ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~

アフターや休日にふれあう、いろいろな自然。ネイチャーコンタクト・フォトブログです。

ホタルを見にいきました

2012年06月30日 | 5.日記
私の住む横浜では5月下旬から7月中・下旬にかけて
ホタルが見られます。

昔は私の住む区内にもあちこちにホタルの生息地が
あったのですが、生息地となっていた水田や湧水の
残る竹林が宅地化されるなどして、今では区内で
野生のホタルは、とうとう全くいなくなってしまった
ようです。(地域的な絶滅)
これはたいへんさびしいことです。

ホタルは清流のシンボルと言われます。
確かにホタルは水の湧き出た暗い場所、草木におおわれた
きれいな流れのあるところでないと生息していません。
しかし、こうした環境がなくなってきているのです。

最近は、飼育したホタルを庭園などに放してホタル観賞を
楽しむというケースが増えてきているようですが、
本当はホタルの自然の生息環境を保全することが大切なのです。

なぜならホタルの生息する環境というのは、
湧水あり、森があり、水田があり・・・と、私たち人間に
とっても必要で大切な環境のはずだからです。



ホタルの生息環境をとりもどそうと思っても、
自然環境を取りもどすのはとても大変なことです。
でもせめて、本当はそうなんだということだけでも、
わかっていただけたらと・・・そう思っています。



なので私が今回撮影した場所は、
流れに護岸がなく、街灯もないところです。
そして周りには湿地や畑があります。
ホタルの典型的な生息環境といってもいいかも
しれません。




この日月が出ていて、ホタルがあまり光ってくれないかと思いました。
というのは月明かりがあるとホタルはあまり光らないと言われているからです。
ですが今回はそんなことなく、何匹ものホタルがよく光ってくれました。


上の方に飛んでいるホタルが、下の方に止まっているホタルが2匹います。
止まっているホタルを撮ると、このように点にしかならず動きのない写真に
なってしまうので、光りながら飛んでいるシーンを狙うと上のホタルのよう
に光の跡になって写るのです。


この写真は上の方を飛んでいるのがゲンジボタル、下の方を飛んでいるのが
ヘイケボタルです。
ゲンジボタルは大型でフワ~ッフワ~ッと飛びながらピカ~ッピカ~ッと
光ります。また、かなり高いところまで飛びます。
ヘイケボタルは小型で、フワフワ飛びながらチカチカ光ります。また、
低いところを飛ぶことが多いです。

ちょうど今がゲンジボタルが季節的に姿を消し始め、ヘイケボタルがこれから
ピークを迎える時期のようです。
この写真ではゲンジとヘイケの飛び方光り方の違いを撮ることができました。


ヘイケボタルが点滅しながら上昇飛翔。


月とホタルを一緒に写したり、星空とホタルとを一緒に写したりもしたかった
のですが、月の方が明るく難しいです。
星空も空が明るいため難しかったのですが、一応星とホタルをと一緒に写し
込むことができました。



来年は目で見たのと同じように撮影でき、点滅しているようすもわかる動画
にチャレンジしてみたいと思います。
(でも新たに動画専用のカメラが必要になります。価格もまだよくわからない
ので、実際に購入できるかどうかはわかりません。)

また、もっと空の綺麗な場所を見つけ、星空とホタルとが一緒に写った写真
にもチャレンジしたいと思っています。

言いたいこと、書きたいこと

2012年06月27日 | 5.日記
言いたいこと・書きたいことはたくさんあります。
日々、色々なことを感じ、色々なことを思い、色々なことを考えています。
こうしたことが本当は大事なことだと思うのですが、
日々の仕事の中に埋もれていってしまうのです。
だからこそ、ここに記事を作成したり伝えたりすることが大切だとわかって
はいるのですが・・・。

本当は鹿児島から帰ってきてからの後日談がたくさんあります。
なかなか記事を作成投稿する時間が持てないだけなのです。
そうしているうちに、また新しい出来事があり、感じたり考えたりしています。
ヤゴが次々とトンボになっているし、横浜でもホタルを見ました。
このことも本当はお伝えしたいのですが・・・。

