ミヤマガラス(2012年1月)
イソシギ(2012年1月)
オオバン(2012年1月)
アオサギ(2012年1月)
ダイサギ(2012年1月)
コサギ(2012年1月)
ほかの種類のツルやコクマルガラスも見られることもあるそうで、それもとても楽しみにしていた
のですが、今回は(今回も)残念ながら見られませんでした。
これはまた次回の課題ですね。
鹿児島到着の1日目と翌日2日目は出水にいましたが、夕方早い時間には鹿児島市街地に移動です。
移動する前に、出水の武家屋敷も見学に立ち寄ることにしました。
出水には武家屋敷の家並みが保存されており、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった屋敷
もあります。
その竹添邸という屋敷を見学しました。
屋敷の中には「武士の心得」といった文章が掲げられていました。
その内容は現在にも通用するもので、小中学生の教育に活用されているそうです。
その中には
「礼儀正しくして上にへつらわず下をあなどらどらず 人の患難を見捨てず…」
といったことが書かれており、確かに人間そのようにありたいものだと思わせられます。
台所は土間でかまどがあり、焚き木を燃やしてご飯を炊くようになっています。
井戸や風呂場、トイレ(便所)は家の離れにあり、現在の生活様式と比べると、雨の日や
暗い夜、病気の時には大変だったのではないかと思いました。
NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった、出水武家屋敷群の竹添邸
出水から鹿児島市街地へ移動するには、九州新幹線もあるのですが、
肥薩オレンジ鉄道に乗ると、車窓からの景色が良いという話を聞いていたので、
この肥薩オレンジ鉄道を利用することにしました。
同じ車両に乗っていた女性客の方に、「○○駅近くで人魚岩っていうのが見えますよ。」
と聞いたので、車窓からカメラを構えて狙っていました。
畑があったり海が見えたりと、オレンジ鉄道の車窓からは、よい景観を楽しむことができました。
人魚岩の写真も車窓からの撮影に成功しました。
ただ人魚岩は、さきほどの女性客の方が「人魚岩といっても、私にはサルの親子が向かい合っている
ようにしか見えないんですけどね。(笑)」と教えてくれていなければ、多分気がつかなかったでしょう。
肥薩オレンジ鉄道の車窓からは畑、山林、海などの景観が素晴らしく、特に海の景観には迫力を
感じました。
銀河鉄道999デザインの車両も止まっていました。
銀河鉄道999は私の少年のころ大好きだった漫画です。
原作者の松本零士さんが熊本出身であることから、このような車両がデザインされたのでしょう。
車窓からの撮影に成功した「人魚岩」。
猿の親子が向かい合っているような形という話を頼りに確認、撮影しました。
今回は1回目、2回目の出水への旅でお世話になったボランティアガイドの方と1日目の夕食を共に楽しみました。
その時のボランティアガイドさんの話で、横浜と鹿児島との関係を知りました。
それは生麦事件です。
主に自然や野生生物たちとふれあうのが目的で旅をする私ですが、こうした話を聞いて、歴史にも少し興味を
持ちました。
そこで3日目は城山公園のほか、明治維新について楽しくわかりやすく展示している維新館という
施設なども訪ねることにしました。
維新館の建物の前には甲突川という川が流れており、桜島がよく見えました。
桜島は最近よく噴火するとのことで、夜に見ると火口付近が明るく見えることがあるそうです。
噴火の際に出る灰が町中降っていて、あちこちでその灰を掃いている様子が見られました。
噴火はこの維新館の前からも、よく見えるそうです。
鹿児島中央駅徒歩10分くらいのところにある維新館。明治維新についてわかりやすく展示されています。
維新館の前を流れる甲突川と前方にそびえる桜島
桜島は近年よく噴火し、火山灰を降らせています。
話を生麦事件にもどします。
江戸時代には各藩の大名が交代で江戸の徳川将軍に仕える、参勤交代という制度がありました。
その参勤交代で、当時の薩摩藩の大名行列が江戸から薩摩(鹿児島)へと帰る途中、
現在の横浜市鶴見区生麦で、行列の前を馬に乗ったイギリス人が横切ったそうです。
当時の日本でそんなことをしたら無礼者とされ、刀で切り殺されてしまうのが常識でした。
そのため、薩摩藩の武士が、そのイギリス人たちを刀で切りつけ、1名が死亡したというのが生麦事件です。
