ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~

アフターや休日にふれあう、いろいろな自然。ネイチャーコンタクト・フォトブログです。

2018年8月15日~17日・・・今回の旅のまとめ

2018年08月20日 | 旅行記
昨年の箱根への一人旅がたいへん満足の行くものだったので、その時に今年も行くと決めていました。

目的は主に
1.父母や先祖の供養を兼ねた大文字焼きの観賞。
2.同様に、子供のころ父母に連れられて巡った、思い出のある箱根の各地を巡ること。
3.特に湿生花園では植物の勉強もすること。
の三つですが、当然のことながら写真を撮ることも前提として入っていました。

子供のころの思い出と、昨年の様子を交えて、今回の旅をまとめていきたいと思います。

・1日目の15日
夜勤明けで帰宅してから一休み。
その後に旅支度をしての出発となったので、箱根に着いたのは夕方です。
予約を取っていた湯本の旅館で温泉に浸かってから、強羅へと様子を見に行きました。


箱根に行ったというと「ロマンスカーで行ったの?」と聞かれることが多いのですが、横浜在住の私にとってロマンスカーは無縁のもの。
横浜駅に出て東海道線で小田原、そして湯本へと向かうのが通例です。
父が「大船の観音様が見えたてきたよ。」と教えてくれ、家族で大船の大きな観音様の像を車内から眺めながら通り過ぎていったのを思い出します。


箱根湯本から強羅へと向かう登山電車の車中。
子供のころの家族旅行では、箱根に着くのは、決まってといっていいほど夕方暗くなるころでした。
そのころ夜の登山電車には、たくさんのガ(蛾)が車内に飛んで入ってきていました。
それが当たり前の時代だったのです。
昆虫が好きな男の子だった私は、それらの蛾の中で目につくものを捕まえて三角紙の中にしまったものです。
オオミズアオやコミズアオ、アゲハモドキなどの蛾を知ったのも、この登山電車の中での経験があったからでした。
今から思うと、両親は「そんなもの気持ち悪いからさわるのよしなさい!」などと言わずに、よく笑顔で私のそんな様子を見守っていてくれたと思います。


そんな登山電車も、今では夜暗くなっても蛾など車中に一匹も入ってはきません。
もちろん、今そんなことがあったら、乗車客が騒ぎ苦情が出るでしょう。
それだけでなく、昔と比べて昆虫たちが激減した印象もあります。
今はそれが当たり前の時代なのかもしれません。
でも、私個人的には、淋しい気がします。
そんな中、昨年はたった1匹の蛾が、登山電車の窓ガラスの外側に止まっているのを見ました。
私としては、それが嬉しかったです。

・2日目の16日
朝早く起きて、湯本から湿生花園へと向かいました。
風雨のある悪天候の中、園内を巡りながら目につく植物の写真を撮っていきました。
その後、強羅へと向かいましたが、ケーブルカーと船が運航休止となっていることが判明。
昼食をとり、いったん宿に戻ることにしました。
夕方、再び強羅へと向かい大文字焼きが始まるまで待機。
また雨が降りそうな雲行きでしたが、降らず、雲も山にはかかっていませんでした。
そして、くっきりと大文字焼きと花火とを見ることができました!


湿生花園で。ミソハギとセセリチョウ。
タデ科のミゾソバという水生植物があります。これは溝に生えるソバのような花を咲かせる植物なので、この名があるといいます。
これに対し、ミソハギは禊ぎハギが由来なのだそう。お盆のころに花を咲かせる植物で、お盆の供物にこの植物を使って禊ぎを行なっていたのだそうです。


同じく湿生花園で。カワラナデシコとツリガネニンジン。
ツリガネニンジンは、私の住む町にもまだ生育しています。しかしながらカワラナデシコは姿を消してしまいました。
復活させたいと思案中です。
緑や花を大事にとは、よく聞かれる言葉です。でもこの言葉と実際とはいかに違うことが目立つことでしょう。
この言葉の中に、野生植物が含まれない事例が目立つのです。
湿生花園では、本当に植物が大事にされていると思います。


強羅の会場ではステージでのショーも行われ、楽しかったです。
写真は歌手のMILLEAさん。


昨年2017年の大文字焼き。雨と雲の中に「大」の字が少しぼやけて浮かび上がりました。
見えていた時間も短く、しばらくすると雲に隠れてしまいました。
そんな天候の中、本当によく決行してくれたと思います。
私にとっては母の亡くなったこの年。中学生のころ最後に家族で訪れて以来、実に何十年ぶりに大文字焼きを見に行ったからです。


今年2018年の大文字焼き。今年も天気は曇りでしたが、「大」の字の刻まれた明星ヶ岳には雲はかぶっておらず、大の字も花火もくっきりと浮かび上がりました。
来年2019年もきっと見に行きます。今度は一人旅でなく、ちゃんと恋人を作って!

・3日目の17日
大文字焼きと湿生花園以外の場所については、全てこの日に期待。
期待通りに朝から晴れていて、大涌谷へと向かいました。
富士山が見えて良かった!もちろん、黒卵も食べました!
桃源台へ出て、船で箱根町へ。
ここで海鮮丼を食べてから、徒歩で元箱根へ。途中、箱根公園や杉並木を歩きます。
元箱根では箱根神社に立ち寄りました。
最後に、船で桃源台へと戻り、ビジターセンターへと立ち寄り、帰途につきました。


登山電車、ケーブルカー、ロープウェイ、船・・・と色々な乗り物を乗り継いで巡るのも、箱根の旅の楽しみの一つ。
写真はケーブルカー車内にて。


乗り物に乗りながらの絶景も、また楽しみ!
ロープウェイより眺める大涌谷の深さと険しさ。乗り物とその落とす影のなんと小さなこと!
背景には雲をかぶった富士山。

●宿について
昨年宿泊した宿も良かったので、今回も予約をしようとしたら、既に満室でした。
箱根総合観光案内所に電話をし、相談に乗ってもらったところ、今回初めての宿を紹介され、そこに宿泊することにしました。
ここは私好みの宿でした。
ただ、箱根と言えば高級旅館を思い浮かべるような一般の方々には、向かない旅館だとは思います。
けれども、利用者は多かったです。
私としては、今後箱根旅行の際には、ここに宿泊したいと思っています。