とりあえず今日は仕事帰りに綺麗な夕日と夕焼けを見ました。
その後、月も見えて最高でした。


今日の夕日


今日の夕焼け


そして、今日のお月さま

横浜に帰ってきてから(その1)

2012年06月22日 | T農園
鹿児島旅行から横浜に帰ってきて気がついたのは、とにかく緑が少な
すぎる。そして空気がとても汚いということです。

こちらに帰ってきてからまず、空気がとても臭いのを敏感に感じ取り
ました。
3日間だけとはいえ、向こうで綺麗な空気をたくさん吸ってきたから、
向こうとちがってこちらの空気が汚いということを僕の鼻が感知した
のでしょう。
気持ち悪くなるくらい空気が臭いのです。排気ガスの臭いです。

そしてとうとう喉を傷めて腫れてしまったのです。
医者が言うには旅先で感染したのでしょうということでしたが、自分
で思うには、横浜の空気が汚いためだと思います。


それというのも緑が少ないからです。
向こうでは、霧島に行っても指宿に行っても、たくさんの緑に囲まれ
ていました。
交通量が少ないということももちろんあるでしょうが、やはり緑が空気
を浄化してくれているのだと思います。

空気をきれいにしたり、水をきれいにしたり、ヒートアイランドを防い
でくれたりと、これらの緑が私たち一人一人を支えてくれているの
です。

私たち人間も自然がないと生きてはいけません。
いったいどれだけの緑が私一人を支えてくれているのか。私一人、
一生分の綺麗な空気や水や服(服の材料もコットンで元は植物)や
家具や本(家具の木材も、本になる紙の材料も元は植物)などの
ために、そして食料のために一体どれだけの緑が必要なのか・・・。
そういうことを考えると、身の回りの緑が少なすぎると感じました。

そして、この旅行から帰ってきてからの1週間から2週間の間に、
草花をたくさん買ってしまいました。

今年もヤゴ救出を行ないました

2012年06月20日 | 5.日記
これは旅に出たり身近な自然とふれあって個人的に楽しむというのではなく、
ボランティア活動として行なっているのですが、私は毎年ヤゴ救出を行なって
います。

シーズンに備えてプールの清掃がそろそろ始まる時期なのですが、その前に
参加者を募って、プールに生息しているヤゴ(トンボの幼虫)をみんなで救出
するという、全国的に行われている行事です。

篠原園地では今年で確か8回目くらいになると思います。
今回は50名以上の方の参加がありました。
毎年お顔を見せてくださる参加者の方もいらっしゃり、私も楽しかったです。
ありがとうございます。



今回のヤゴ救出の様子


ヤゴの飼い方

思えば運の良い旅でした

2012年06月12日 | T農園
後になって思うのですが、今回の旅は色々と運が良かったと
思います。
旅の前に立てていた計画とくらべると少し変更はありましたが、
言うことなし、やりたいことが全てできた、満足感いっぱいの
旅でもありました。


運が良かったというのは、まずは山で倒れたのに助かったと
いうことです。
危険な箇所がいくつかあったので、倒れたらそのまま斜面を
転げ落ちて大ケガとか、岩に頭を打って大ケガということも
当たり前に考えられました。

倒れた場所が良かったことと、優しいい人々に助けられた
ことは本当に運が良かったです。





こうしてみると開聞岳はけっこう急(勾配がきつい)
景色は良いが、転げ落ちたら大ケガするような箇所もありました。


もう一つは築100年以上の木造駅舎、嘉例川駅に案内していただき、
この駅から「指宿のたまて箱」に乗車できたことです。
これは後から知ったことなのですが、この列車は全席指定席
で、すでに予約でいっぱいのため乗りたくても乗れない人が
たくさんいらっしゃるということでした。
それが運よくたまたま嘉例川駅から隼人駅まで乗ることが
できました。
2両編成で後部車両が自由席だったのです。





