木枯らしが吹くようになり、季節は秋から冬へと移り変わってきました。
まだ花を咲かせている秋の野草もありますが、木々は赤や黄、褐色に色
づきはじめています。
そうした自然の様子を観察したり、ふとテレビ番組を見ていたりして、
はっきりとわかったことがありました。
それは、イングリッシュ・ガーデンは日本元来の季節感には合わないと
いうことです。
10年くらい前になるでしょうか、緑化を目的にしたイングリッシュ・ガ
ーデンづくりに初めて参加した私は、その緑についての考え方に大変違
和感を持ったのを覚えています。
なぜかというとそれは草花を使った空間デザインと演出であり、緑とい
う自然の営みを味わうものではなかったからです。
始終手入れや植え替えをすることによって、一年中花いっぱいの空間に
しておくのがイングリッシュ・ガーデンなのでした。
これはイギリスにおけるキリスト教での、自然に対する考え方も影響し
ているようなのですが、今は述べないでおきます。
一年中花いっぱいにするのが何が悪い?!・・・と怒りをぶつけられて
しまいそうですが、これは日本人元来の自然観とは大きく異なるものです。
なぜならば、秋は実りの季節であり冬は休眠の季節だからで、日本人は
古来からそうした自然の営みをじっくり味わい、それもまた良しとして
楽しんできたからです。
そのため枯れススキさえも冬の風情と大事にしてきたのです。
昔の生け花では早春になると、この枯れススキと春の花(蝋梅や寒ボケ
と思われる)とを一緒に飾り、冬から春への移り変わりを味わっていた
そうです。
また先日NHK俳句で「冬の蜂」がテーマになっていたのをたまたま見
ましたが興味深かったです。
それによると「冬の蜂」とはおそらくアシナガバチだとのこと。
アシナガバチの巣は1年限り。秋に生まれた新女王蜂は冬を越しますが、
その他のハチは衰弱しながら死んでしまうそうです。
俳句ではこうしたハチたちを「冬の蜂」と言い、冬の季語になっている
そうです。
一年中花が咲き乱れ「死」など感じさせないのが西洋風の季節感だとす
るならば、「死」さえもありのままに受け入れ、その先にある何か大切
なものを感じて大事にしてきたのが日本人古来からの季節感・自然観な
のです。
日本には誇るべき文化があります。
それは里山文化や稲作文化であり、持続可能な循環社会のモデルとなる、
自然環境と共存した文化です。
日本人の季節感・自然観もこうした文化の中から生じたに間違いなく、
この文化の一部といっても良いでしょう。
日本の誇るべき文化と、それを感じられる身近な自然とを今の時代も、
これからの時代も大切にしていきたいものです。
なお私はイングリッシュ・ガーデンを全否定しているわけではありません。
ただ、何も疑問点が提起されずに、またそうした意見を全く取り入れずに
始めから100%イングリッシュ・ガーデンありきで進めてしまう世の中の
傾向が、日本古来からの良い文化・慣習を失わせてしまうのを心配して
いるのです。
個人的には自然環境を保全するボランティア活動もするし、自宅でドング
リを種として蒔いて育てたりしていますが、その中で一部園芸植物も育て
ています。
まだ花を咲かせている秋の野草もありますが、木々は赤や黄、褐色に色
づきはじめています。
そうした自然の様子を観察したり、ふとテレビ番組を見ていたりして、
はっきりとわかったことがありました。
それは、イングリッシュ・ガーデンは日本元来の季節感には合わないと
いうことです。
10年くらい前になるでしょうか、緑化を目的にしたイングリッシュ・ガ
ーデンづくりに初めて参加した私は、その緑についての考え方に大変違
和感を持ったのを覚えています。
なぜかというとそれは草花を使った空間デザインと演出であり、緑とい
う自然の営みを味わうものではなかったからです。
始終手入れや植え替えをすることによって、一年中花いっぱいの空間に
しておくのがイングリッシュ・ガーデンなのでした。
これはイギリスにおけるキリスト教での、自然に対する考え方も影響し
ているようなのですが、今は述べないでおきます。
一年中花いっぱいにするのが何が悪い?!・・・と怒りをぶつけられて
しまいそうですが、これは日本人元来の自然観とは大きく異なるものです。
なぜならば、秋は実りの季節であり冬は休眠の季節だからで、日本人は
古来からそうした自然の営みをじっくり味わい、それもまた良しとして
楽しんできたからです。
そのため枯れススキさえも冬の風情と大事にしてきたのです。
昔の生け花では早春になると、この枯れススキと春の花(蝋梅や寒ボケ
と思われる)とを一緒に飾り、冬から春への移り変わりを味わっていた
そうです。
また先日NHK俳句で「冬の蜂」がテーマになっていたのをたまたま見
ましたが興味深かったです。
それによると「冬の蜂」とはおそらくアシナガバチだとのこと。
アシナガバチの巣は1年限り。秋に生まれた新女王蜂は冬を越しますが、
その他のハチは衰弱しながら死んでしまうそうです。
俳句ではこうしたハチたちを「冬の蜂」と言い、冬の季語になっている
そうです。
一年中花が咲き乱れ「死」など感じさせないのが西洋風の季節感だとす
るならば、「死」さえもありのままに受け入れ、その先にある何か大切
なものを感じて大事にしてきたのが日本人古来からの季節感・自然観な
のです。
日本には誇るべき文化があります。
それは里山文化や稲作文化であり、持続可能な循環社会のモデルとなる、
自然環境と共存した文化です。
日本人の季節感・自然観もこうした文化の中から生じたに間違いなく、
この文化の一部といっても良いでしょう。
日本の誇るべき文化と、それを感じられる身近な自然とを今の時代も、
これからの時代も大切にしていきたいものです。
なお私はイングリッシュ・ガーデンを全否定しているわけではありません。
ただ、何も疑問点が提起されずに、またそうした意見を全く取り入れずに
始めから100%イングリッシュ・ガーデンありきで進めてしまう世の中の
傾向が、日本古来からの良い文化・慣習を失わせてしまうのを心配して
いるのです。
個人的には自然環境を保全するボランティア活動もするし、自宅でドング
リを種として蒔いて育てたりしていますが、その中で一部園芸植物も育て
ています。