ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~

アフターや休日にふれあう、いろいろな自然。ネイチャーコンタクト・フォトブログです。

地球は人間に与えられた最大の宝物

2013年06月29日 | 5.日記
5年くらい前から、何度も北海道や鹿児島の原生に近い自然の中に
入っていき、今年になってやっと感じられるようになってきたこと…。

霧の中にぼんやりと見えていただけのようだったものが、いろいろな
方たちと話しているうちに霧がス~ッと晴れたようになり、はっきり
と感じられるようになってきました。

それは間違いなく、この地球は人間に与えられた最大の宝物だという
ことです。
この宝物は誰かが所有するとかいったレベルの小さなものではありま
せん。どこかの国が支配するとか、今生きている私たちの世代だけの
ものでもありません。
今までこの地球に生きてきた多くの人々のものでもあり、これから生
まれてくる何世代も先の人々たちのものでもあり、この地球上に生き
る生きとし生けるもの全てのものにとっての、かけがえのない宝物な
のです。

この地球は青い空と白い雲、生きものたちの豊かな大きな海、緑の森
と降り注ぐ雨、大地を潤す川、その中で躍動する生命…と大変美しく、
本当に素晴らしい星です。
日常は家と会社(あるいは学校)の往復ばかりで、休日などに遊びに
行くときは繁華街やアミューズメントパークといった具合に、人工の
ものに囲まれてばかりの生活では、こうした感覚は得られなくても無
理もありません。
しかし、これは本当に確かなことです。

私たち一人ひとりは、いつか寿命を迎えてこの世を去ります。
あの世には何ももって行くことなんてできはしません。
そういう意味で本当の意味で何かを所有することなんて、とうていで
きないのです。
私たちのこの肉体でさえ地球からの借り物です。
だから自分も他人も、身の回りの自然や生きものたちも、みな大切に
しなければならないのです。

こんなに素晴らしい星に生まれてきて、その恩恵を受けられるだけで
幸せなのではないだろうか。・・・最近、そう思っています。

そしてこのことは、これから私が突き止めていこうとしている神道や
原住民たちの生きる知恵、自然と共存する基本理念ともつながってい
るはずです。

鎮守の森は大切な森(その7):千葉県野田市桜木神社編(3)

2013年06月27日 | 3.日本人と神社と自然
5月の連休中、千葉県野田市にある桜木神社さんを訪ねて聞いてきたお話
を肉付けしながらまとめています。
肉付けとは、私が他の機会に見聞きした、お話の内容に一致する具体的な事例
がメインです。
今回は第三弾で、最終回となります。


鎮守の森が昔ほど大切にされなくなった原因

前回までの内容のように、昔の日本人は山村なら山の神様、漁村なら大漁
や海上安全の神様、農村なら水田の神様と、その生活に密着した神様を祀
って感謝や祈願をしてきました。
鎮守の森はそうした自然の恵みを神様からの恵み、または神様のこもる森
として大切にされてきたのです。

このように神社は地域の人々によって支えられ、大切にされてきました。
今で言う町内会は昔は直会(なおらい)といって、神事の後にその一部と
して神社の社の中で行なわれてきました。
これは神の前で町の話し合いをするという意味合いがあり、最後にお供え
ものを下げて、みんなでいただくという風習がありました。

こうした風習がなくなってしまったのは戦後からです。
戦後になると神社から人々が離れていきコミュニティが崩壊。国などから
の公的な補助もなくなって、神社にも「経営」が必要になってきました。
経営が苦しくなれば神社もつぶれてしまいます。若い人が町から出て行く
一方で高齢化が進み、神社の維持管理ができなくなって、鎮守の森もろと
も神社が姿を消していくというのが典型的な例です。
このように神社もその存続のために商業化せざるを得ないという現状も
あるのです。