築100年以上、木造駅舎の嘉例川駅


観光特急「指宿のたまて箱」・・・とてもいい列車でした。


「指宿のたまて箱」の車窓




たった一駅でしたが、私はそこで都会の電車などとの違いや、
特別な良い時間の過ごし方というものがどういうものかという
ことを体感することができました。
もし乗れていなかったら、このことをみなさんにお伝えする
記事も書けていません。


それから現地の方たちとの新たな出会いがあり、新たな
つながりもできました。
そして、とても嬉しいものをプレゼントでいただきました。
それは鹿児島のある海岸で採れたという、アオイガイという
貝の貝殻で作られたアクセサリー(インテリア)です。





アオイガイを二つ向い合わせてつくられた手作りのアクセサリー。
いつか近い将来、自分の手でこの貝殻を拾いにいくつもり。




自分の中で何かが変わり始めています。
生き方、時間の過ごし方、そういうことに関する意識が
変ったと思います。

これから生活にも変化が出てくると思います。
それがさらに僕の人生にどんな変化をもたらすか、
それが楽しみです。

2012年5月の鹿児島旅行 3日目

2012年06月09日 | 旅行記
2日目は温泉に入り食事をして終わりました


2日目は、薩摩富士という別名のある開聞岳という山を登ったのですが、
予想以上に時間がかかりました。
また、下山途中で貧血を起こして倒れてしまったったということがあって、
かなり予定が狂ってしまいました。

でも、この日はもうホテルでゆっくり休むしかなく、お風呂に入り食事をして終
わりました。
指宿も温泉の町で、普通の温泉のほか砂蒸し風呂が有名です。両方の温泉
に入り、ゆっくり疲れを取りました。
夕食は黒豚カツ定食を食べました。お店の料理人の方とも楽しくお話をしま
した。

登山は大変で一時はどうなるかと思いましたが、このようにして良い形で2日
目を終えることができて良かったです。



ホテルの庭園ガイドがとても楽しかったです


3日目の朝を迎え早朝6時半。楽しみにしていたことがありました。
それは地元のボランティアガイドさんと一緒にホテルの庭園を歩きなが
ら、庭園で見られる植物や風景の解説を聞くという催しです。

このホテルにはホテル建物の回りを一周できる庭園があり、色々なヤシ
の木や熱帯植物が植えられています。
そういった植物の中で特に印象に残ったのは現地でサネンと呼ばれて
いる植物です。

ガイドさんのお話によると昔はこの葉でおにぎりを包んでいたそうなの
です。というのはサネンはショウガ科の植物で抗菌作用があるからだ
そうです。
私はこの話に人と身近な緑との密接な関係、人と自然との共存の象徴的
なものを感じました。

このボランティアガイドさんとは庭園ガイドの後も、2人で長話をし、
ガイド本には載っていないような指宿の魅力を色々聞きました。
そして、また指宿に必ず来ようと思ったのです。



ホテル庭園からの朝日(5時56分)


ホテル庭園のサネン(標準和名をゲットウといいます)



2日目の遅れを一気に取り戻せました


いつもだったら2~3㎞くらい平気で歩くのですが、2日目が2日目だった
ので、ホテルからタクシーで駅に向かうことにしました。

タクシーに乗ると運転手さんが、「指宿に来て、●●は行った?▲▲
は行った?」と聞いてくるのです。「せっかく指宿に来たんだから、どう?」
と・・・。
そこで2日目の遅れを取り戻すために、この話に乗ることにしました。
貧血で倒れてしまったりしたため、下山してからやろうと思っていたこと
ができなかったからです。

長崎鼻という岬は開聞岳の眺めが良くて最高でした。現地で言葉を交わ
した地元指宿の方も言っていましたが、ここは本当に眺めがすばらしい
ので、観光客ばかりでなく地元の人もよく訪れるということでした。

