Oura Catholic Church, Nagasaki City, Nagasaki Pref.
さてさて、ワタクシ達はグラバー園から下って来ると、大浦天主堂の前に到着しました。
大浦天主堂は、江戸時代幕末の開国後、1864年(元治元年)に竣工しました。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古の建物なんですよ。
大浦天主堂の正式名は日本二十六聖殉教者聖堂と言います。その名のとおり先日のブログで紹介した日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、
殉教地である長崎市西坂に向けて建てられているんですよ。
2007年にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、
2018年に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つなんです。
ですので、信仰の場であると同時に、観光地としての側面も強く、拝観料はなんと1000円になっていました。
ワタクシは何度か中に入ったことがあるし、内部の撮影は禁止されているので今回は外から見るだけにしました。
この後、家人が「ちょっと見てみたいなぁ」という場所があったので、そちらに向かうことにしました。
せっかく長崎に来たのですから、次の目的地までは路面電車に乗って向かうことにしました。
路面電車の車体には「いい仕事してますか?」と書かれてありました。今は「ハイ」と言うことが出来るかな。
目的地はこの鳥居です。山王神社の参道には、一本柱鳥居、あるいは片足鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居があります。
もともと鳥居は4つありましたが被爆によりその2つが強烈な爆風とともに倒壊しました。
残った鳥居のうち1つは戦後、交通事故により撤去されたため、現在も当時のままの姿で立っているのは
被爆時に左半分が吹き飛ばされてしまい、右半分の柱だけを残した一本柱鳥居のみとなりました。
住宅街にひっそりと街を見下ろす位置に立っており、原爆の悲惨さを現代に語り継いでいます。
鳥居のすぐそばで、ネコが気持ち良さげに寝ていました。平和だからこそ、こんな姿に心が癒やされるのでしょうね。
そろそろ時刻はお昼近くになってきました。昼食を食べに行くとしましょうかねぇ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
以前、長崎で被曝された方から話を聞く機会がありました。その話は私の心の中に、今も深く残っています。
今、被曝された方々が高齢化し、当時のことを語ることが出来る人が少なくなってきています。
これから次の世代の若者達に、子ども達に原爆の悲惨さを、戦争の悲惨さをどう伝えていくのか。
それはもしかしたら私達の世代に与えられた課題なのかもしれません。
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大浦天主堂は、江戸時代幕末の開国後、1864年(元治元年)に竣工しました。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古の建物なんですよ。
大浦天主堂の正式名は日本二十六聖殉教者聖堂と言います。その名のとおり先日のブログで紹介した日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、
殉教地である長崎市西坂に向けて建てられているんですよ。
2007年にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、
2018年に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つなんです。
ですので、信仰の場であると同時に、観光地としての側面も強く、拝観料はなんと1000円になっていました。
ワタクシは何度か中に入ったことがあるし、内部の撮影は禁止されているので今回は外から見るだけにしました。
この後、家人が「ちょっと見てみたいなぁ」という場所があったので、そちらに向かうことにしました。
せっかく長崎に来たのですから、次の目的地までは路面電車に乗って向かうことにしました。
路面電車の車体には「いい仕事してますか?」と書かれてありました。今は「ハイ」と言うことが出来るかな。
目的地はこの鳥居です。山王神社の参道には、一本柱鳥居、あるいは片足鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居があります。
もともと鳥居は4つありましたが被爆によりその2つが強烈な爆風とともに倒壊しました。
残った鳥居のうち1つは戦後、交通事故により撤去されたため、現在も当時のままの姿で立っているのは
被爆時に左半分が吹き飛ばされてしまい、右半分の柱だけを残した一本柱鳥居のみとなりました。
住宅街にひっそりと街を見下ろす位置に立っており、原爆の悲惨さを現代に語り継いでいます。
鳥居のすぐそばで、ネコが気持ち良さげに寝ていました。平和だからこそ、こんな姿に心が癒やされるのでしょうね。
そろそろ時刻はお昼近くになってきました。昼食を食べに行くとしましょうかねぇ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
以前、長崎で被曝された方から話を聞く機会がありました。その話は私の心の中に、今も深く残っています。
今、被曝された方々が高齢化し、当時のことを語ることが出来る人が少なくなってきています。
これから次の世代の若者達に、子ども達に原爆の悲惨さを、戦争の悲惨さをどう伝えていくのか。
それはもしかしたら私達の世代に与えられた課題なのかもしれません。
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信仰の強い力は 恐れることをしませんでしたね。
原爆の激しさを怖さを伝えていますね。
大浦天主堂はグラバー園から近いですから
その前を通ったのですね。
大浦天主堂の近くのお店で、
ステンドグラスで作った鍋敷きを買いました。
京都などは電車が立ち往生、大変なことになっていたのですね。
大浦天主堂、美しい建築物ですね。
大学時代は、やたらキリスト教関連の美術に興味があり、西洋美術史を選択していました。幼稚園の頃、教会に通っていた影響なのかもしれません。
今朝もよく冷え込んでいるでありませんか。
体長のほうはよろしいんでしょうか?。
ぜひご自愛いただいて、
また次の処の取材お願いいたします。
長崎、行きたいところ。
きょうも乗り鉄から天主堂の美しいところまで、
ありがとうございます。
日本最古の建物(教会)だけど
立派で綺麗に残されていますね
一本柱の鳥居は知りませんでした
ぜひ見に行きたいです
勉強になります。
拝観料が上がって、内部は撮影禁止。
あらら~(苦笑)
一本柱鳥居、知りませんでした。
そういや最近の若い子は、終戦記念日や
原爆投下日も知らない子が多いとか。
時代の流れでしょうか。
凸
長崎も路面電車が走っているんですね
一本柱鳥は知りませんでした
一本柱の鳥居をみて胸に
こみ上げました。
戦争はいけません!凸
ぽち