●食事について
箱根には美味しいものももちろんありますが、お値段高めです。
朝・昼・夕、3食とも全て、こうした食事をとるのは、経済的に負担になると思います。
今回考えたのは、湯本を箱根巡りの拠点とし、朝食と夕食は湯本と目と鼻の先の小田原まで出て食べることでした。

●新たな課題
箱根は古くから温泉地、観光地として知られていて、私も両親に連れられて行っていた子供のころは、そういう場所だと思っていました。
ところが大人になり、近年再び行くようになってわかってきたことは、やはり自然が豊かな土地だということです。
箱根の自然や生きもの。特に湿生植物のことを勉強しに、今後も箱根に通いたいと考えています。

2018年夏2泊3日の箱根の旅

2018年08月18日 | 旅行記
2泊3日の箱根の旅から帰ってきました。
行きたいところに全部行き、撮りたい写真を全部撮ってきたという感じで、大変満足しています。
取り急ぎ、今回の旅のベストショットを。
昨年のまだ書いていない記事も含め、詳しいお話は後日少しずつしていきたいと思います。


箱根湿生花園植生復元区から仙石原を望む


強羅の大文字焼き


大涌谷から見た富士山


同じく富士山と芦ノ湖


芦ノ湖より、富士山と箱根神社と海賊船

あれから1年

2018年08月14日 | 旅行記
子供のころ夏休みになると、毎年のように家族旅行で箱根に行きました。
ちょうと大文字焼きに合わせてです。

昨年、最後に行った中学生の時以来、何十年ぶりに箱根に大文字焼きを見に行きました。
それは昨年の正月に、母が急病のためこの世を去っていき、とうとう両親ともこの世にいなくなってしまったということがあったためでした。

両親の供養も兼ねて、家族の思い出の地を旅し、大文字焼きを見るというのが目的でした。
当日は雨が降りましたが決行され、本当に何十年ぶりに大文字焼きを見ることができました。

この箱根への旅に関連して、いくつかの記事を書くつもりでいたのですが、書かないまま、1年が経ってしまいました。
この一年の間も一定のアクセス数があり、ご覧くださっている方がいらっしゃるのは、わかっているのに、申し訳ありません。

ただ、母がいなくなってからというもの、独身の私は食事や洗濯などに手を貸してくれる人がいなくなってしまい、生活が大きく変わって負担が大きくなってしまったということがあります。
このことをご理解いただきたいとは思います。

さて、あれから1年が経ち、また大文字焼きの日が明後日やってきます。
今年も見に行きます。
当日は曇りの予報ですが、大文字焼きはもちろん、箱根の山や湖、温泉、おいしいもの、そして強羅の会場の屋台などで、箱根の人々とお会いできるのを楽しみにしています。



雨の中決行 雲の中に見えた箱根の大文字焼き

2017年08月18日 | 旅行記
前回の記事に書いた旅の予定どおり、8月15日から17日にかけて、大文字焼きを見ることを目標に箱根旅行に行きました。

子供のころ夏になると、毎年のように家族旅行で行っていた箱根。
強羅に宿泊し、父母と一緒に大文字焼きを見たものでした。
最後に大文字焼きを見たのは中学生の時でした。高校生になると僕は家族と行動を共にすることがなくなってきたからです。

箱根自体は2008年から2011年にかけて、慰労を兼ねて何回か旅をしています。
2008年の箱根もも何十年ぶりだったのですが、今回の大文字焼きは、それ以上に昔懐かしい感じです。

今回、大文字焼きを見に行きたいと思ったのには、ある思いがありました。
実は今年の年明けに母が急に肺炎を起こし亡くなり、とうとう両親ともこの世にいなくなってしまいました。
そこで両親、特に母の供養の気持ちも込めて、子供のころ家族旅行でよく見た大文字焼きを見に行くことにしたのです。

だから何としても見たかったのです。
ところが15日も16日も雨。
天気予報では曇り・雨。でも小雨決行ということでしたから、少しは期待していました。
しかしながら、現地に到着すると小雨は小雨でも山に雲がかかっていて、これでは決行されても見えないんじゃないかという状態。
気分的にあきらめムードとなり、帰ろうとも思いました。


これが15日の朝の様子。
箱根登山ケーブルカー早雲山駅より大文字の山を眺望しようとしますが、どこにあるのかもわかりません。

ですが16日の朝のこと。
「せっかく来たのだから、ゆっくりしていきなさい。」
「雨でも、楽しんでいけばいいじゃないか。」
そのような声が心の中に聞こえた気がしました。
この声で「見ることができるだろうか。」「今回は帰って来年を待った方が良いだろうか」といった不安や迷いがなくなり、残ることにしました。
それは父や母のスピリチュアルな声だったのかもしれません。


これが16日の朝の状態。
雲がこれくらいなら何とか見れるかも・・・と期待はしたのですが、開始時間が近づくと雲は厚くなり再び雨が降ってきたのです。

大文字焼きは小雨の中、決行されました。
このような天候の中、点火も難航していました。

強羅の会場では、向かいの大文字の山と無線でつながり、その交信の様子が放送されています。
花火が打ち上げられ始め、山からは
「(大文字も)もう点火しています。よく燃えています。」
と声が入っても、雲のために強羅からは見えないではありませんか・・・!


花火は打ち上げられ始めましたが、大の字は見えません・・・!

見えずに終わってしまうのだろうかと不安がよぎりました。
そんな状況の中、かすかに見え始めた「大」の文字!
そして雲で決して鮮明ではありませんが、次第にはっきりと見えてきました。


雲でぼやけていますが、大の字が見えてきました!

「大」の文字が見えたのは、わずかな間でしたが写真も撮ることができました。
曇っていて鮮明ではありませんが、僕にとっては大事な写真です。


曇ってはいますが、より鮮明に見えるようになりました!