日本最南端にあるという西大山駅も造られた風景ではありましたが、
素晴らしいものでした。
駅前には「幸せの黄色いポスト」と呼ばれるポストがあり、開聞岳と合わ
せていい写真が撮れました。



長崎鼻からの薩摩富士


西大山駅駅前にある幸せの黄色いポストと薩摩富士



こうして今回の旅行が終わりました


貧血で倒れたというハプニングがあったり、予定を変えてタクシーを
利用したりということがありましたが、また会いたい人、また行きたい
ところ、新たに行ってみたいところが増えました。

旅行は素晴らしいです。
いつも自分が住んでいる町や会社、学校、人間関係、環境など、
それが当たり前だと思っているものが、当たり前とは限りません。
この世にはまだまだ色々な素晴らしい世界があるのです。

また、もしかしたら、あなたの住んでいる町はあなたが憧れている
町よりも本当は素晴らしいかもしれません。

ただ、はっきり言えるのは、戦争とか侵略とかいうものはご免だと
いうこと。
それから平和が大切だということ。
あともう一つは、人と人とがそのように平和を保つだけでなく、
人は自然とも共存することが、平和のためには大事だということです。

今回の旅で得られたものは大きく、私の心の中で何かが変化した
ような、変化をし始めているような、そんな感じがしています。

なので帰ってきてからも、まだ旅が続いているような感じでいるのです。
その中で思ったことも、書きつづっていきたいと思います。

2012年5月の鹿児島旅行 2日目

2012年06月07日 | 旅行記

部分月食と金星の太陽面通過の話が終わりましたので、
話を5月の鹿児島旅行にもどします。



開聞岳への憧れ

初めて屋久島に行ったのは2009年の7月。皆既日食を見るためでした。
その時フェリーに乗ったのですが、同行してくれた地元鹿児島の方の
説明で、指宿には薩摩富士という別名を持つ開聞岳という山があり、
富士山に似た姿をした美しい山だという話を聞きました。

しかしこの時も、その後2度に渡って屋久島を訪れた時も、雲が出て
いて開聞岳を見ることができずにいたのです。

そのうち、いつか必ず開聞岳の姿を見たい。そしてぜひ登頂して、
頂上からの景観を眺めてみたいと思うようになっていました。



前日に無理がありました

前日の夜はホタルを撮影するために、夜10時近くまで現地で粘って
いました。
翌日に響くから早めに帰ろうということも考えましたが、来た以上
は納得できる写真が撮れるまで帰れない…と、翌日に登山を控えて
いるという事情があるにも関わらず、少し無理してしまったと思い
ます。

そのためホテルに到着したのは11時過ぎ。
翌日は朝4時に起き、4時台の始発に乗って登山口のある駅に向かい、
6時半過ぎから登山を開始するという予定を決行しました。

パンフレットのガイドには2~3時間で登れると書いてありましたが、
全然そんな時間では登れませんでした。
アップダウンがなく、ただ延々と続く上り坂。そして人1人が通れる
くらいしかなく、岩のゴツゴツした悪路…。私から見た開聞岳は、
そういう山でした。


駅前看板(1)


駅前看板(2)





準備も不足していたと後になって思いました

なんとか登頂し、目標どおり山頂からの写真も撮影しました。
とても素晴らしい眺めでした。

しかし登頂した時には1リットル持っていた水も全て飲み干し、昼ごろ
までには下山している予定でいたので、昼食も持っていませんでした。
しかも睡眠不足のせいか食欲もなく、朝食はおにぎり1個しか食べて
いなかったのです。

他の優しい登山客が、おにぎりを1つ分けてくれました。
「もう1ついかが?」と言ってくれたのですが、食欲がありませんでした。


山頂からの風景(1)


山頂からの風景(2)