2011年3月11日の東北大震災の際は、津波から避難するため神社の高台
(鎮守の森)に集まって助かった地域の人々もいるようです。
この地域では神社と地域とのつながりとコミュニティとが失われていな
かったのです。
こうした出来事もあり、神社と地域とのつながりが見直され始めています。

もう一つの原因としては、神社から人々が離れていったのと平行して、
自然からも離れていったということがあります。
ほんらい自然は、もちろん脅威も与えてきたけれど人々に恵みを与える
存在で、人々はそれに感謝してきました。
ところが生活が便利になってくると、次第に自然を邪魔者扱いするように
なりました。
具体的には落ち葉が車の上に落ちて汚れる。木に止まった鳥が糞をして
汚いなどという苦情が神社にが寄せられるようになり、仕方なく木々を
切ってしまうようになってしまったのです。

自然は生活面においても、文化面においても、観光においても大切な資源
です。
神道はその自然を大切にしてきた宗教であり、神社には鎮守の森があって、
社はただそこにたたずんでいるだけで良いというのが理想の形です。
この鎮守の森を守っていくためには、いかに神社に(あるいは鎮守の森に)
人々をを引き込むか、またそれをいかに持続していくかが課題になると
思います。


●2010年6月に屋久島旅行をしたときのことです。
 宮之浦の川向神社に行ってみました。お参りしようと近づくと、中で
 床座りテーブルがコノ字型に並べられ、子供たちが会議をしている
 様子だったので驚きました。
 昔はこのように町内の集まりが行なわれていたのでしょう。


●横浜元町にある元町厳島神社には神社敷地内か隣接地か未確認ですが、
 自治運営会館があります。
 昔は社で町内会が行なわれていた名残だと考えられます。

(*上の写真二つは記事を書いた後、7月5日に追加したものです。)

桜木神社さんを訪ねてのあとがき

私は地元横浜の町なかに残された小さな自然のある公園などで、自然観察
会を開くなどの活動をしています。
最近、地元でも地方に出かけても、落ち葉をきれいに掃いてしまったり、
木々を伐採してしまったり、枝を乱暴な切り方で切ったりと、鎮守の森が
大切にされなくなってきているような事例をよく目にします。

北島三郎の「祭」という歌でも歌われているように、日本人は自然の恵み
を神様からの恵みとして感謝を捧げてきたし、鎮守の森を大事にしてきた。
なのになぜ…という疑問。
一方、天孫降臨ということで、渡来して縄文人支配を始めた弥生人が神様
として祀られていることもあるので、その中でなぜ鎮守の森も大切にして
きたのか。
このような鎮守の森は、神社にとってどういう存在なのか確かめたくなり、
今回の取材にいたりました。

桜木神社さんではジブリ映画のBGMが流れる中、古民家の雰囲気たっぷりの
ホールで神主さんのお話を聞くことができ、神社は縄文時代からの自然信仰
から始まっているということをよく確かめることができたとともに、始めて
聞くような話もあり、大変勉強になりました。

特に印象深かったのは直会(なおらい)についてで、昔は神の御前で町の
話し合いが行なわれたというお話です。
神の御前でというのは大きなポイントだと思いますし、以前、屋久島を
旅行したとき、町の神社に出かけていくと社の中で子ども会のような子供
たちの集会が開かれているのを見たことがあるので、「あぁ、あれか~!」
と思い出しました。
また、今でも神社の敷地内かそのそばに町内会館が建っている事例をよく
見かけるのはその名残でしょう。

今後も、自然を大切にしている神社を訪ね、その理念についてお話を聞い
たり、祭事を取材していこうと思います。

植樹祭に参加してきました

2013年06月24日 | 3.日本人と神社と自然
桜木神社さんが最初でしたが、に鎮守の森を大切にしている
神社を他にも見つけつつあります。

桜木神社さんでのお話をまだ全てまとまていないのですが、
一昨日6月22日に、ある神社が世話人を務める植樹祭が開催
されるということを知り、参加してきましたのでレポートします。