目標を達成することができ、胸がいっぱいになりました。
冒頭に書いた気持ちで臨んだ何十年ぶりの箱根の大文字焼き。
雨の中でしたが、やってくれて本当に良かったという気持ちです。
運営サイドのみなさん、この雨の中、よく決断し決行してくれたと思います。
また来年、大文字焼きを見に行きたいと思います。


子供のころ、よく家族旅行で見た箱根の大文字焼き。
両親の供養のためにも、これからは毎年見に行きたいです。
また来年まで、さようなら。

・・・今回の箱根旅、その他の話は後日連載していきたいと思います。

冬の旅の記録 横浜の雪景色からの回想 ~その5~

2015年03月16日 | 旅行記
この連載記事は、1回目の横浜の雪景色から始まり、2回目・3回目で北海道の雪景色
の中でのタンチョウの群れその他の鳥たち、4回目では鹿児島で見られるツルの群れる
風景をお見せしてきました。
今回5回目は、鹿児島で見られるツルの種類をお見せしていきたいと思います。

北海道のタンチョウは年間をとおして北海道に生息する留鳥で、その生息数は1000羽を
越える程度です。
これに対し鹿児島のツルたちは、冬になると北方の国々から渡ってくる冬鳥で、その数
は10000羽を越えます。

そのうち最も多いのがナベヅルで10000羽程度、次に多いのがマナヅルで5000羽程度。
残りがクロヅル、カナダヅルなどのその他の種類のツルなります。



ナベヅルの家族


マナヅルの家族


クロヅル


カナダヅル


同じツルなので、渡りをするかしないかの大きな違いはありますが、その行動は大変
似ています。
2回目でタンチョウは群れの中で家族ごとに行動するとお話ししましたが、鹿児島の
ツルたちも同じく家族ごとに行動します。

求愛行動もそっくりですね。


マナヅルの求愛行動

冬の旅の記録 横浜の雪景色からの回想 ~その4~

2015年02月25日 | 旅行記
この連載記事では、1回目で横浜の雪景色、2回目・3回目で北海道の雪景色の中での
タンチョウの群れやその他の鳥たちをお見せしてきました。

今回、4回目は冬に見られる鹿児島のツルたちをお見せしていきたいと思います。

さて、ツルというと誰もが真っ先にタンチョウを思い浮かべると思います。
そしてタンチョウ以外のツルを思い浮かべられないのではないでしょうか。
でも、ツルはタンチョウだけではありません。
ほかにも色々なツルの仲間がいます。

南国鹿児島に冬鳥(冬の渡り鳥)として渡ってくる、マナヅルやナベヅルたちがそう
です。
まぁ近年では鳥インフルエンザの関連で、鹿児島県出水市のツルたちがテレビでも紹介
されるようになってきていますので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

鹿児島の出水には毎年冬になると1万羽を越すツルたちが飛来します。
ツルの群れが飛来するのは出水の干拓地で、海を埋め立てて田畑にした土地です。
秋に刈り取られたイネは、その直後芽を出して冬になるまでに再び米を実らせます。
ツルたちは、これらを餌として利用するために飛来します。


鹿児島出水のツルの群れ


背景に広がる山並みと家並み。そしてその前方に広がる広大な田畑にツルたちは飛来します。


群れの上空を飛翔する1羽のナベヅル

北海道の広大な雪景色の中にタンチョウがいるのとはまた違い、山並み、家並み、田畑
といった人の関わりの深い半自然の風景の中に多くのツルがいるのは、人と自然との共存
を感じさせます。
そこに魅力を感じたのが、僕がこの出水とツルたちを好きになった理由の一つです。

冬の旅の記録 横浜の雪景色からの回想 ~その3~

2015年02月18日 | 旅行記
この連載記事では1回目では横浜の雪景色、2回目では北海道のタンチョウ
のいる雪景色を説明しながらお見せしました。

今回の3回目は北海道の雪景色の続きです。
雪景色の中タンチョウを見ていると、ほかの鳥たちもやってきます。
上空にはオジロワシが飛び交います。
また地上の木々の小枝ではシマエナガなどの小鳥たちが餌をついばみ
ます。


オジロワシ

シマエナガ

動物たちもやってきます。
キタキツネ、エゾジカ、そしてエゾリスなどです。


キタキツネ

エゾジカ

エゾリス

釧路博物館にはアイヌ文化の展示コーナーに大きな木彫りが展示されています。
タンチョウやクマやいろいろな動物たちが描かれていて、その中に人間(アイヌ)がいるのです。

アイヌ語でタンチョウはサルルンカムイと言って、湿原の神という意味。
クマ(エゾヒグマ)はキムンカムイと言って、山の神という意味。
アイヌの人たちは湿原や山といった主だった自然環境の代表的な動物たちを神様としてきたよう
です。
そしてアイヌとはアイヌ語で人・人間という意味だそうです。

この木彫りはこうしたアイヌの人たちの世界観・自然観を表現したもののように感じられます。
つまりそれは、人間は自然の一部。地球の自然があってこその人間という存在なのだということ
だと思います。


釧路博物館に展示されているアイヌの木彫り

冬の旅の記録 横浜の雪景色からの回想 ~その2~

2015年02月11日 | 旅行記
前回からのつづきです。
前回は、雪景色の横浜でスズメの写真を撮っている人たちの光景をお見せしました。
これからしばらくは「冬の野鳥たち」をテーマに、昨年に行なった写真展で展示した写真たちをお見せします。


前回、横浜の雪景色をお見せしました。
雪景色といえば雪国北海道。
北海道で雪景色の中の野鳥といえば、タンチョウがいます。
春から夏の繁殖期は各ペアごとにテリトリーを持って過ごすのですが、冬の間は群れで過ごします。


タンチョウは羽を広げると2mを越え、立ち姿でも140cmもあります。
大型の野鳥ですね。


さきほど、冬の間は群れで過ごすと言いましたが、ペアとなっていない単独のオス・メスや子連れのペアが集まって群れになるのです。
そのため、群れの中でも家族ごとにまとまって活動します。
写真では右寄りの2羽がオス親メス親で、左の白色黒色がはっきり出ていないのが前の年に生まれた
このペアの子供です。


単独のオスとメスは求愛ダンスをします。
オスが顔を上げながら胸を反らし羽を上げ嘴を高く上げて「コォー、コォー」とかん高い声を上げるという動作を繰り返し、メスもそれに応えて同じ動作をして同じように鳴くのです。
時には飛跳び上がるほど激しく、この求愛行動をすることもあります。
すでにペアになっているオスメスも、愛を確かめ合うのか時々同じように求愛ダンスを踊ります。