貧血で下山途中に倒れてしまいました

山頂でしばらく休み、下山しようと立ち上がった時、クラクラッと
立ちくらみがしたので、マズイかな…とは思っていました。

そしてとうとう、まだ半分下山していないというところで私は貧血を
起こし、登山(下山)道の右側、下り斜面に頭からバタッと倒れてし
まったのです。

この状態のままで下山してはまた倒れて危ないと思ったので、体調が
整うまで休むことにしました。



下山途中の団体の人たちに助けられました


休憩しはじめて30分くらいたっても心臓はドキドキし、息もハーハーした
ままです。
このままでは救助を呼ばなければならなくなるだろうかとか、地元の
新聞に載ることになるだろうかとかいうことが頭をよぎりました。

そこを通りがかりの下山途中の団体の人たちが助けてくれたのです。

水を分けてくれ、糖分補給のための菓子を分けてくれ、私の重たい
荷物を代わりに背負い、ステッキを貸してくれたのです。

頭に十分な血が回っていないためか、立ち上がって歩こうとしても
始めのうちは体調がおかしかったのですが、次第に体力が回復して
きて、無事に下山することができました。

名も知らぬ、登山仲間の方々のおかげです。



開聞岳全景(1)


開聞岳全景(2)



その後地元指宿の方から聞いた話です。

地元では、開聞岳に1度も登ったことのない人はバカと言われている
そうです。それは、見てこんなに美しい山なのに一度も登ったことが
ないなんてバカだという意味なのだそうです。

だけど2度登った人もバカなんだそうです。それは開聞岳は見て美し
い山だけど登るのにはキツイ山なので、1度登れば十分。2度も登る
なんてバカだという意味なのだそうです。

では3度登った人は何かというと、大バカなんだそうです。

開聞岳をはじめとした山の厳しさや、それでもそういう山にまた登る
人を皮肉っぽくも愛情を込めて表した言葉だと思いました。

今日の金星の太陽面通過(神奈川から)

2012年06月06日 | 5.日記
今日は日蝕よりも珍しい(=起こる確率が低い)という、金星の
太陽面通過が起こるということでした。

私はこれを撮影しようと前々から仕事を休む予定でいました。
ところが朝からどんより曇っていて、雨も降ったり止んだりして
います。

テレビの天気予報でも「雲の切れ間から見える可能性がある。」
と言いつつも、「雨が降っていて難しいかもしれない。」という
ことも言われていて、私もあきらめムードになってきました。



けれども気分はモヤモヤします。
情報を得ようとパソコンでウ●ザーニ●ースを見てみると・・・
ウ●ザーニ●ースの全国のユーザーから集められた見える・見え
ないの情報が日本地図上に点で付けら れていました。

よく見ると僕の住んでいる横浜から近いところでは、小田原あた
りで見えるという情報が寄せられているようでした。

このまま家にいても気分がモヤモヤしたままなので、今回もやれ
るだけやってみることにして、小田原へと向かいました。

すると小田原の手前、平塚から天気が腫晴れてきていて、太陽も
しっかり電車内から見えました。
そこで平塚で降りタクシーに乗りついで、近場で撮影できる場所
まで行ってくださいと運転手さんに頼みました。

平塚では朝から晴れていたのかとたずねると、1時間くらい前
から晴れてきたとのことでした。

そして相模川の河口付近に到着。撮影を開始しました。
日蝕や月食の時と同じく、雲に隠されたり出てきたり、雲が厚く
なったり薄くなったりしたので、それに対応してカメラの設定を
変えながら、何度もシャッターを切って、なんとか撮影すること
ができました。




12時03分


12時33分


13時16分


13時37分



日蝕ほどの迫力はありませんでしたが、明け方夕方以外にこの
ような形で金星を見るのは初めてです。
それはそうですよね。非常に珍しい現象なのですから。
次に起こるのは100年以上後だということですし、このような貴重
な現象を見ることができ、撮影もできて大変満足です。