これをきっかけにイギリスは鹿児島を攻撃し、薩英戦争が起きました。
現在、生麦には生麦事件の石碑があるということを知り、旅行から帰ったら行ってみることにしました。
横浜市鶴見区の生麦にある、生麦事件の石碑
生麦事件と石碑についての説明
城山公園は小高い山の公園で、西郷隆盛の公式の死亡場所はこの近くとされています。
市街地にありながら緑が豊かで、夏にはいろいろなチョウ(昆虫の蝶)も見られるので、
1度目の鹿児島旅行の時に私の好きな場所の一つになりました。
今回も緩やかな坂や階段を上りながら城山公園の山頂へ…。
実は1月の2週目にカゼをひいて寝込んでいたので、病後の登山としてちょうどよいものでした。
常緑樹が多く、冬でも多くの緑が見られます。こうした緑の豊かな静かな山道を歩いているだけでも
気持ちが良いのですが、だんだん汗ばんでくると時おり吹くそよ風が涼しく、気持ち良さがぐんと
増します。
そんな中で、さらに木陰からはチャッチャッ…とウグイスの声が聞こえたり、地面に謎の種子が落ちて
いたりしているのが大変楽しく、気分は最高になります。
これだから登山や自然散策は楽しいでのです。
城山公園全景。左の鳥居が照国神社、右の建物が鹿児島県立博物館です。
常緑樹が多く、冬でも緑の豊かさが感じられます。そのこぼれ日の中、緩やかな坂道を登っていくのは
大変気持ちのよいものです。
地面に目を向けると落ち葉といっしょに巨大なタンポポの種のような種子が落ちていました。
こうしたものを発見するのも大変楽しいものです。
何の種子かはまだ調べていません。
城山公園から鹿児島中央駅に向かう帰り道、黎明館という施設を見つけました。
毎回、城山公園を訪ねるときはよく通り過ぎる場所なのですが、それまでは特に気にしていなかった
のです。
しかし今回は縄文文化の特別展をやっていたため、関心を引かれました。
さっそく入場してみると特別展示ところか常時展示から、その内容が濃いではありませんか。
特に興味を引かれたのは鹿児島県で使われていた農耕器具や祭りなど、農耕文化をはじめとする自然と
人との関わりです。
ですが見ていても全部頭の中に入るわけがありません。
撮影も禁止されていたので、パンフレットを買い求めることにしました。
黎明館全景。
昔この場所に建っていた島津藩のお城「鶴丸城」の面影を残したデザインとなっています。
ちなみに鶴丸城は明治時代に焼失したそうです。
黎明館を出て中央駅に向かって歩きます。
途中、天文館に立ち寄り昼食をとることにしました。
天文館とは地名で、昔島津藩がこのあたりに天文台を建設したことから、この名があります。
現在でも天文台があるわけではなく、デパートをはじめとした色々な商店の建ち並ぶ商店街・繁華街
となっています。
昼食を食べに入ったウナギ屋さんの店頭にも、天文館についての説明がありました。
鹿児島といえども1月はやっぱり寒いです。
中央駅から徒歩3分程度のところにある西田温泉に行き、体を温めます。
通常の観光客が訪れるようなところではない、地元の方々に大切にされているような銭湯も、
私は好きです。
温泉(銭湯)から出ると鹿児島中央駅に向かい、みやげを買って帰途に付きました。
西田温泉。小さな銭湯ですが天然温泉で、地元の方に大切にされています。
鹿児島のおみやげ品にも色々なものがあり、楽しみなことの一つです。
ですが、これらは写真を撮らなかったので、次回の鹿児島への旅の時にお話をすることにします。
旅では地元の方たちとの何気ない会話や、こうした人々の笑顔がとても嬉しく感じます。
今回も、ボランティアガイドの方をはじめ、観光バスに同席した方たち、施設や売店の店員の方たちとの
会話がありました。
とるに足らないちょっとした会話や交流もあるかもしれませんが、こうした一期一会の出逢いも、
私にとっては大切な旅の思い出となっているのです。
2009年と2010年にも訪ねているので、これが3度目になります。
初めて行った2009年、背景となる山並みと家並みの前に広い田んぼが広がっており、
そこにたくさんのツルが群れている光景に魅かれました。
それにツル以外にもいろいろな鳥が見られたのも楽しかったです。
鹿児島県出水市のツル飛来地全景(2009年1月)
同じく出水市のツル飛来地全景(2010年1月)
鳥インフルエンザの影響で、昨年から田んぼのそばまで近寄れなくなったそうで、
それは今年も続いていました。