子育ての最中のタンチョウの写真は、初夏の北海道の写真たちと一緒にお見せしたいと思います。
まだしばらく「冬の野鳥たち」が続きます。


冬の旅の記録 横浜の雪景色からの回想 ~その1~

2015年02月08日 | 旅行記

この間、横浜でも雪が降りました。今回はあまり積もりませんでしたが、昨年の今頃はもっとたくさんの雪が降って積もりましたね。
この写真はその頃の山下公園です。


この時期、みなとみらい地区で雪の中で写真を撮っている人たち(女の子たち)を見つけました。


木の枝先に止まっている、スズメを撮影していたんですね。


スズメは野鳥といってもありきたりな鳥ということで、あまり見向きされないのですが、
こうして雪景色の中でスズメを撮るような女の子たちもいるんだなぁと、良い感じで自然と
ふれあっているこの光景を、ほほえましく思いました。

僕自身も、こうした写真を撮るのが好きで、身近な自然や生きものたちをはじめ、北海道
や鹿児島などにも旅行して野鳥や野草などの写真を撮ったり自然と親しんだりします。

今回は冬の野鳥たちをテーマに北海道、鹿児島、そして僕の住む横浜で見られる野鳥たちを
撮った写真をお見せしていきたいと思います。

つづく・・・

横浜に帰ってきてから(その2)

2012年07月14日 | 旅行記
霧島に行っても指宿に行っても山々の緑に囲まれていた鹿児島旅行。
たった3日間の旅行でしたが、横浜に帰ってきてから緑の量の差を
強く感じました。
横浜には緑が少なすぎます。

鹿児島で見た緑ですが、一つの風景の中に防風林、田畑、広葉樹林、
杉の植林・・・と様々な緑が見られました。
緑は水や空気をきれいにしてくれたり、海から吹く強い潮風を和らげ
てくれたり、食物となってくれたり、衣服や家屋や家具の材料といろいろ
な働きがあって、私たちの命や生活を支えてくれているものなのです。

そんな緑が鹿児島ではたくさん見られ、それが人々の生活のすぐ近くに
あったのです。
このように私たちを支えてくれる緑というものが、横浜には全くないに
等しくなってきていると感じられてなりませんでした。

そして、もっとたくさんの緑を身近に置きたい。たとえ限られた範囲でも、
植物の持ついくつかの働きを生活の中に取り入れたいと思うようになりま
した。



最初にほしいと思ったのは鹿児島でサネンと呼ばれていた植物です。
正式名称(図鑑に載っている標準和名)はゲットウといいます。
宿泊したホテルのガイドさんに、鹿児島では昔、サネンの葉でおにぎりを
包んでいたというお話を聞き、人々が自然の緑と共存する象徴のような
植物に思われたからです。

指宿は温泉を利用して観葉植物の生産も盛んだということを聞いていた
ので、指宿で環境植物のネット販売をしている業者を探し、取り寄せました。
今では新しい葉を伸ばし、私の部屋で育っています。


室内向けのゲットウ(サネン)、キフゲットウ




本当は雑木林に生育する植物たちのように、もともと身近に生育して
いた植物を暮らしのそばに置きたいものです。
しかし自然の草木を家庭で育てようとしても、うまく育ってくれない
ケースが多いですね。
また、自然の緑は人間が水や肥料を与えなくても自分で育っていって
くれますが、園芸植物は水や肥料を与えなければ育ってくれません。

こうしたことをよく考えた上で、たとえ家庭でも育てやすい植物として
品種改良されたような植物であっても。また、人の手で水や肥料を与え
ながら育てるという形であっても。やはり暮らしの中にたくさんの緑を
置く価値は大きい。そういう結論に達しました。


今の自宅の小さな庭や自分の部屋の窓のすぐ外など、取り入れられる範囲
で取り入れたいと思う何かの働き(目的)を持つ緑をと考えたのですが、
大きく分けて次のような植物があると良いなと思いました。



1.夏の強い日光を遮ってくれる植物(緑のカーテン)

2.森林のようなよい香りを漂わせてくれる植物

3.食べられる植物(実の食べられる植物など)

4.チョウやミツバチなどの昆虫が蜜を吸いにやってくる植物



鹿児島旅行から横浜に帰ってきて間もなく、
横浜公園で植木市が開かれているのを見つけました。


鹿児島旅行から帰ってきて、こんなことを思ったり考えたりしていたある日、
横浜開港記念バザールが開催されました。
その中で植木市もあって、一般に市販されている価格に比べてかなり
安くなっていたので、この際と思い、たくさんの植物を購入しました。

どれくらいの量かというと、長さ90㎝3段のひな壇型フラワーラック
2つ分くらいです。
ちなみにこのフラワーラックも後から購入することとなりました。



1の植物は昨年から始めていて、昨年採れたアサガオとフウセンカズラの種
をすでに蒔いていました。

2の植物は、ラベンダーの大きな株を中心にローズマリーやミント類を購入。

3の植物は、ブルーベリーの中くらいの株を2本、ミニトマトの苗を10本、
イチゴの苗を3本。そしてイネも購入しました。

4の植物は、キバナコスモスやマリーゴールドを中心に購入しました。

その他多肉植物も購入しました。




自宅の緑を一気に増やしました。



こうして自宅の緑の量を一気に増やし、そばにいると見応えするようなり
ましたが、これからも取り入れられる限り増やす予定でいます。

2012年5月の鹿児島旅行 3日目

2012年06月09日 | 旅行記
2日目は温泉に入り食事をして終わりました


2日目は、薩摩富士という別名のある開聞岳という山を登ったのですが、
予想以上に時間がかかりました。
また、下山途中で貧血を起こして倒れてしまったったということがあって、
かなり予定が狂ってしまいました。

でも、この日はもうホテルでゆっくり休むしかなく、お風呂に入り食事をして終
わりました。
指宿も温泉の町で、普通の温泉のほか砂蒸し風呂が有名です。両方の温泉
に入り、ゆっくり疲れを取りました。
夕食は黒豚カツ定食を食べました。お店の料理人の方とも楽しくお話をしま
した。

登山は大変で一時はどうなるかと思いましたが、このようにして良い形で2日
目を終えることができて良かったです。



ホテルの庭園ガイドがとても楽しかったです


3日目の朝を迎え早朝6時半。楽しみにしていたことがありました。
それは地元のボランティアガイドさんと一緒にホテルの庭園を歩きなが
ら、庭園で見られる植物や風景の解説を聞くという催しです。

このホテルにはホテル建物の回りを一周できる庭園があり、色々なヤシ
の木や熱帯植物が植えられています。
そういった植物の中で特に印象に残ったのは現地でサネンと呼ばれて
いる植物です。