いろいろな組織の協力の下で開催された企画でしたが、出雲
退社相模分祀さんが世話人。
鎮守の森について尋ねるために他のある神社さんに電話をし
たところ、この企画の情報をいただきました。
場所は秦野市の神奈川病院の敷地内で、防災林育成の目的で
植樹を行ないました。



●宮脇昭先生(横浜国立大学名誉教授)による植樹の仕方の説明。
 横綱の日馬富士関も参加。


●説明を聞いた後、植樹の場所に移動。


●説明のとおりに植樹の開始です。


●取材のヘリが飛んでくると…


●手を振ったり…


●写真を撮ったりする人が…。


●最後に土壌流出防止と乾燥防止のためのワラを敷きます。
 そのワラを持ちながら宮脇先生や日馬富士関も手をヘリに向かって手を振っていました。 


●カブトムシも出てきて、とても楽しかったです。


●こうして植樹祭が終了しました。

鎮守の森は大切な森(その6):千葉県野田市桜木神社編(2)

2013年06月19日 | 3.日本人と神社と自然
神社には必ずといっていいほど鎮守の森があります。
神社と鎮守の森との関係を調べようと思い、鎮守の森保全への理解を訴えて
いらっしゃる、千葉県野田市の桜木神社さんを訪ねました。
その時の内容の第二段です。
宮司さんに聞いたお話に肉付けをしながらまとめています。


私たちは自然の恵みによって生かさせてもらっています



●私の日常的な朝食の内容(おかずのみ)


写真はこの記事を書いている私の日常的な朝食(写真はおかずのみです)。
左上から順番に次のとおりです。

①オクラのおひたし  … オクラ、かつおぶし、ゴマ、しょうゆ
②山川漬けの黒酢漬け … 原材料は干しダイコン、ゴマ、昆布、しょうゆ
             黒酢など
③サケの切り身    … サケ
④サラダ       … トマト、キュウリ、豆腐
⑤味噌汁       … 味噌、かつおぶし、長ネギ

私たちは日々このように食物を食べているから元気に生きられるのです。
食べ物がなかったら、餓死してしまいますね。
では、これらの食物は一体どこから来たのでしょう。

オクラやダイコン、トマトやキュウリは畑で育ったものでしょう。畑の作物
はもちろん人の手間もかかっていますが、日光や土壌、雨水などによって育
ったものです。サケや昆布は海を泳いでいたり生えていたりしたものを人間
が捕獲、採集してきたものです。
このように私たちの食べるものはみな、畑で育ったり海を泳いだりしていた
生き物なのです。

私たちはこのように他の生きものたちの命をいただくことによって生かさせ
てもらっているのであり、「いただきます。」とは元々そういう意味なのです。

お店に行くとこれらの魚や野菜たちはパックに入って売られていて、お金で
それを買います。
これは人間どうしのやりとりであって、肝心の生きものや自然に対する感謝
の気持ちは置き去りにされてしまっています。
このように単なる物品交換のように食べ物を扱っているばかりでは、自然が
大切なものという認識も薄れていってしまうでしょう。

農作物を育てたり、魚介類を捕獲・採集したり、運搬したりと手間がかかって
いるため、その労働に対してお金を払うというしくみはあって当然かもしれ
ません。
しかし私たちの食料になるために捕獲され殺生された魚介類たちには、これら
魚介類を育ててくれた海の自然には、また太陽や雨水や畑の土壌を豊かにして
くれるミミズなど、自然の恵みに対しては一方的に搾取するばかりで、何も
支払われません。
せめて感謝の気持ちくらいは持ちたいものです。
    

鎮守の森は大切な森(その5):千葉県野田市桜木神社編(1)

2013年06月12日 | 3.日本人と神社と自然
神社には必ずと言っていいほど鎮守の森と呼ばれる森があります。
しかしその鎮守の森が最近では大事にされていないのではないかと
感じることがよくあります。
そこで神社にとって鎮守の森とはどういう存在なのか、千葉県野田市
にある桜木神社さんにお話を聞いてきました。
桜木神社さんを選んだ理由は、鎮守の森の保全を訴えていらっしゃる
からです。

