Old Fukiya Elementary School, Takahashi City, Okayama Pref.
さてさて、高梁市の吹屋にやって来て、素晴らしい町並みを楽しんできたワタクシ達なのですが、
ワタクシ、吹屋の町並み以外に、ここに来たなら訪れたい場所がもう一つあったんですよ。
訪れたかった場所というのが、この旧吹屋小学校なんです。吹屋小学校は明治33年に東西校舎、
明治42年に本館が建築され平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古の木造校舎として使用されていた小学校なんです。
明治時代後期を代表する擬洋風の学校建築として評価され、岡山県の重要文化財に指定されているんです。
ワタクシ、10年以上前でしたがテレビでこの学校を目にして、是非とも訪れたいと思っていたんですよ。
平成24年3月、児童数の減少によって吹屋小学校は閉校しました。
その時の児童数は1年生と4年生各2名、5年生3名の計7名だったそうです。
その後、この校舎を文化財として後世に伝えていくために保存工事修理を実施し、令和4年4月21日に一般公開されたんですよ。
ではでは、この素晴らしい校舎を見学するとしましょうか。
ワタクシは大阪市内の小学校を卒業しました。今では創立100年を超える歴史ある小学校なのですが、
ワタクシが通学していた時はもう鉄筋コンクリートの校舎だったんですよ。
中学校も鉄筋コンクリートの無粋な校舎でしたので、ワタクシには木造校舎に通ったという経験はありません。
そんなワタクシですが、木造校舎を訪れると懐かしさを感じるのはどうしてなんでしょう。
自分でも不思議だなぁと思うのですが、この日も言葉には言い表せないノスタルジーを感じていました。
一階の廊下なのですが、大きさにビックリです。この廊下は「三間廊下」と呼ばれるのですが、長さが17間、奥行3間の三間廊下は、
雨天体操場として体育の授業が行われたり、学芸会などの催しも行われたそうなんですよ。
明治時代の教室が再現されていました。1台の横長の机に椅子が2脚。机に引き出が無いのですが、上から開ける机でした。
ワタクシは小学校の時に横長の机でしたが上から開ける形ではありませんでした。
ワタクシがこの教室を感慨深く見ている時、若いカップルが大きな声で会話をしながら入ってきました。
やたらと声がデカイ男が「うわ〜、この教室、なんか懐かしいなぁ」と言っていたのですが、
「あなたが小学生の時に、こんな机を使ってた筈が無いでしょう」と言ってしまいそうになりました。
使用したカメラ:1、2、6、7枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
明治時代、「教育を通して素晴らしい人材を育成しよう。教育こそが日本の未来を支える原動力だ」という考え方に基づき、
日本各地に立派な校舎が建てられました。その費用の多くは地元の篤志家や商人達が担っていたんです。
翻って今の日本はどうでしょう。先進国で日本ほど教育に金をかけない国はありませんし、教育に投資する企業家も少ないです。
そのしっぺ返しでしょうね。今の優秀な若者達は、教師になることを敬遠するようです。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
さてさて、高梁市の吹屋にやって来て、素晴らしい町並みを楽しんできたワタクシ達なのですが、
ワタクシ、吹屋の町並み以外に、ここに来たなら訪れたい場所がもう一つあったんですよ。
訪れたかった場所というのが、この旧吹屋小学校なんです。吹屋小学校は明治33年に東西校舎、
明治42年に本館が建築され平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古の木造校舎として使用されていた小学校なんです。
明治時代後期を代表する擬洋風の学校建築として評価され、岡山県の重要文化財に指定されているんです。
ワタクシ、10年以上前でしたがテレビでこの学校を目にして、是非とも訪れたいと思っていたんですよ。
平成24年3月、児童数の減少によって吹屋小学校は閉校しました。
その時の児童数は1年生と4年生各2名、5年生3名の計7名だったそうです。
その後、この校舎を文化財として後世に伝えていくために保存工事修理を実施し、令和4年4月21日に一般公開されたんですよ。
ではでは、この素晴らしい校舎を見学するとしましょうか。
ワタクシは大阪市内の小学校を卒業しました。今では創立100年を超える歴史ある小学校なのですが、
ワタクシが通学していた時はもう鉄筋コンクリートの校舎だったんですよ。
中学校も鉄筋コンクリートの無粋な校舎でしたので、ワタクシには木造校舎に通ったという経験はありません。
そんなワタクシですが、木造校舎を訪れると懐かしさを感じるのはどうしてなんでしょう。
自分でも不思議だなぁと思うのですが、この日も言葉には言い表せないノスタルジーを感じていました。
一階の廊下なのですが、大きさにビックリです。この廊下は「三間廊下」と呼ばれるのですが、長さが17間、奥行3間の三間廊下は、
雨天体操場として体育の授業が行われたり、学芸会などの催しも行われたそうなんですよ。
明治時代の教室が再現されていました。1台の横長の机に椅子が2脚。机に引き出が無いのですが、上から開ける机でした。
ワタクシは小学校の時に横長の机でしたが上から開ける形ではありませんでした。
ワタクシがこの教室を感慨深く見ている時、若いカップルが大きな声で会話をしながら入ってきました。
やたらと声がデカイ男が「うわ〜、この教室、なんか懐かしいなぁ」と言っていたのですが、
「あなたが小学生の時に、こんな机を使ってた筈が無いでしょう」と言ってしまいそうになりました。
使用したカメラ:1、2、6、7枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
明治時代、「教育を通して素晴らしい人材を育成しよう。教育こそが日本の未来を支える原動力だ」という考え方に基づき、
日本各地に立派な校舎が建てられました。その費用の多くは地元の篤志家や商人達が担っていたんです。
翻って今の日本はどうでしょう。先進国で日本ほど教育に金をかけない国はありませんし、教育に投資する企業家も少ないです。
そのしっぺ返しでしょうね。今の優秀な若者達は、教師になることを敬遠するようです。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
旧吹屋小学校は明治42年の建築ですね。
築113年ですね。
立派な校舎です。
僕の父親と同じ年です。
ぽち
木造校舎、風情がありますね。
若い方たちでも感動すると思いますよ。
たったの一年でしたが、今でも懐かしい感じが残っています。
朝起きたら右目に違和感が(; ;)
ますは目薬で・・・
治らなかったら目医者さんに行ってきます。
季節の変わり目はいろいろ起こりますね。
同じく、木造校舎に通った事は、
ないのですが(笑)
上に開けるタイプの机も、使った事が
ないわ。
ピカピカに磨かれた床に、驚嘆。
凸
使われていたんですね
耐震耐震って言われてどんどん建て替えが進んで古い校舎無くなってしまってるのに平成24まで使われていたのにはびっくりです
廊下の広さはギネスものですね
それにしても 広い廊下ですね
小学校入学は 木造でしたが
高学年に 鉄筋に変わりました
ですね〜。磨き上げられた廊下、
なつかしい教室。いつも感心するのが
このような場所をみつけられる
よっちんさんのアンテナです。すごい!凸
いうだけではないですね
廊下の広さで体育の授業も出来るよく考えてありますね
ここは本当に行きたかったのです
こんにちは
旧吹屋小学校素晴らしいですね
廊下の見事なこと!
ぴかぴかで広さにも驚きますね