鳥インフルエンザ防疫のため、ツル飛来地への出入りの際は、消毒液でのタイヤや靴の消毒が
呼びかけられていました。
また、ツルを見物するさいにも、飛来地のすぐそばまで近づけないよう、進入禁止となっていました。
毎回いろいろな種類の鳥や生きものを見ようと、あちこちを探します。
今回は出水に飛来するツルたちの中で一番数の多い、マナヅルとナベヅルのほか、
ニュウナイスズメ、ミヤマガラス、イソシギなどを撮影することができました。
マナヅルの家族(2012年1月)
ナベヅルの家族(2010年1月)
ニュウナイスズメ(2012年1月)
ミヤマガラス(2012年1月)
イソシギ(2012年1月)
オオバン(2012年1月)
アオサギ(2012年1月)
ダイサギ(2012年1月)
コサギ(2012年1月)
ほかの種類のツルやコクマルガラスも見られることもあるそうで、それもとても楽しみにしていた
のですが、今回は(今回も)残念ながら見られませんでした。
これはまた次回の課題ですね。
鹿児島到着の1日目と翌日2日目は出水にいましたが、夕方早い時間には鹿児島市街地に移動です。
移動する前に、出水の武家屋敷も見学に立ち寄ることにしました。
出水には武家屋敷の家並みが保存されており、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった屋敷
もあります。
その竹添邸という屋敷を見学しました。
屋敷の中には「武士の心得」といった文章が掲げられていました。
その内容は現在にも通用するもので、小中学生の教育に活用されているそうです。
その中には
「礼儀正しくして上にへつらわず下をあなどらどらず 人の患難を見捨てず…」
といったことが書かれており、確かに人間そのようにありたいものだと思わせられます。
台所は土間でかまどがあり、焚き木を燃やしてご飯を炊くようになっています。
井戸や風呂場、トイレ(便所)は家の離れにあり、現在の生活様式と比べると、雨の日や
暗い夜、病気の時には大変だったのではないかと思いました。
NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった、出水武家屋敷群の竹添邸
出水から鹿児島市街地へ移動するには、九州新幹線もあるのですが、
肥薩オレンジ鉄道に乗ると、車窓からの景色が良いという話を聞いていたので、
この肥薩オレンジ鉄道を利用することにしました。
同じ車両に乗っていた女性客の方に、「○○駅近くで人魚岩っていうのが見えますよ。」
と聞いたので、車窓からカメラを構えて狙っていました。
畑があったり海が見えたりと、オレンジ鉄道の車窓からは、よい景観を楽しむことができました。
人魚岩の写真も車窓からの撮影に成功しました。
ただ人魚岩は、さきほどの女性客の方が「人魚岩といっても、私にはサルの親子が向かい合っている
ようにしか見えないんですけどね。(笑)」と教えてくれていなければ、多分気がつかなかったでしょう。
肥薩オレンジ鉄道の車窓からは畑、山林、海などの景観が素晴らしく、特に海の景観には迫力を
感じました。
銀河鉄道999デザインの車両も止まっていました。
銀河鉄道999は私の少年のころ大好きだった漫画です。
原作者の松本零士さんが熊本出身であることから、このような車両がデザインされたのでしょう。
車窓からの撮影に成功した「人魚岩」。
猿の親子が向かい合っているような形という話を頼りに確認、撮影しました。
今回は1回目、2回目の出水への旅でお世話になったボランティアガイドの方と1日目の夕食を共に楽しみました。
その時のボランティアガイドさんの話で、横浜と鹿児島との関係を知りました。
それは生麦事件です。
主に自然や野生生物たちとふれあうのが目的で旅をする私ですが、こうした話を聞いて、歴史にも少し興味を
持ちました。
そこで3日目は城山公園のほか、明治維新について楽しくわかりやすく展示している維新館という
施設なども訪ねることにしました。
維新館の建物の前には甲突川という川が流れており、桜島がよく見えました。
桜島は最近よく噴火するとのことで、夜に見ると火口付近が明るく見えることがあるそうです。
噴火の際に出る灰が町中降っていて、あちこちでその灰を掃いている様子が見られました。
噴火はこの維新館の前からも、よく見えるそうです。
鹿児島中央駅徒歩10分くらいのところにある維新館。明治維新についてわかりやすく展示されています。
維新館の前を流れる甲突川と前方にそびえる桜島