櫻木神社さんホームページ http://sakuragi.info/

他の神社の事例も紹介しながら、神主さんにお聞きしたお話をまとめ
たいと思います。


●桜木神社さんでは鎮守の森の保全を訴えていらっしゃいます。

神道は自然を大切にしてきた宗教

神社にはいくつかの系統があるのですが、一般的に地域と密着した存在で
した。
神社にはほんらい鎮守の森があり、わざわざ遠くに出かけなくても散歩を
しながら、毎日自然の大切さにふれることのできる場所なのです。

社は大地とつながっていなくてはならず、これは神社としての大前提と
なっています。
それは神道が自然を大切にしてきた宗教であり「自然の摂理・自然の恵み」
イコール「神様」または「神様からの恵み」としてきたからなのです。
そこが森を切り開いて大きな教会堂を建てるような西洋の宗教とは違う
ところです。神道は、そういった建物は重要ではなく、森あるいは山の中に
小さな石の祠があるだけで立派に成り立つのです。


●そういえば東京都大田区田園調布にある浅間神社には参道の傍らに
 小さな石の祠があります。
 浅間神社という名称や祀っている神様の木花咲耶姫命という名前からだけ
 ではわかりませんが、もともとは霊峰富士を祀っているようです。


神社の起源

こうした自然信仰の起源は縄文時代にまでさかのぼることができ、それ
が神社の原型ということができます。
弥生時代になると天皇が祀られるようになりますが、有史的に神社という
形となったのは奈良時代からです。
また、弥生時代から始まった水田文化の普及が、縄文時代からあった信仰
と結びつき融合して、水田・稲作信仰が始まりました。
さらにその後、中国を通じて漢字などの文化が入ってくるようになると、
それとともに色々な神様が日本に入ってきたということがあります。


●鹿児島県霧島市の霧島神宮には、祭事に用いられる稲を育てる水田が
 ありました。こうしたことが水田・稲作信仰なのでしょう。


恵みとお返し(贈与と返礼)

どこの地域でも水田・稲作信仰かというとそういうことでなく、
生活によってどのような神様を祀っているかは変わってきます。
例えば海岸の地域だったら海の神様、山に囲まれた地域だったら山の
神様などと、地域の暮らし方によってその土地の信仰が確立されていき
ました。
現在神社ではいろいろな神様が祭られていますが、神道の根底には
「自然の恵み=神様からの恵み」という信仰があり、神社で行なわ
れるお祭りというのは、この恵み(贈与)に対するお返し(返礼)なのです。

「グレートジャーニー・人類の旅」展に行ってきました

2013年06月09日 | 5.日記
最近、縄文人と弥生人とか、自然との共存とかいったことについて
ネットで情報を集めることが多いのですが、先々週検索していたら、
上野の国立科学博物館で大変興味深い特別展示をやっていることが
わかりました。


その特別展とは「グレートジャーニー・人類の旅」
私たち人類ホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカで誕生し、
約6万年前から全地球上へと人口を増やし移動しながら拡散し
始めました。

「グレート・ジャーニー」とはこの人類の大移動のことですが、
このルートと同じ道筋をたどりながら、世界各地の自然と共存
する人々を訪ね歩いた探検家がいます。
その名は関野吉晴さん。

恥ずかしながら私は関野先生のことを知らなかったのですが、
自然との共存をテーマにしている私にとって尊敬すべき人です。

「グレート・ジャーニー・人類の旅」は、関野先生がこの旅で
つかんだものが基となっています。
私にとっては永久保存版にしたいくらいの内容でしたので、この
ブログでも新たにカテゴリーを設けて取り上げていくつもりです。

自宅の庭になんとヤマイモが!