ガイドさんのお話によると昔はこの葉でおにぎりを包んでいたそうなの
です。というのはサネンはショウガ科の植物で抗菌作用があるからだ
そうです。
私はこの話に人と身近な緑との密接な関係、人と自然との共存の象徴的
なものを感じました。

このボランティアガイドさんとは庭園ガイドの後も、2人で長話をし、
ガイド本には載っていないような指宿の魅力を色々聞きました。
そして、また指宿に必ず来ようと思ったのです。



ホテル庭園からの朝日(5時56分)


ホテル庭園のサネン(標準和名をゲットウといいます)



2日目の遅れを一気に取り戻せました


いつもだったら2~3㎞くらい平気で歩くのですが、2日目が2日目だった
ので、ホテルからタクシーで駅に向かうことにしました。

タクシーに乗ると運転手さんが、「指宿に来て、●●は行った?▲▲
は行った?」と聞いてくるのです。「せっかく指宿に来たんだから、どう?」
と・・・。
そこで2日目の遅れを取り戻すために、この話に乗ることにしました。
貧血で倒れてしまったりしたため、下山してからやろうと思っていたこと
ができなかったからです。

長崎鼻という岬は開聞岳の眺めが良くて最高でした。現地で言葉を交わ
した地元指宿の方も言っていましたが、ここは本当に眺めがすばらしい
ので、観光客ばかりでなく地元の人もよく訪れるということでした。

日本最南端にあるという西大山駅も造られた風景ではありましたが、
素晴らしいものでした。
駅前には「幸せの黄色いポスト」と呼ばれるポストがあり、開聞岳と合わ
せていい写真が撮れました。



長崎鼻からの薩摩富士


西大山駅駅前にある幸せの黄色いポストと薩摩富士



こうして今回の旅行が終わりました


貧血で倒れたというハプニングがあったり、予定を変えてタクシーを
利用したりということがありましたが、また会いたい人、また行きたい
ところ、新たに行ってみたいところが増えました。

旅行は素晴らしいです。
いつも自分が住んでいる町や会社、学校、人間関係、環境など、
それが当たり前だと思っているものが、当たり前とは限りません。
この世にはまだまだ色々な素晴らしい世界があるのです。

また、もしかしたら、あなたの住んでいる町はあなたが憧れている
町よりも本当は素晴らしいかもしれません。

ただ、はっきり言えるのは、戦争とか侵略とかいうものはご免だと
いうこと。
それから平和が大切だということ。
あともう一つは、人と人とがそのように平和を保つだけでなく、
人は自然とも共存することが、平和のためには大事だということです。

今回の旅で得られたものは大きく、私の心の中で何かが変化した
ような、変化をし始めているような、そんな感じがしています。

なので帰ってきてからも、まだ旅が続いているような感じでいるのです。
その中で思ったことも、書きつづっていきたいと思います。

2012年5月の鹿児島旅行 2日目

2012年06月07日 | 旅行記

部分月食と金星の太陽面通過の話が終わりましたので、
話を5月の鹿児島旅行にもどします。



開聞岳への憧れ

初めて屋久島に行ったのは2009年の7月。皆既日食を見るためでした。
その時フェリーに乗ったのですが、同行してくれた地元鹿児島の方の
説明で、指宿には薩摩富士という別名を持つ開聞岳という山があり、
富士山に似た姿をした美しい山だという話を聞きました。

しかしこの時も、その後2度に渡って屋久島を訪れた時も、雲が出て
いて開聞岳を見ることができずにいたのです。

そのうち、いつか必ず開聞岳の姿を見たい。そしてぜひ登頂して、
頂上からの景観を眺めてみたいと思うようになっていました。



前日に無理がありました

前日の夜はホタルを撮影するために、夜10時近くまで現地で粘って
いました。
翌日に響くから早めに帰ろうということも考えましたが、来た以上
は納得できる写真が撮れるまで帰れない…と、翌日に登山を控えて
いるという事情があるにも関わらず、少し無理してしまったと思い
ます。

そのためホテルに到着したのは11時過ぎ。
翌日は朝4時に起き、4時台の始発に乗って登山口のある駅に向かい、
6時半過ぎから登山を開始するという予定を決行しました。

パンフレットのガイドには2~3時間で登れると書いてありましたが、
全然そんな時間では登れませんでした。
アップダウンがなく、ただ延々と続く上り坂。そして人1人が通れる
くらいしかなく、岩のゴツゴツした悪路…。私から見た開聞岳は、
そういう山でした。


駅前看板(1)


駅前看板(2)





準備も不足していたと後になって思いました

なんとか登頂し、目標どおり山頂からの写真も撮影しました。
とても素晴らしい眺めでした。

しかし登頂した時には1リットル持っていた水も全て飲み干し、昼ごろ
までには下山している予定でいたので、昼食も持っていませんでした。
しかも睡眠不足のせいか食欲もなく、朝食はおにぎり1個しか食べて
いなかったのです。

他の優しい登山客が、おにぎりを1つ分けてくれました。
「もう1ついかが?」と言ってくれたのですが、食欲がありませんでした。


山頂からの風景(1)


山頂からの風景(2)



貧血で下山途中に倒れてしまいました

山頂でしばらく休み、下山しようと立ち上がった時、クラクラッと
立ちくらみがしたので、マズイかな…とは思っていました。

そしてとうとう、まだ半分下山していないというところで私は貧血を
起こし、登山(下山)道の右側、下り斜面に頭からバタッと倒れてし
まったのです。

この状態のままで下山してはまた倒れて危ないと思ったので、体調が
整うまで休むことにしました。



下山途中の団体の人たちに助けられました


休憩しはじめて30分くらいたっても心臓はドキドキし、息もハーハーした
ままです。
このままでは救助を呼ばなければならなくなるだろうかとか、地元の
新聞に載ることになるだろうかとかいうことが頭をよぎりました。

そこを通りがかりの下山途中の団体の人たちが助けてくれたのです。

水を分けてくれ、糖分補給のための菓子を分けてくれ、私の重たい
荷物を代わりに背負い、ステッキを貸してくれたのです。

頭に十分な血が回っていないためか、立ち上がって歩こうとしても
始めのうちは体調がおかしかったのですが、次第に体力が回復して
きて、無事に下山することができました。

名も知らぬ、登山仲間の方々のおかげです。



開聞岳全景(1)


