Chiran, Minami-Kyushu City, Kagoshima Pref.
さてさて、鹿児島県南九州市の知覧にやって来て、武家屋敷が並ぶ町並みを訪ねたワタクシですが、
知覧にはもう一か所、どうしても訪れたい場所があったんです。
それは、知覧特攻平和会館という陸軍特攻隊の資料館なんです。
特攻隊という人間の命の尊さや尊厳を無視した作戦を、またそのような悲劇を生み出した戦争を
二度と起こしてはならないという思いから、特攻隊員の遺品や資料を展示しているのが
この知覧特攻平和会館なんですよ。ワタクシ、一度はこの場所を訪ねねばならないと思っていました。
なお、館内の遺品や資料は撮影禁止です。撮影が許されたものだけ撮影しています。
ここ知覧にあった知覧基地は本土最南端であったため、沖縄戦に向かった全特攻隊の死者1036人のうち
439人が知覧から出撃しました。館内には439人全員の写真が展示されてありました。
17歳から23歳までの青年ばかりです。戦争が無ければ、彼らには輝かしい未来が開けていたはずだったでしょう。
彼らが家族にあてた手紙、それは手紙というより遺書と呼ぶべきものだと思いますが、
どの手紙にも共通したことが書かれてありました。
「自分を育ててくれた両親への感謝の思い」「皇国日本のために誇りを持って敵機に突撃する決意」
「自分は笑って死んでいくので、どうか自分の死を悲しまず、むしろ誇りと思ってくれという願い」
これらの言葉が本当の気持ちなのでしょうか。いえ、絶対にそんなはずはありません。
家族に送る手紙は軍によって閲覧されますので、そこに戦争を批判する言葉など書けるはずがありません。
本当は死への恐怖、死ぬことへの悔恨、戦争への悔しさ、なによりも両親に会いたい…そんな思いを
手紙に書きつづりたかったはずです。そんな思いを書くことすら許されなかったのでしょう。
多くの資料を見て、語り部の方の話を聞き、何度も涙をぬぐわずにはいられませんでした。
知覧から沖縄まで戦闘機に乗って約2時間。死ぬために現地へ向かう2時間は、どれほどの恐怖だったのでしょう。
最近、ネットなどを見ていると若い人たちが「日本も核兵器を持つべきだ」「憲法九条が日本をダメにする」
「北朝鮮に武力行使は当然だ」などというコメントを書いているのをよく見かけます。
その意見も全面的に否定はしませんが、もし戦争が起こったら真っ先に戦場に送られるのは若い人たちです。
だからこそ、若い人たちにはこの知覧の資料館や、広島や長崎の原爆資料館を見てほしいと願います。
知覧の街の周囲には、知覧茶を生産する広大な茶畑が広がっていました。
この美しい青空を、二度と戦闘機や爆撃機が飛ぶことがあってはならないのです。
ワタクシはこの資料館を訪れたことを、忘れることは無いでしょう。
使用したカメラ:6,7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
新年早々、北朝鮮の独裁者は「核のボタンは私のテーブルの上にある」と米国を挑発し、
米国の権力者が「自分の核ボタンの方が彼のものよりも大きく、強力だ」と応戦しています。
我が国はこれでも米国に追随、追従し続けるのですかねぇ。
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さてさて、鹿児島県南九州市の知覧にやって来て、武家屋敷が並ぶ町並みを訪ねたワタクシですが、
知覧にはもう一か所、どうしても訪れたい場所があったんです。
それは、知覧特攻平和会館という陸軍特攻隊の資料館なんです。
特攻隊という人間の命の尊さや尊厳を無視した作戦を、またそのような悲劇を生み出した戦争を
二度と起こしてはならないという思いから、特攻隊員の遺品や資料を展示しているのが
この知覧特攻平和会館なんですよ。ワタクシ、一度はこの場所を訪ねねばならないと思っていました。
なお、館内の遺品や資料は撮影禁止です。撮影が許されたものだけ撮影しています。
ここ知覧にあった知覧基地は本土最南端であったため、沖縄戦に向かった全特攻隊の死者1036人のうち
439人が知覧から出撃しました。館内には439人全員の写真が展示されてありました。
17歳から23歳までの青年ばかりです。戦争が無ければ、彼らには輝かしい未来が開けていたはずだったでしょう。
彼らが家族にあてた手紙、それは手紙というより遺書と呼ぶべきものだと思いますが、
どの手紙にも共通したことが書かれてありました。
「自分を育ててくれた両親への感謝の思い」「皇国日本のために誇りを持って敵機に突撃する決意」
「自分は笑って死んでいくので、どうか自分の死を悲しまず、むしろ誇りと思ってくれという願い」
これらの言葉が本当の気持ちなのでしょうか。いえ、絶対にそんなはずはありません。
家族に送る手紙は軍によって閲覧されますので、そこに戦争を批判する言葉など書けるはずがありません。