2013年06月08日 | 5.日記
今日は暑い夏に備えてゴーヤやヘチマを植えたりと、庭仕事
をしていました。

すると庭からなんとヤマイモが!
はじめヤマノイモか、それともよく似たオニドコロなのか
はっきりわからなかったんです。
なぜなら葉の付き方が地上部の下の方が互性で、大部分の
上の方は対性だったからです。
オニドコロは互性で珠芽(ムカゴ)はできません。

庭仕事を進めているうちに、ムカゴから芽の出たものが
見つかりました!
これでヤマノイモだってわかったんです。



●ムカゴから発芽したものを発見!これでヤマノイモだと
 いうことが決定的に!

しかも掘り出したものの中には、小さいけれどイモのできて
いるものがありました!
マイクロサイズだけど、自然薯を掘り出したのは楽しかっ
たです。



●掘り出したらマイクロサイズだけど、ちゃんとヤマイモが!


ヤマノイモは私の子供のころ、庭に生えていました。
オニドコロというよく似た植物もあるってことも、知らなか
ったころの話です。
そのうちヤマノイモは庭から姿を消してしまいました。

オニドコロは今でも雑木林の残された公園などでよく見かけ
ますが、ヤマノイモを見かけることはまずなくなってしまい
ました。
でも昔は私の家の周辺でもヤマノイモはいたるところに生育
していたはずです。
その生き残りが私の自宅に…と思うと嬉しいです。



●イモを食べようとは思っていませんが、大事に植えておきました。
 まだ私の自宅の周りにもたくさんの自然が残っていたころからの
 生き残りだと思うと愛おしくなるからです。

1年前の今日は金星の太陽面通過がありました

2013年06月06日 | 5.日記
今日の金星の太陽面通過(神奈川から)
今日は日蝕よりも珍しい(=起こる確率が低い)という、金星の太陽面通過が起こるということでした。私はこれを撮影しようと前々から仕事を休む予定でいました。ところが朝からどんより...



1年前の今日は金星の太陽面通過があった日だったのですね。
この日のために、わざわざ計画的に休みを取っていたのに、
あいにくの曇り空でした。

あきらめきれずにテレビでの天気予報やパソコンで情報を集め
たりして、小田原方面に向かいました。

小田原方面に進むにつれて雲が切れ、とうとう電車の中からも
太陽が見えたのを憶えています。
そして平塚で下車し、撮影に成功しました。

あまり写りはよくないかもしれないけれど、私が持っている
カメラ機材ではこれが精一杯。
ちゃんと金星が太陽の前に来ている様子を撮影できて、本当に
良かったと思います。

鎮守の森は大切な森(その4):神社と鎮守の森

2013年06月05日 | 3.日本人と神社と自然
前回、弥生人による縄文人の侵攻支配のときに、弥生人が縄文人に
自分たちを神様として祀らせたということ。そしてその弥生人の
子孫が現在の天皇家だという話をしました。
そのため神社の多くは、歴代天皇を神様として祀っています。

では神社に必ずといっていいほどある鎮守の森とは何なのでしょう。
神社の敷地内でも特に聖域として、森の一部を一般の人の立ち入り
禁止区域としているケースもありますし、ご神木と呼ばれる樹木の
あるケースもあります。神社ではそれほど森や木々を大切にしている
のです。

ここで二つの疑問が生じます。
一つは、神社は天皇を神として祀っているのに、なぜ鎮守の森を
大切にしてきたのか。神としての天皇と鎮守の森とは何か関係が
あるのかということ。

もう一つは、最近の神社ではこの森の木を伐採したり、落ち葉をきれい
に掃いて、森の循環を断ち切ってしまったりするケースが見られます。
神社は森を大切にしてきたのに、なぜ大切にしなくなってきてしまった
のかということです。

その疑問を解くために、神社と鎮守の森について調べ始めたところ、
千葉県にある桜木神社という神社を見つけました。
桜木神社さんでは、「鎮守の森の保全にご理解とご協力を」と呼び
かけているのです。
ゴールデンウィーク中にこの桜木神社さんを訪ねましたので、次回の
「日本人と神社と自然」ではその時にお聞きしたお話をまとめます。

つづく・・・。

1年前の今日

2013年06月04日 | 5.日記
今日は部分月食

今日は部分月食が起こります。南東の空の低い位置で夜7時ごろから始まるので、確実に見るために少し遠くまで出かけます。鹿児島旅行の続きの記事及びこの部分月食の記事は、明日以降...


