Hino Town, Shiga Pref.
さてさて、「日野ひな祭り紀行」が開催されている滋賀県日野町にやって来たワタクシ達は、
可愛く、そして豪華なお雛様を眺めながら、歴史を感じる日野の町並みを歩いておりました

。

日野のメインストリートから少し離れた清水というエリアを歩くと、重厚な古民家が続いています。
大阪という騒々しく、落ち着きのない土地からやって来ると、時間の流れがゆっくりと感じます
。

これっていつの時代の電話番号なんでしょうね。ワタクシなどは大阪市内で育ったせいか、物心ついた時には電話番号は7ケタでした。
この電話が使われていた時代に、電話がやがて携帯になり、スマホに進化するなんて想像も出来なかったでしょう
。

近江商人(日野商人)発祥の地らしく、マンホールの蓋には天秤棒を持った商人が描かれておりました。
近江商人と言えば「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という言葉で知られています。
「三方よし」は「売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて
地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない」という考え方を意味しています
。

この提灯を掲げてある家ではお雛様が飾ってあり、見学することが出来るんですよ
。

ここのお家のように、中に入ることは出来ませんが、外から立派なお雛様を眺めることが出来るお家が多いです
。

でも、ここのお家のように中に入って見学させてくれるお家もけっこうあるんですよ
。

ここは日野では有名な和菓子屋さんのようで、さすがに立派なお雛様が飾られておりました
。

これは明治初期の頃のお雛様だそうですが、今の時代にこれを作れば、いったいどれくらいの値段になるのでしょうね。
ワタクシのような庶民は、この豪華な装飾にただただ驚くばかりです
。

さらに日野の町を歩いていると、こんなものがありました。よほど腹に据えかねているのでしょうね。
「さすな」というのは「させるな」という意味ですが、犬を飼うワタクシとしては、飼い主のモラルは守ってほしいものです
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
ひな祭りというのは、いつ頃が起源なのかははっきりとした記録が無いそうです。
ただ、平安時代には「ひな遊び」というのは存在したようで、「流し雛」が行われていたようですね。
今のようなひな人形を飾るのは江戸時代から始まったようですが、100年後も200年後も、残ってほしい風習です。
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さてさて、「日野ひな祭り紀行」が開催されている滋賀県日野町にやって来たワタクシ達は、
可愛く、そして豪華なお雛様を眺めながら、歴史を感じる日野の町並みを歩いておりました




日野のメインストリートから少し離れた清水というエリアを歩くと、重厚な古民家が続いています。
大阪という騒々しく、落ち着きのない土地からやって来ると、時間の流れがゆっくりと感じます



これっていつの時代の電話番号なんでしょうね。ワタクシなどは大阪市内で育ったせいか、物心ついた時には電話番号は7ケタでした。
この電話が使われていた時代に、電話がやがて携帯になり、スマホに進化するなんて想像も出来なかったでしょう


近江商人(日野商人)発祥の地らしく、マンホールの蓋には天秤棒を持った商人が描かれておりました。
近江商人と言えば「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という言葉で知られています。
「三方よし」は「売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて
地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない」という考え方を意味しています



この提灯を掲げてある家ではお雛様が飾ってあり、見学することが出来るんですよ



ここのお家のように、中に入ることは出来ませんが、外から立派なお雛様を眺めることが出来るお家が多いです



でも、ここのお家のように中に入って見学させてくれるお家もけっこうあるんですよ



ここは日野では有名な和菓子屋さんのようで、さすがに立派なお雛様が飾られておりました



これは明治初期の頃のお雛様だそうですが、今の時代にこれを作れば、いったいどれくらいの値段になるのでしょうね。
ワタクシのような庶民は、この豪華な装飾にただただ驚くばかりです


さらに日野の町を歩いていると、こんなものがありました。よほど腹に据えかねているのでしょうね。
「さすな」というのは「させるな」という意味ですが、犬を飼うワタクシとしては、飼い主のモラルは守ってほしいものです

使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
ひな祭りというのは、いつ頃が起源なのかははっきりとした記録が無いそうです。
ただ、平安時代には「ひな遊び」というのは存在したようで、「流し雛」が行われていたようですね。
今のようなひな人形を飾るのは江戸時代から始まったようですが、100年後も200年後も、残ってほしい風習です。
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戦前は、どこの家も表札の横へ
電話番号を書いたプレートを貼っていました。
電話を取れば、電話局からくれたのでしょう。
今では考えられませんね。
ポチ♪
それを玄関に飾ってるのが凄いです。
我が家にも古い大きなひな人形がありますが
もう何十年も飾っていません。
人形ケースに入ったひな人形を飾っていただけです。
それももう飾っていません。
だからこうして写真でみるだけでも
懐かしくていいもんです。
応援 P
御殿を作るのが毎年大変です(^_^;)
応援☆
6枚目のお雛様が立派でいいお顔をしてますね~。
凛としてる☆彡
最近、マンホールの蓋をなるべく見るようにしています。
応援☆
歴史を感じさせるお雛様に飾られた
あんぱんまんのひなあられが何ともミスマッチ^^
時代を感じさせて呉れますね
最近は見ませんよね~
風情のある街並みですね
ポチ(*^^*)
古民家が並ぶ風情な街並みに
古風なお雛様が似合いますね(*^_^*)
☆~
50年近く前の事でしょうか?
友の田舎に行くと、各家に電話番号、2桁から3桁が割与えられてて、
当時の農協に(○○番お願いします)と受話器を上げて申し込むのです。
すると、交換手が(○○さんお電話です)と有線放送(?)で呼び出し繋がる方式に驚きました。
勿論、電話もありましたが、今から思うと、そんなに普及してなかったのでしょうね。
これは、その村だけに通じるシステムだったのではないしょうか?
近所にも、いつもは閉めっぱなしの通りに面した和室の戸が
この1ヶ月近く『見てくれ!』といわんばかりに開いてて
段飾りのお雛様のみ丸見えのお宅がありました。
聞いたことはあるものの、真偽のほどに自信がありません
昨日帰国、八尾市でひと仕事して寿司店「うえむら」へ
仕出しもなさっておられる「うえむら」では雛祭り用の
ちらし寿司の注文が多く忙しくしていらっしゃいました