Bishouen, Abeno Ward, Osaka City
さてさて、ワタクシは大阪市の下町で生まれ育ったので、下町の光景というのが大好きなんですよ。
下町、路地裏、長屋、商店街…そんな光景が、ワタクシの原風景なんですよねぇ。
少し前なのですが、ワタクシは仕事で面倒を見た若者から「色々話を聞いて欲しいので飲みに行きませんか」と誘われ、
大阪市の阿倍野で飲む約束をしました。その前に写真を撮りたいなぁと思い、大阪市阿倍野区の美章園へと向かいました。
JR天王寺駅からJR阪和線で一駅で美章園駅に着くのですが、阪和線の真下にはガード下のスペースに住宅や商店が連なっています。
あべのハルカスがある天王寺・阿倍野からすぐ近くに「これぞ昭和」という光景が広がっているんですよ。
大阪では高架下のことを「ガード下」という言い方をします。どうして高架下のことをガード下というのか調べてみますと、
ガードというのは "girder bridge"(ガーダーブリッジ)を略した言い方なんですね。
「場末のスナック」…推理小説などに、よくこんな言葉が出てきますが、こういう場所を言うのでしょうねえ。
ワタクシ、スナックなんてもう10年以上行った記憶がありませんわ。
丸美屋…今はもう営業していないようですが、元々は何のお店だったんでしょうね。
ワタクシ、丸美屋という文字を見ると「のりたま」「ごま塩」を連想してしまいます。
ガード下に昔ながらのお好み焼き屋さんがありました。
大阪では小さな商店街でも、必ずお好み焼き屋とたこ焼き屋があるのは間違いありません。
そして、下町の商店街のお好み焼き屋さんというのは、なぜかオバチャンが店を切り盛りしていることが多く、
オバチャンは間違いなくポッチャリした体型なのです。
下校中の高校生がお好み焼き屋さんに入って行きました。この姿こそ「ザ・大阪」です。
大阪人の恥ずべき姿の一つに、「行政が決めたルールを守ろうとしない」ということがあります。
これを「大阪の人は反権力志向が強いからなぁ」などと肯定するアホどもがいますが、それは全く筋違いの論理です。
こういう場所に停めてある自転車を見ると、「タイヤの空気抜いたろか」と思ってしまうワタクシです。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
子どもの頃、路地裏というのは私達の遊び場でした。「三角ベース」という、野球もどきの遊びが定番でした。
「あの家の二階にボールが当たったら二塁打」「3年生以下は見逃しのストライクは無し、ストライクは空振りだけ」など、
自分たちでルールを考えて野球を楽しんでいました。「やらされる野球」ではなく、「やりたい野球」だったので
この上なく楽しかったんですよねぇ。下町の光景を見ると、野球少年だった私の姿を思い出すのです。
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さてさて、ワタクシは大阪市の下町で生まれ育ったので、下町の光景というのが大好きなんですよ。
下町、路地裏、長屋、商店街…そんな光景が、ワタクシの原風景なんですよねぇ。
少し前なのですが、ワタクシは仕事で面倒を見た若者から「色々話を聞いて欲しいので飲みに行きませんか」と誘われ、
大阪市の阿倍野で飲む約束をしました。その前に写真を撮りたいなぁと思い、大阪市阿倍野区の美章園へと向かいました。
JR天王寺駅からJR阪和線で一駅で美章園駅に着くのですが、阪和線の真下にはガード下のスペースに住宅や商店が連なっています。
あべのハルカスがある天王寺・阿倍野からすぐ近くに「これぞ昭和」という光景が広がっているんですよ。
大阪では高架下のことを「ガード下」という言い方をします。どうして高架下のことをガード下というのか調べてみますと、
ガードというのは "girder bridge"(ガーダーブリッジ)を略した言い方なんですね。
「場末のスナック」…推理小説などに、よくこんな言葉が出てきますが、こういう場所を言うのでしょうねえ。
ワタクシ、スナックなんてもう10年以上行った記憶がありませんわ。
丸美屋…今はもう営業していないようですが、元々は何のお店だったんでしょうね。
ワタクシ、丸美屋という文字を見ると「のりたま」「ごま塩」を連想してしまいます。
ガード下に昔ながらのお好み焼き屋さんがありました。
大阪では小さな商店街でも、必ずお好み焼き屋とたこ焼き屋があるのは間違いありません。
そして、下町の商店街のお好み焼き屋さんというのは、なぜかオバチャンが店を切り盛りしていることが多く、
オバチャンは間違いなくポッチャリした体型なのです。
下校中の高校生がお好み焼き屋さんに入って行きました。この姿こそ「ザ・大阪」です。
大阪人の恥ずべき姿の一つに、「行政が決めたルールを守ろうとしない」ということがあります。
これを「大阪の人は反権力志向が強いからなぁ」などと肯定するアホどもがいますが、それは全く筋違いの論理です。
こういう場所に停めてある自転車を見ると、「タイヤの空気抜いたろか」と思ってしまうワタクシです。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
子どもの頃、路地裏というのは私達の遊び場でした。「三角ベース」という、野球もどきの遊びが定番でした。
「あの家の二階にボールが当たったら二塁打」「3年生以下は見逃しのストライクは無し、ストライクは空振りだけ」など、
自分たちでルールを考えて野球を楽しんでいました。「やらされる野球」ではなく、「やりたい野球」だったので
この上なく楽しかったんですよねぇ。下町の光景を見ると、野球少年だった私の姿を思い出すのです。
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どこを切り取っても絵になりますね。
高架下ではないけれど 小倉駅の近くにも昭和の香りの残る一角があり
油絵で楽しんだことがあり 今飾っていても好きな絵です。
写真とは違った味を出すのが油絵ですが…
写真は真実を語るのでしょうね。
美章園の高架の下には、まだ人が住んでいるのですね。
立ち退きがなかったのですね。
和歌山でも高架の下の住まいがありましたが、
立ち退き命令が出て、今はきれいになっています。
ぽち
とても美味しかったのでよく通いましたよ。
ガード下のお寿司屋さんも行きましたが
今もあるのかな?
天王寺から一駅で便利な住宅地ですよね。
お好み焼き たこ焼き屋さんほんとに多い
子供のころから通った店がそのまま残ってるって感じ 厚かましいぐらい人懐っこいおばちゃんの似合う場所ですね
昭和の建物が、数多く残ってますね。
古くからあるお好み焼き屋さん、美味しい
んだろうな~。
太ってもいいから、食べたいわ。
野球少年に戻って、楽しく散策できましたね♪
凸
天王寺で飲み会をしたのですが
天王寺の町並みもすっかり変わっていて
昔の面影を探すのが大変でした。
いろんな言い方がありますが
庶民の町ですね。
モノクロで撮るとさらに効果的
ですね〜。凸
丸美屋さんは多分不動産屋さんだったと思います。
30過ぎまで住んでましたが、最近近くに随分整然としたなぁと
感じていましたが、美章園のガード下は変わってないのですね。あのガード下には町工場や色々ありました。
高架下の光景
昭和の時代に
タイムスリップしたようですね。