開聞岳全景(2)



その後地元指宿の方から聞いた話です。

地元では、開聞岳に1度も登ったことのない人はバカと言われている
そうです。それは、見てこんなに美しい山なのに一度も登ったことが
ないなんてバカだという意味なのだそうです。

だけど2度登った人もバカなんだそうです。それは開聞岳は見て美し
い山だけど登るのにはキツイ山なので、1度登れば十分。2度も登る
なんてバカだという意味なのだそうです。

では3度登った人は何かというと、大バカなんだそうです。

開聞岳をはじめとした山の厳しさや、それでもそういう山にまた登る
人を皮肉っぽくも愛情を込めて表した言葉だと思いました。

2012年5月の鹿児島旅行 1日目

2012年06月03日 | 旅行記

今回鹿児島旅行をした理由・目標

先週の昨日は、鹿児島県霧島市・指宿市への旅行の第1日目でした。

鹿児島には今まで屋久島に3回、出水に3回旅行していますが、霧島、
指宿は今回が始めてでした。

こんなに鹿児島へと旅行をするのは、行くたびに鹿児島の魅力の深さ
を知り、行ってみたいところが増えたということがあります。

そこで今回は、霧島には高千穂岳、ミヤマキリシマ、ホタル。
指宿には薩摩富士とも呼ばれ山姿の美しい開聞岳を目標に
鹿児島旅行をすることにしたのです。



第1日目は霧島へ

前日の夜のうちに予め鹿児島市街入りをしていた私は、翌朝、第1日目
の朝7時にホテルを出て霧島へと向かいました。

霧島神宮駅を降りると、駅の前を流れる川に魚が群れています。
それも川に流れ込む、白く濁った水の回りに群れているのです。

その様子を見ていたタクシーの運転手さんにたずねると、豆乳が川に流れ
込んで、それを目当てに魚たちが集まっているのだということでした。
霧島は水が綺麗なので、豆腐作りが盛んなのだそうです。


こうした会話をきっかけに、その運転手さんに霧島を案内してもらうこと
になりました。
自分で調べて計画を立ててはいたのですが、やはり現地の人にはかないま
せん。

お金の問題はあるのですが、遠方の初めて行く旅先ではこのような人に
ガイドをしてもらった方がよいと、経験的にわかっていたからです。


ミヤマキリシマ、魅力的でした!

はじめに高千穂河原にミヤマキリシマを見に行きました。
ミヤマキリシマは国の天然記念物となっているツツジの仲間で、九州に生育
する高山植物です。
同じミヤマキリシマの花だというのに濃いピンク、朱色、紫がかったピンク
・・・と、株によって微妙に色合いがちがうのです。
白色もありましたが、白色の花びらの回りだけピンクがかったものもありま
した。

ツツジは町なかでもよく見られる植物で、ありきたりな植物だと思っていま
した。

しかし株によって様々な色合いの花を咲かせるミヤマキリシマが、人の手に
よって植えられたものでなく、高山に自生しているというところにたいへん
魅力を感じました。


高千穂河原のミヤマキリシマ

新萌岳の噴火の影響で現在高千穂河原の登山道へは侵入禁止となっています。
写真は登山道入り口付近です。


3色並んで咲いているミヤマキリシマ


こんな花色のものもありました。


山肌ほんのりピンク色に染まっているのは、ミヤマキリシマの花の色のためです。



* 高千穂河原は河原のように石がゴロゴロ転がっていることから、この名があります。
  高千穂河原には、昔、霧島神神宮が建っていた跡が残されています。霧島連山は昔
 からたびたび噴火したために神社はそのたびに焼失。そのために山の下の方に移さ
 れたのです。
  高千穂河原には、環境省の施設のビジターセンターもあります。




天孫降臨の霧島神社でいろいろ考えてしまいました


霧島は日本神話のアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトが地上を治める
ためにやってきた最初の地と言われています。
(ただし宮崎県にも同じ伝説がのこされています)

さて・・・、ここまではロマンティックな話ですが、ここからは少しむずかしい
歴史の話になります。

それは昔、日本には大昔から縄文民族と呼ばれる先住民族が住んでいたのですが、
後から弥生民族という強い民族ががやってきたということです。

神話としてでなく日本の歴史としてみてみると、天孫降臨とは弥生民族が中国の
方から日本に渡って来て、縄文人たちの支配・征服を始めたたということなのです。

その弥生民族がなぜ神社に神様としてまつられているのか、想像すると2つに分か
れます。

1つは弥生民族が縄文民族よりも優れた文化を持っていて、その文化を縄文民族に
分け与えたので喜ばれ、縄文民族から神様的にたたえられたということ。
もう1つは弥生民族が縄文民族と日本国土をを支配していく過程で、強制的に神様
としてまつらせたというということ。

もし後者の方が事実だったら酷い話ですが、こちらの方が有力説となっているよう
です。
しかしながら、ゆるやかに混血が進んでいった程度で、侵略とか支配というほど
暴力などはなかったという話もあり、実際にはよくわかりません。

はっきりわかっているのは、現代の私たちは縄文民族と弥生民族との混血である
ということ。
それから、また戦前の学校教育では、天皇家は、これらの神々の子孫であると教
えていたということなどです。

色々と考えこんでしまうのですが、はっきり言えるのは戦争とか侵略とかいった
ものはご免です。この世で一番大切なのは平和ですね。



おとぎの国のような風景でした


霧島神社の後は、明治時代に建てられ築100年以上たつという、古い木造の駅舎の
嘉例川駅に行きました。

私が幼稚園に行くか行かないかの小さなころ、家の最寄りの駅もこんな木造の駅舎
だったことを思い出しました。

線路をはさんだ駅舎の向こう側には、雑草たちが白い花を咲かせ、さらにその向こう
側は小高い緑の山の風景。
チョウ(昆虫のチョウ)もヒラヒラと飛んでいて、のどかな田舎らしい風景をかもし
出しています。

そこに観光特急列車「指宿の玉手箱」が入ってきました。電気で動くのではない、
ディーゼル車両のようです。
嘉例川駅で降りた人々が客室乗務員の若い女性に列車と一緒に記念写真を撮ってもら
っています。

この列車が全席指定で予約もすでにいっぱいだというのは後から知りましたが、運よく
乗ることができました。
この列車に乗ることは今回の目的にはしていませんでしたが、乗ってみると魅力あふれる
列車で感激しました。