撮影現場では防波堤の工事が行われていて、警備員さんとも楽しく
お話させていただきました。

平塚では何がおいしいとか、えぼし岩という奇岩が見えるとか。
そういうこともお聞きしました。
一期一会の出会いですが、旅先ではこうした人にいつも助けられます。

せっかくなので、江の島やえぼし岩の写真も撮ってから帰ることに
しました。



相模川の最下流、河口付近にある湘南大橋を渡った対岸は茅ヶ崎市。
1~2㎞歩いた柳島海岸から江の島方面を臨みます。


これが江の島です。
いつもは反対側の鎌倉の方から見ています。
平塚側から見たのは初めてです。


中央やや右に見えるのが、変った形をした(奇岩の)えぼし岩です。

昨日の部分月食

2012年06月05日 | 5.日記
昨日は部分月食の日でしたね。

先月21日の金環日蝕の際、今度は6月4日に部分月食があると報道されていたので、
楽しみにしていました。

当日、朝から昼にかけては雲一つない快晴だったのに、夕方になってから雲が空の
全面をおおってしまいました。

それでも、自分で立てた予定のとおりに、できるところまでやってみようと思い、
職場からいったん帰宅した後に、電車に1時間少し揺られながら行ってきました。
場所は月食の起きる南東方向の開けた、神奈川県内の海岸です。

まだ明るいので、暗くなるまで海岸の写真などを撮って過ごすことにしました。
だけど暗くなっても雲がおおっていて、月の見えるはずの方向に月が見えません。
しかたなく、灯りの見える夜景の写真でも撮ることにしました。

それでもまだ月が見えません。
とうとう帰ろうと思ったその時、やっと雲越しに月が見えてきました。
とにかくシャッターを切りました。
なんとなくでもいいから月食が起こっていることがなんとなくでもわかる、そういう
写真を撮りたかったのです。

それでなんとか写真を撮ることができました。
帰宅してから自宅ベランダで撮った月と比べてみると、明らかに右下の方が欠けている
のがわかります。




撮影地に決めた神奈川県内の海岸


暗くなるまで海岸の写真を撮るなどして過ごすことにしました。


暗くなっても月の見えるはずの方向に月が見えないので、夜景を撮っていました。


月が見えないまま本影食の時間が終わってしまったので、しかたなく帰ろうと思った時、
やっと雲越しに月が見えてきました。


とにかくシャッターを切り、月食が起こっていることがなんとなくでもわかるような
写真を撮ろうと必死でした。
本影食が終わって半影食の時の様子ですが、雲越しでも明らかに月の右下の部分が欠けて
いるのがわかります。
これだけ撮れたので、どうにか気がすみました。


帰宅後、月食がすっかり終わった時間に撮った月の写真。
これと比べると、月食が起こっていたのだということがなんとかわかります。

月はその日が満月だったら、ぞの日はずっと満月。
その日が三日月だったら、その日はずっと同じ形の三日月です。
月食では同じ日のほんの何時間かの間に満月が三日月のようになり、
新月のようになり、そしてまた満月にもどるという、珍しい現象なのです。

今日は部分月食

2012年06月04日 | 5.日記
今日は部分月食が起こります。
南東の空の低い位置で夜7時ごろから始まる
ので、確実に見るために少し遠くまで出かけます。

鹿児島旅行の続きの記事及びこの部分月食の
記事は、明日以降載せる予定ですので、よろしく
お願いします。

2012年5月の鹿児島旅行 1日目

2012年06月03日 | 旅行記

今回鹿児島旅行をした理由・目標

先週の昨日は、鹿児島県霧島市・指宿市への旅行の第1日目でした。

鹿児島には今まで屋久島に3回、出水に3回旅行していますが、霧島、
指宿は今回が始めてでした。

こんなに鹿児島へと旅行をするのは、行くたびに鹿児島の魅力の深さ
を知り、行ってみたいところが増えたということがあります。

そこで今回は、霧島には高千穂岳、ミヤマキリシマ、ホタル。
指宿には薩摩富士とも呼ばれ山姿の美しい開聞岳を目標に
鹿児島旅行をすることにしたのです。



第1日目は霧島へ

前日の夜のうちに予め鹿児島市街入りをしていた私は、翌朝、第1日目
の朝7時にホテルを出て霧島へと向かいました。

霧島神宮駅を降りると、駅の前を流れる川に魚が群れています。
それも川に流れ込む、白く濁った水の回りに群れているのです。

その様子を見ていたタクシーの運転手さんにたずねると、豆乳が川に流れ
込んで、それを目当てに魚たちが集まっているのだということでした。
霧島は水が綺麗なので、豆腐作りが盛んなのだそうです。