本当は死への恐怖、死ぬことへの悔恨、戦争への悔しさ、なによりも両親に会いたい…そんな思いを
手紙に書きつづりたかったはずです。そんな思いを書くことすら許されなかったのでしょう。
多くの資料を見て、語り部の方の話を聞き、何度も涙をぬぐわずにはいられませんでした。
知覧から沖縄まで戦闘機に乗って約2時間。死ぬために現地へ向かう2時間は、どれほどの恐怖だったのでしょう。
最近、ネットなどを見ていると若い人たちが「日本も核兵器を持つべきだ」「憲法九条が日本をダメにする」
「北朝鮮に武力行使は当然だ」などというコメントを書いているのをよく見かけます。
その意見も全面的に否定はしませんが、もし戦争が起こったら真っ先に戦場に送られるのは若い人たちです。
だからこそ、若い人たちにはこの知覧の資料館や、広島や長崎の原爆資料館を見てほしいと願います。
知覧の街の周囲には、知覧茶を生産する広大な茶畑が広がっていました。
この美しい青空を、二度と戦闘機や爆撃機が飛ぶことがあってはならないのです。
ワタクシはこの資料館を訪れたことを、忘れることは無いでしょう。
使用したカメラ:6,7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
新年早々、北朝鮮の独裁者は「核のボタンは私のテーブルの上にある」と米国を挑発し、
米国の権力者が「自分の核ボタンの方が彼のものよりも大きく、強力だ」と応戦しています。
我が国はこれでも米国に追随、追従し続けるのですかねぇ。
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きっとよっちんさんはお尋ねくださるかと思っておりましたが今の様に立派な特攻平和会館ではなく昭和50年代までは公園の小さな休憩所に遺品などを並べた粗末な物で訪れるたびにより一層の哀れさを覚えたものですがよっちんさんも目にされた遺書は表面に表すことの出来ない無念さが伝わって来そうな胸の痛みを感じるものですね。
県内には6か所ほどの特攻基地があったため終戦間際のS,20年6月に大空襲を受け辺り一面火の海で勿論自宅もまる焼けで見えていなかった桜島が当時の西鹿児島駅裏から(自宅のあった場所)見通せました。
ここに祀られておいでの前途有望であられたであろう若い隊員の皆様の犠牲によって今の平和があることを決して忘れてはならないと改めて痛感しております。
鹿児島はお茶もたくさん作っているんですね。
焼酎や芋や大根ばかりが目につき、
お茶を作っている事は知らなかったです。
紋ちゃんにポチン
この資料館をつくるのに尽力された方の話を
最近、テレビで知りました。
私もいつかは行ってみないと・・・
☆
めげそうです^^;。
出先なのでまた改めておうかがいさせていただきます。
ぽち。
先日、特攻に望んで志願なんて一文を目にしたけど、本当の本当の本心は生きたいに決まってますよね!
何言ってんだと思いました。
お国のための裏の本心は、親元に帰りたいよみんな・・・。
応援☆
先の戦争の悲劇を忘れないために
知覧のここを訪ねることは大切ですね
観れば胸が痛く、辛いでしょうが・・
これらの言葉が本当の気持ちなのでしょうか?・・
習ったように書くしかなかったのでしょう
可哀そうでたまりません。ポチ!
力を持つと困った国々が多いです。
応援ぽち。
子供の痴話げんかではないんですからね
もっと大人のやりかたで対応してもらいたいものです
ポチ!
開け閉めが激しかったようです( ;∀;)
今はスマホを変えたら簡単に見やすくなりましたので、昼間はそちらを利用するようにします。
戦争ではなく、話し合いで全てが収まる時代になって欲しいものです。犠牲になるのはいつも一般人です。
前に知覧特攻隊の番組を見ていて
特攻隊員が集まる飲み屋の女将さんが
話していたのを思い出しました。
明日出陣を控えた特攻隊員が
女将さんにこう言ったそうです。
明日,私は出陣します。
でも必ずここに,女将さんの所に
戻ってきます
その特攻隊員が出陣していった晩
一匹の蛍が店に入ってきたそうです
女将さんは一言
「お帰りなさい」と
蛍に声をかけたそうです。
わ~い!一位になりましたね。
応援ぽち!しました。
犠牲になるのは、彼らの世代なのに。
もっと、深く考えて欲しいですね。
涙止まりませんね☆
ごめんなさい!
今日は駆け足で失礼します。
☆
僕はここに行ってみたいんですよ!
ポチッ
尊い命が数多義性になったことを
私たちは忘れてはいけません☆
愚かな行為は、絶対に繰り返してはいけませんよね。
忘れてはいけない場所です。
ところでブログランキング
1位になりましたね。
おめでとうございます。
けっして忘れません m(_ _)m
鹿児島県などで特攻菊とも呼ばれる
テンニンギク(天人菊)のことも
忘れないでしょう。
~☆
若き優秀な青年が...酷い事ですね!!