内部は近代的なデザインの中にもクラシックなデザインがふんだんに取り入れられ、
電灯も電球色(暖色光)、材質も木となっています。
そして社内には一切、余計な広告など貼られていません。

SLではないのですが、たいへん旅情と郷愁とを感じさせる、とても魅力のある列車でした。

ここでも田舎と都会との差を感じてしまったのですが、都会の電車は本数が多く、たくさん
の人を早く運ぶ代わりに、何か大切なものをなくしてしまっている感じがします。

一言で言うと、それは「味わい」といったことろでしょうか。
さきほど旅情とか郷愁とか言いましたが、人が心で感じる心地よさ、味わいといったものは、
とても大切だと思うんです。
人はただ機械的に生きるのではなく色々なことを感じながら生きるものだからです。
それは列車の乗り降りも同じ。例え、たったそれだけのことでも、そういった「味わい」が
感じられるか感じられないかで、その時を過ごす時間が特別なものにも、つまらない
ものにもなるのです。

都会の電車はそういったものを感じるようには全く造られてはおらず、ひたすら利便性と
合理性を追求し、そして企業、雑誌、商品などのPRを乗る人の目に押し付ける
といった感じになってはいないでしょうか。
そういう意味で都会の電車はあまりいいものとは言えなさそうです。


指宿のたまて箱


指宿のたまて箱車内



ホタルの写真撮影に成功しました


「指宿の玉手箱」に乗って目的の駅で降りると、ホタルが光る時間まで待つことにしました。

ホタルの生息すると聞いた水路沿い約1㎞の間には、神社が何件か建っていたので、これらの
神社に寄り道しながら待つことにしました。

横浜からこんなに遠くまで来て、ホタルが出ていなかったらとても台無しです。待ちながら、
今年になって本当にホタルが光り始めているのか不安になってきました。

道を歩きながら携帯電話で話している人が、何やらホタルの話をしています。電話の会話の
邪魔になるとは思いましたが、「ここはもうホタル出るんですか?」と聞きてみると
「出てます出てます!」と笑顔で答えてくれました。

そして暗くなるとホタルが光りながら飛び始めました。
本格的にホタルの写真を撮るのはこれが初めてです。
設定を変えながら何度もシャッターを切って、モニターで確認しながら感触をつかんでいきました。

匹数が少なかったため、あまり迫力は出ませんでしたが、ホタルの写真を撮ることができました。




ホタルの飛翔の写真が撮れました




丸尾滝


犬飼の滝と高千穂岳

上記以外にも丸尾滝や犬飼の滝を見てきました。

3日間の鹿児島旅行から帰って1週間

2012年06月02日 | 旅行記
先週の今日、私は3日間にわたる鹿児島旅行の第1日目を過ごしていました。
あれからもう1週間がたつのだなぁと、旅行中のことを思い出しています。

今回の鹿児島旅行は大変満足し、思い残すことはありませんでした。
やろうと思っていたこと以上の体験ができたからです。

長くなるので、本題の旅行記については明日以降、載せることにします。

2012年1月の鹿児島旅行記

2012年03月08日 | 旅行記
1月に鹿児島県出水市へ、ツルを見に旅行に出かけました。
2009年と2010年にも訪ねているので、これが3度目になります。

初めて行った2009年、背景となる山並みと家並みの前に広い田んぼが広がっており、
そこにたくさんのツルが群れている光景に魅かれました。
それにツル以外にもいろいろな鳥が見られたのも楽しかったです。



鹿児島県出水市のツル飛来地全景(2009年1月)

同じく出水市のツル飛来地全景(2010年1月)

鳥インフルエンザの影響で、昨年から田んぼのそばまで近寄れなくなったそうで、
それは今年も続いていました。


鳥インフルエンザ防疫のため、ツル飛来地への出入りの際は、消毒液でのタイヤや靴の消毒が
呼びかけられていました。

また、ツルを見物するさいにも、飛来地のすぐそばまで近づけないよう、進入禁止となっていました。



毎回いろいろな種類の鳥や生きものを見ようと、あちこちを探します。
今回は出水に飛来するツルたちの中で一番数の多い、マナヅルとナベヅルのほか、
ニュウナイスズメ、ミヤマガラス、イソシギなどを撮影することができました。


マナヅルの家族(2012年1月)

ナベヅルの家族(2010年1月)

ニュウナイスズメ(2012年1月)

ミヤマガラス(2012年1月)

イソシギ(2012年1月)

オオバン(2012年1月)

アオサギ(2012年1月)

ダイサギ(2012年1月)

コサギ(2012年1月)

ほかの種類のツルやコクマルガラスも見られることもあるそうで、それもとても楽しみにしていた
のですが、今回は(今回も)残念ながら見られませんでした。
これはまた次回の課題ですね。



鹿児島到着の1日目と翌日2日目は出水にいましたが、夕方早い時間には鹿児島市街地に移動です。

移動する前に、出水の武家屋敷も見学に立ち寄ることにしました。
出水には武家屋敷の家並みが保存されており、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった屋敷
もあります。
その竹添邸という屋敷を見学しました。

屋敷の中には「武士の心得」といった文章が掲げられていました。
その内容は現在にも通用するもので、小中学生の教育に活用されているそうです。
その中には

「礼儀正しくして上にへつらわず下をあなどらどらず 人の患難を見捨てず…」

といったことが書かれており、確かに人間そのようにありたいものだと思わせられます。

台所は土間でかまどがあり、焚き木を燃やしてご飯を炊くようになっています。
井戸や風呂場、トイレ(便所)は家の離れにあり、現在の生活様式と比べると、雨の日や
暗い夜、病気の時には大変だったのではないかと思いました。


NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ現場となった、出水武家屋敷群の竹添邸



出水から鹿児島市街地へ移動するには、九州新幹線もあるのですが、
肥薩オレンジ鉄道に乗ると、車窓からの景色が良いという話を聞いていたので、
この肥薩オレンジ鉄道を利用することにしました。

同じ車両に乗っていた女性客の方に、「○○駅近くで人魚岩っていうのが見えますよ。」
と聞いたので、車窓からカメラを構えて狙っていました。
畑があったり海が見えたりと、オレンジ鉄道の車窓からは、よい景観を楽しむことができました。
人魚岩の写真も車窓からの撮影に成功しました。