こうした会話をきっかけに、その運転手さんに霧島を案内してもらうこと
になりました。
自分で調べて計画を立ててはいたのですが、やはり現地の人にはかないま
せん。

お金の問題はあるのですが、遠方の初めて行く旅先ではこのような人に
ガイドをしてもらった方がよいと、経験的にわかっていたからです。


ミヤマキリシマ、魅力的でした!

はじめに高千穂河原にミヤマキリシマを見に行きました。
ミヤマキリシマは国の天然記念物となっているツツジの仲間で、九州に生育
する高山植物です。
同じミヤマキリシマの花だというのに濃いピンク、朱色、紫がかったピンク
・・・と、株によって微妙に色合いがちがうのです。
白色もありましたが、白色の花びらの回りだけピンクがかったものもありま
した。

ツツジは町なかでもよく見られる植物で、ありきたりな植物だと思っていま
した。

しかし株によって様々な色合いの花を咲かせるミヤマキリシマが、人の手に
よって植えられたものでなく、高山に自生しているというところにたいへん
魅力を感じました。


高千穂河原のミヤマキリシマ

新萌岳の噴火の影響で現在高千穂河原の登山道へは侵入禁止となっています。
写真は登山道入り口付近です。


3色並んで咲いているミヤマキリシマ


こんな花色のものもありました。


山肌ほんのりピンク色に染まっているのは、ミヤマキリシマの花の色のためです。



* 高千穂河原は河原のように石がゴロゴロ転がっていることから、この名があります。
  高千穂河原には、昔、霧島神神宮が建っていた跡が残されています。霧島連山は昔
 からたびたび噴火したために神社はそのたびに焼失。そのために山の下の方に移さ
 れたのです。
  高千穂河原には、環境省の施設のビジターセンターもあります。




天孫降臨の霧島神社でいろいろ考えてしまいました


霧島は日本神話のアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトが地上を治める
ためにやってきた最初の地と言われています。
(ただし宮崎県にも同じ伝説がのこされています)

さて・・・、ここまではロマンティックな話ですが、ここからは少しむずかしい
歴史の話になります。

それは昔、日本には大昔から縄文民族と呼ばれる先住民族が住んでいたのですが、
後から弥生民族という強い民族ががやってきたということです。

神話としてでなく日本の歴史としてみてみると、天孫降臨とは弥生民族が中国の
方から日本に渡って来て、縄文人たちの支配・征服を始めたたということなのです。

その弥生民族がなぜ神社に神様としてまつられているのか、想像すると2つに分か
れます。

1つは弥生民族が縄文民族よりも優れた文化を持っていて、その文化を縄文民族に
分け与えたので喜ばれ、縄文民族から神様的にたたえられたということ。
もう1つは弥生民族が縄文民族と日本国土をを支配していく過程で、強制的に神様
としてまつらせたというということ。

もし後者の方が事実だったら酷い話ですが、こちらの方が有力説となっているよう
です。
しかしながら、ゆるやかに混血が進んでいった程度で、侵略とか支配というほど
暴力などはなかったという話もあり、実際にはよくわかりません。

はっきりわかっているのは、現代の私たちは縄文民族と弥生民族との混血である
ということ。
それから、また戦前の学校教育では、天皇家は、これらの神々の子孫であると教
えていたということなどです。