桜島は近年よく噴火し、火山灰を降らせています。
話を生麦事件にもどします。
江戸時代には各藩の大名が交代で江戸の徳川将軍に仕える、参勤交代という制度がありました。
その参勤交代で、当時の薩摩藩の大名行列が江戸から薩摩(鹿児島)へと帰る途中、
現在の横浜市鶴見区生麦で、行列の前を馬に乗ったイギリス人が横切ったそうです。
当時の日本でそんなことをしたら無礼者とされ、刀で切り殺されてしまうのが常識でした。
そのため、薩摩藩の武士が、そのイギリス人たちを刀で切りつけ、1名が死亡したというのが生麦事件です。
これをきっかけにイギリスは鹿児島を攻撃し、薩英戦争が起きました。
現在、生麦には生麦事件の石碑があるということを知り、旅行から帰ったら行ってみることにしました。
横浜市鶴見区の生麦にある、生麦事件の石碑
生麦事件と石碑についての説明
城山公園は小高い山の公園で、西郷隆盛の公式の死亡場所はこの近くとされています。
市街地にありながら緑が豊かで、夏にはいろいろなチョウ(昆虫の蝶)も見られるので、
1度目の鹿児島旅行の時に私の好きな場所の一つになりました。
今回も緩やかな坂や階段を上りながら城山公園の山頂へ…。
実は1月の2週目にカゼをひいて寝込んでいたので、病後の登山としてちょうどよいものでした。
常緑樹が多く、冬でも多くの緑が見られます。こうした緑の豊かな静かな山道を歩いているだけでも
気持ちが良いのですが、だんだん汗ばんでくると時おり吹くそよ風が涼しく、気持ち良さがぐんと
増します。
そんな中で、さらに木陰からはチャッチャッ…とウグイスの声が聞こえたり、地面に謎の種子が落ちて
いたりしているのが大変楽しく、気分は最高になります。
これだから登山や自然散策は楽しいでのです。
城山公園全景。左の鳥居が照国神社、右の建物が鹿児島県立博物館です。
常緑樹が多く、冬でも緑の豊かさが感じられます。そのこぼれ日の中、緩やかな坂道を登っていくのは
大変気持ちのよいものです。
地面に目を向けると落ち葉といっしょに巨大なタンポポの種のような種子が落ちていました。
こうしたものを発見するのも大変楽しいものです。
何の種子かはまだ調べていません。
城山公園から鹿児島中央駅に向かう帰り道、黎明館という施設を見つけました。
毎回、城山公園を訪ねるときはよく通り過ぎる場所なのですが、それまでは特に気にしていなかった
のです。
しかし今回は縄文文化の特別展をやっていたため、関心を引かれました。
さっそく入場してみると特別展示ところか常時展示から、その内容が濃いではありませんか。
特に興味を引かれたのは鹿児島県で使われていた農耕器具や祭りなど、農耕文化をはじめとする自然と
人との関わりです。
ですが見ていても全部頭の中に入るわけがありません。
撮影も禁止されていたので、パンフレットを買い求めることにしました。
黎明館全景。
昔この場所に建っていた島津藩のお城「鶴丸城」の面影を残したデザインとなっています。
ちなみに鶴丸城は明治時代に焼失したそうです。
黎明館を出て中央駅に向かって歩きます。
途中、天文館に立ち寄り昼食をとることにしました。
天文館とは地名で、昔島津藩がこのあたりに天文台を建設したことから、この名があります。
現在でも天文台があるわけではなく、デパートをはじめとした色々な商店の建ち並ぶ商店街・繁華街
となっています。
昼食を食べに入ったウナギ屋さんの店頭にも、天文館についての説明がありました。
鹿児島といえども1月はやっぱり寒いです。
中央駅から徒歩3分程度のところにある西田温泉に行き、体を温めます。
通常の観光客が訪れるようなところではない、地元の方々に大切にされているような銭湯も、
私は好きです。
温泉(銭湯)から出ると鹿児島中央駅に向かい、みやげを買って帰途に付きました。
西田温泉。小さな銭湯ですが天然温泉で、地元の方に大切にされています。
鹿児島のおみやげ品にも色々なものがあり、楽しみなことの一つです。
ですが、これらは写真を撮らなかったので、次回の鹿児島への旅の時にお話をすることにします。
旅では地元の方たちとの何気ない会話や、こうした人々の笑顔がとても嬉しく感じます。
今回も、ボランティアガイドの方をはじめ、観光バスに同席した方たち、施設や売店の店員の方たちとの
会話がありました。
とるに足らないちょっとした会話や交流もあるかもしれませんが、こうした一期一会の出逢いも、
私にとっては大切な旅の思い出となっているのです。