夫も生前にこちらに行ってきました。
涙が頬を伝わったと話してくれました。
戦争は絶対してはいけないと..
改めて強く思いました。
紋ちゃんに 応援です!
戦争で亡くなった若い命がどんなに尊いものか。
本当に若い世代に知ってもらいたいですね。父が立ち寄った場所です。
写真を取り出して、静かに語り出した父を思い出しました。☆
とても嬉しく思います。
若い方々のご家族へ(特に母親)向けた手紙(遺書?)を読むと、胸が潰れます。
皆さんに行って頂きたいところです。
寒いですね。
ご自愛くださいませ!
多くの尊い命を
奪う権利は誰にもないのですから
自然に涙が流れてきました。
きっと知覧でも同じような気持ちになるんでしょうね。
だから戦争はダメなんです。
たとえ北の独裁者が悪人であろうとも、
北の国民に罪はないですから。
応援 P
大切な命がたくさん犠牲になった戦争
悲しいことですね。
☆~
私は、怖くて、戦争の記念館などへは
入れないんです。
どんな気持ちで、死んでいかれたのかとか
いろいろ考えただけで
無理なんです。。。
戦争に向かう風潮があるのは、恐ろしいことです。
大義のもとに、人が殺し合う。
殺し合うことを正当化してしまうのが、戦争です。
恐ろしいことです。
今の若者にこそこういう大切なもの
見て欲しいですねっ
デコは長崎の資料館は
行きましたが。。血の匂いがしました
ガラスケースの中が生きているような
錯覚に陥りました
そこには魂がまだ残っているようでした
でも、人類は戦争を回避できるまでは、
進化できて無いんでしょう。
確か、アインシュタインがこんなことを言ってました。
第3次世界大戦で、人類が生き残ったら、
次の対戦は、ヤリとこん棒の戦いになるであろう。
ゼロ戦の他にも、桜花、人間魚雷の回天など、特攻機は、数種類あります。
この「特攻」を行ったのも、
日本人だけ!(ドイツも?)だと言うことも
覚えておく必要があると思います。
戦争博物館という所があります。
気になりつつも、まだ寄ってみたことがありません。
見に行かなくちゃいけませんよね。
今年は行ってきます。
応援デス
知覧を訪ねたら、ここも見逃してはいけませんね。
戦争だけは絶対避けなければなりません。
応援☆
与謝野晶子が読んだ歌に、君死にたもう無かれ~~と謳った歌が涙を誘いますねー。
あの遺書は本心でない事だけは想像できますね。日本国の為に戦い命を亡くしたことは事実です。深く哀悼の意を表します。
対抗措置も、要らないです。
じゃあ、どうするの?と言われたら、
困りますけどね(汗)
ただでさえ少子化の世の中。
若者の命を、大事にしたいです。
凸
若い青年達。
ただただ涙があふれ胸がつまる
思いです。
今日の平和の礎になってくれた
あなた達へ
~ありがとう~平和を守ります~と
申し上げなければなりません。
与謝野晶子が
君死にたもう事なかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、と
歌っています。
この詩は多くの親の思いを
代弁していますね。
~どうぞ安らかに~と
お祈りいたします。~~:
宿舎に並べられた布団
どのような思いで最後の夜を過ごされたか
胸が痛みますね
忘れてはいけない史実ですね
応援ポチ!
あの戦争をもうすっかり忘れていますものね。
という私も幼かったのですが。
広島を見てほしいですね。
胸が潰れそうになります。
昔の方々の一途で死をもいとわぬ
この精神を、陸軍はまるで命とも思わず
送り出したのかな〜
私は父を戦死させてるから本当に憎い
ですね。父は42歳で軍医で志願したのです。かなしい出来事です。
ランキング、ついに1位ですね!応援!
今はなんでも知りえる状況ですが
昔は信じることしかなかったでしょう
今、思えばばかな戦争です、犠牲に
なった若者たち、また戦争になんて
ことに…
ぽち!!
ジムに行って来ました
無理はしない様に・・
久しぶりに仲間に会って楽しかったです
ご心配お掛けしました
もう少しお休みして真面目にupしますね
宜しくお願い致します
ポチ (^^)/
忘れてはならない史実。
本当にそうですね。
☆
知覧といえば、特攻隊を語らずにはいられませんね。
私は小学校四年の時、飛行機に乗るためにと、
回転機や地球機に乗り、色んな訓練をしていました。
もう少し早く生まれていれば、特攻隊と
なって、
今の自分は無いかも。
福岡の友人から八女茶をいただくのですが
一度知覧茶が美味しいからとご主人の出身地の
知覧茶が送られてきました。
グリーン色が何時までも鮮やかで
味も美味しかったです。