ただ人魚岩は、さきほどの女性客の方が「人魚岩といっても、私にはサルの親子が向かい合っている
ようにしか見えないんですけどね。(笑)」と教えてくれていなければ、多分気がつかなかったでしょう。


肥薩オレンジ鉄道の車窓からは畑、山林、海などの景観が素晴らしく、特に海の景観には迫力を
感じました。

銀河鉄道999デザインの車両も止まっていました。
銀河鉄道999は私の少年のころ大好きだった漫画です。
原作者の松本零士さんが熊本出身であることから、このような車両がデザインされたのでしょう。

車窓からの撮影に成功した「人魚岩」。
猿の親子が向かい合っているような形という話を頼りに確認、撮影しました。




今回は1回目、2回目の出水への旅でお世話になったボランティアガイドの方と1日目の夕食を共に楽しみました。
その時のボランティアガイドさんの話で、横浜と鹿児島との関係を知りました。
それは生麦事件です。
主に自然や野生生物たちとふれあうのが目的で旅をする私ですが、こうした話を聞いて、歴史にも少し興味を
持ちました。

そこで3日目は城山公園のほか、明治維新について楽しくわかりやすく展示している維新館という
施設なども訪ねることにしました。
維新館の建物の前には甲突川という川が流れており、桜島がよく見えました。
桜島は最近よく噴火するとのことで、夜に見ると火口付近が明るく見えることがあるそうです。
噴火の際に出る灰が町中降っていて、あちこちでその灰を掃いている様子が見られました。
噴火はこの維新館の前からも、よく見えるそうです。


鹿児島中央駅徒歩10分くらいのところにある維新館。明治維新についてわかりやすく展示されています。

維新館の前を流れる甲突川と前方にそびえる桜島

桜島は近年よく噴火し、火山灰を降らせています。



話を生麦事件にもどします。
江戸時代には各藩の大名が交代で江戸の徳川将軍に仕える、参勤交代という制度がありました。
その参勤交代で、当時の薩摩藩の大名行列が江戸から薩摩(鹿児島)へと帰る途中、
現在の横浜市鶴見区生麦で、行列の前を馬に乗ったイギリス人が横切ったそうです。
当時の日本でそんなことをしたら無礼者とされ、刀で切り殺されてしまうのが常識でした。

そのため、薩摩藩の武士が、そのイギリス人たちを刀で切りつけ、1名が死亡したというのが生麦事件です。
これをきっかけにイギリスは鹿児島を攻撃し、薩英戦争が起きました。

現在、生麦には生麦事件の石碑があるということを知り、旅行から帰ったら行ってみることにしました。


横浜市鶴見区の生麦にある、生麦事件の石碑

生麦事件と石碑についての説明



城山公園は小高い山の公園で、西郷隆盛の公式の死亡場所はこの近くとされています。
市街地にありながら緑が豊かで、夏にはいろいろなチョウ(昆虫の蝶)も見られるので、
1度目の鹿児島旅行の時に私の好きな場所の一つになりました。

今回も緩やかな坂や階段を上りながら城山公園の山頂へ…。
実は1月の2週目にカゼをひいて寝込んでいたので、病後の登山としてちょうどよいものでした。

常緑樹が多く、冬でも多くの緑が見られます。こうした緑の豊かな静かな山道を歩いているだけでも
気持ちが良いのですが、だんだん汗ばんでくると時おり吹くそよ風が涼しく、気持ち良さがぐんと
増します。

そんな中で、さらに木陰からはチャッチャッ…とウグイスの声が聞こえたり、地面に謎の種子が落ちて
いたりしているのが大変楽しく、気分は最高になります。
これだから登山や自然散策は楽しいでのです。


城山公園全景。左の鳥居が照国神社、右の建物が鹿児島県立博物館です。

常緑樹が多く、冬でも緑の豊かさが感じられます。そのこぼれ日の中、緩やかな坂道を登っていくのは
大変気持ちのよいものです。

地面に目を向けると落ち葉といっしょに巨大なタンポポの種のような種子が落ちていました。
こうしたものを発見するのも大変楽しいものです。
何の種子かはまだ調べていません。



城山公園から鹿児島中央駅に向かう帰り道、黎明館という施設を見つけました。
毎回、城山公園を訪ねるときはよく通り過ぎる場所なのですが、それまでは特に気にしていなかった
のです。
しかし今回は縄文文化の特別展をやっていたため、関心を引かれました。

さっそく入場してみると特別展示ところか常時展示から、その内容が濃いではありませんか。
特に興味を引かれたのは鹿児島県で使われていた農耕器具や祭りなど、農耕文化をはじめとする自然と
人との関わりです。
ですが見ていても全部頭の中に入るわけがありません。
撮影も禁止されていたので、パンフレットを買い求めることにしました。


黎明館全景。
昔この場所に建っていた島津藩のお城「鶴丸城」の面影を残したデザインとなっています。
ちなみに鶴丸城は明治時代に焼失したそうです。


黎明館を出て中央駅に向かって歩きます。
途中、天文館に立ち寄り昼食をとることにしました。
天文館とは地名で、昔島津藩がこのあたりに天文台を建設したことから、この名があります。
現在でも天文台があるわけではなく、デパートをはじめとした色々な商店の建ち並ぶ商店街・繁華街
となっています。


昼食を食べに入ったウナギ屋さんの店頭にも、天文館についての説明がありました。



鹿児島といえども1月はやっぱり寒いです。
中央駅から徒歩3分程度のところにある西田温泉に行き、体を温めます。
通常の観光客が訪れるようなところではない、地元の方々に大切にされているような銭湯も、
私は好きです。
温泉(銭湯)から出ると鹿児島中央駅に向かい、みやげを買って帰途に付きました。


西田温泉。小さな銭湯ですが天然温泉で、地元の方に大切にされています。



鹿児島のおみやげ品にも色々なものがあり、楽しみなことの一つです。
ですが、これらは写真を撮らなかったので、次回の鹿児島への旅の時にお話をすることにします。

旅では地元の方たちとの何気ない会話や、こうした人々の笑顔がとても嬉しく感じます。
今回も、ボランティアガイドの方をはじめ、観光バスに同席した方たち、施設や売店の店員の方たちとの
会話がありました。
とるに足らないちょっとした会話や交流もあるかもしれませんが、こうした一期一会の出逢いも、
私にとっては大切な旅の思い出となっているのです。