色々と考えこんでしまうのですが、はっきり言えるのは戦争とか侵略とかいった
ものはご免です。この世で一番大切なのは平和ですね。



おとぎの国のような風景でした


霧島神社の後は、明治時代に建てられ築100年以上たつという、古い木造の駅舎の
嘉例川駅に行きました。

私が幼稚園に行くか行かないかの小さなころ、家の最寄りの駅もこんな木造の駅舎
だったことを思い出しました。

線路をはさんだ駅舎の向こう側には、雑草たちが白い花を咲かせ、さらにその向こう
側は小高い緑の山の風景。
チョウ(昆虫のチョウ)もヒラヒラと飛んでいて、のどかな田舎らしい風景をかもし
出しています。

そこに観光特急列車「指宿の玉手箱」が入ってきました。電気で動くのではない、
ディーゼル車両のようです。
嘉例川駅で降りた人々が客室乗務員の若い女性に列車と一緒に記念写真を撮ってもら
っています。

この列車が全席指定で予約もすでにいっぱいだというのは後から知りましたが、運よく
乗ることができました。
この列車に乗ることは今回の目的にはしていませんでしたが、乗ってみると魅力あふれる
列車で感激しました。

内部は近代的なデザインの中にもクラシックなデザインがふんだんに取り入れられ、
電灯も電球色(暖色光)、材質も木となっています。
そして社内には一切、余計な広告など貼られていません。

SLではないのですが、たいへん旅情と郷愁とを感じさせる、とても魅力のある列車でした。

ここでも田舎と都会との差を感じてしまったのですが、都会の電車は本数が多く、たくさん
の人を早く運ぶ代わりに、何か大切なものをなくしてしまっている感じがします。

一言で言うと、それは「味わい」といったことろでしょうか。
さきほど旅情とか郷愁とか言いましたが、人が心で感じる心地よさ、味わいといったものは、
とても大切だと思うんです。
人はただ機械的に生きるのではなく色々なことを感じながら生きるものだからです。
それは列車の乗り降りも同じ。例え、たったそれだけのことでも、そういった「味わい」が
感じられるか感じられないかで、その時を過ごす時間が特別なものにも、つまらない
ものにもなるのです。

都会の電車はそういったものを感じるようには全く造られてはおらず、ひたすら利便性と
合理性を追求し、そして企業、雑誌、商品などのPRを乗る人の目に押し付ける
といった感じになってはいないでしょうか。
そういう意味で都会の電車はあまりいいものとは言えなさそうです。


指宿のたまて箱


指宿のたまて箱車内



ホタルの写真撮影に成功しました


「指宿の玉手箱」に乗って目的の駅で降りると、ホタルが光る時間まで待つことにしました。

ホタルの生息すると聞いた水路沿い約1㎞の間には、神社が何件か建っていたので、これらの
神社に寄り道しながら待つことにしました。

横浜からこんなに遠くまで来て、ホタルが出ていなかったらとても台無しです。待ちながら、
今年になって本当にホタルが光り始めているのか不安になってきました。

道を歩きながら携帯電話で話している人が、何やらホタルの話をしています。電話の会話の
邪魔になるとは思いましたが、「ここはもうホタル出るんですか?」と聞きてみると
「出てます出てます!」と笑顔で答えてくれました。

そして暗くなるとホタルが光りながら飛び始めました。
本格的にホタルの写真を撮るのはこれが初めてです。
設定を変えながら何度もシャッターを切って、モニターで確認しながら感触をつかんでいきました。

匹数が少なかったため、あまり迫力は出ませんでしたが、ホタルの写真を撮ることができました。




ホタルの飛翔の写真が撮れました




丸尾滝


犬飼の滝と高千穂岳

上記以外にも丸尾滝や犬飼の滝を見てきました。

3日間の鹿児島旅行から帰って1週間

2012年06月02日 | 旅行記
先週の今日、私は3日間にわたる鹿児島旅行の第1日目を過ごしていました。
あれからもう1週間がたつのだなぁと、旅行中のことを思い出しています。

今回の鹿児島旅行は大変満足し、思い残すことはありませんでした。
やろうと思っていたこと以上の体験ができたからです。

長くなるので、本題の旅行記については明日以降、載せることにします。