1年前の今日は部分月食があったのですね。
昨年は天文当たり年だということで、日食をはじめ、この日の月食、
そして金環食と追いかけたのをおぼえています。
今年は年末ごろに肉眼で彗星が見えるのが期待できるそうです。

横浜開港記念バザール、伊豆大島・八丈島ブース

2013年06月03日 | 5.日記

●2013年「ミス椿の女王」の柴田珠美さん


2013年5月28日から6月3日まで開催されていた「2013年 横浜開港記念バザール」
も今日が最終日で終了しました。

6月1日と2日の土日曜日には、伊豆諸島のブースに立っていた着物を着た美女が
目に留まりました。
かわいい顔立ちの若い女性だったのに加え、衣装が大島の伝統的なものに感じられた
からです。

私は屋久島には3回行ったことがありますが、屋久島よりも近くにあって行きやすい
はすの伊豆諸島には全く関心がありませんでした。

伊豆諸島は東京都に属すということだけは知っていますが、本土からどれくらい離れた
位置にあるのかとか、諸島の位置関係など全く知りません。
本土から、けっこう距離がある島なので自然が残されているはずですし、今はどうか
わかりませんが、昔は屋久島と同じように島独自の自然と共存した生活があったはず
です。

ブースの方にもいろいろとお聞きし、私にとって興味深い島であることがわかりました。
今後の旅の予定がいくつか決まっているので、いつ行けるかはわかりませんが、ぜひ
行ってみたいと思っています。

昨年の今頃

2013年06月02日 | 5.日記
3日間の鹿児島旅行から帰って1週間

先週の今日、私は3日間にわたる鹿児島旅行の第1日目を過ごしていました。あれからもう1週間がたつのだなぁと、旅行中のことを思い出しています。今回の鹿児島旅行は大変満足し、思い残...


昨年2012年は今年2013年よりも2週間ほど早く指宿への旅に行って
いました。
昨年、旅先での緑の多さに驚いて、横浜に帰ってきてから植物を
大量に購入しましたが、今年も同じく横浜開港記念バザールの植木
市で植物を購入しました。

今年はハナイカダ、ヤマボウシ、ヤブニッケイ…と森を構成する
木々を中心に買いました。


鎮守も森は大切な森(その3):「弥生人が神様だって?!」の補足

2013年06月01日 | 3.日本人と神社と自然
縄文時代から弥生時代への移り変わりは、文明が発達したため
ではなく、弥生人による縄文人の侵攻支配によるものでした。
縄文人支配について私が初めて聞いた話では、きわめて暴力的
なものだったということでしたが、そうではなかったという話もあり、
よくわかりません。
そこのところをもう少し深く調べてみるのが、今後の一つの課題
です。


もう一つの課題としては、天皇の存在と役割についてです。
これにも歴史の中で色々なことがあったようなので、整理が必要です。


こうしたことをしていくことによって、日本という国がどのよう
な国で、どうして今の時代がこんななのかということが見えてく
るとと思います。


それは単なる一般教養ではなく、私たち一人ひとりがどのよう
な心持で生きていくべきか、その判断材料になるものです。
ただ時代に流されるのではなく、その意味をしっかり把握して
新聞やニュースを見たり、政治の動きを見たり、またはボラン
ティア活動したりと、生活の中のいろいろなことをやっていき
たいものです。