よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

タイ旅行6日目(その1)

2011年02月04日 | 海外旅行-タイ
さてさて、ワタクシ達のタイ旅行もいよいよ最終日となりました

この日、ワタクシ達はカンチャナブリという場所に行きました。
カンチャナブリ…どこやねん、それは? と思う人がほとんどでしょうが
あの「戦場に架ける橋」の舞台だと言えばイメージもわくでしょうか

太平洋戦争中、タイとビルマ間の物資輸送を急ぐ日本軍は、イギリス人捕虜やオランダ人捕虜、
オーストラリア人捕虜やアメリカ人捕虜に加え、現地のタイ人やマレー人を使ってタイとビルマを結ぶ
泰緬鉄道を建設したのですが、その中の難工事の一つがカンチャナブリにある
クウェー川鉄橋だったのです。

ワタクシ達はクウェー川鉄橋に行き、かつての泰緬鉄道にも乗ろうということで
現地のツアーに申し込んでカンチャナブリを目指しました


ここから船に乗ってクウェー川鉄橋を目指すのですが、川に浮かんでいるのは
フローティング・ホテル…つまり「川に浮かぶお宿」なんですね


ワタクシ達は船に乗って、クウェー川を遡ります。

さてさて、ワタクシ達は現地ツアーに申し込んで…と書きましたが、さすがにカンチャナブリなんかに
わざわざ行く日本人は少ないだろうなぁ…と思っておりました。
予想通り、参加者はワタクシ達(ワタクシと家人)2人だけでありまして、
ジェーンさんというポッチャリお茶目なガイドさんがワタクシ達2人の専属として
この日は一緒にいてくれたのです。
キティちゃん大好きなジェーンさんは明るく陽気で、彼女のおかげで一層楽しい一日になりました




太平洋戦争中に日本軍が作り、そして連合国軍によって破壊されたクウェー川鉄橋は
戦後タイ政府によって復元されました。

近くには資料館もあり、英豪蘭米軍捕虜に対する日本軍の残虐な行為も展示されており
日本人のワタクシとしては辛い気持ちにもなりました
戦争には加害の側面、被害の側面、両方があるわけでありまして、いずれにせよ被害の立場になるのは
一般の民衆であるわけです。いかなる戦争も肯定すべきではないと感じずにはいられませんでした。
うーん、今日はいつになく真面目な文章になりますなぁ。ま、たまにはこういうのもありということで…


これがクウェー川鉄橋駅です。ここから列車に乗るのです…ワクワク


車内の様子です。外国人が乗る車両と、タイ人が乗る車両が分けられておりまして、
ワタクシは出来れば地元の人の乗る車両に行きたかったのですが、
隣の車両に行くことは出来ませんでした


車内で一生懸命お菓子や飲み物を売っていた男の子。
甲斐甲斐しく働く姿は微笑ましくもあり、逞しくもありました。


列車はガタゴトと走っていきます。
この鉄道を敷設するために、数万人の死者が出たことなんて無かったかのように…

タイ旅行記もいよいよ次回が最終回です。もう少しおつきあい下さいね

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
映画の舞台 (カノン)
2011-02-05 16:30:45
日本人がよっちんさんご夫妻だけというのも
驚きですね。
こんな長閑な風景からはかっては戦場だったとは信じられませんね。
60数年で戦争の悲劇は忘れられてしまうのですね。日本も同じですが。。
軽快な映画音楽が聞こえてくるようです。
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戦場にかける橋 (1958makoto)
2011-02-05 21:22:55
つい早川雪舟を思い出してしまいます。
古い・・・・やっぱりイメージが
忘れられません映画です。
返信する
カノンさんへ (よっちん)
2011-02-05 21:27:31
ここは行って良かったと思っています。
広島、長崎、南京、アウシュビッツ…
そういう場所は学校の授業でも
けっこう学びましたが
カンチャナブリは何も知らなかった。

そうそう、クワイ川マーチは運動会なんかで
必ず行進しましたねぇ。
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makotoさんへ (よっちん)
2011-02-05 21:29:05
早川雪舟…いい役者ですよね。
どうして三船敏郎なんかと同格に
評価されないんでしょうね。
返信する
いつも歴史を思い起こさせる良い旅ですね (もっちゃん)
2011-02-06 21:32:21
タタ~タタタタンタンタン~♪クワイ河マ-チ
聞こえてきます。
辛うじて戦中派の自分には良いイメ-ジの映画ではなかったけれどウィリアム・ホ-ルデンに負けないぐらいの存在感の早川雪州の演技が感動的でした。
橋は復元されているのですね*^^*
ちなみに早川雪州は郷土の偉人西郷隆盛を尊敬していて隆盛の号である南州を名乗るも既に同名有りでやむなく雪州を名乗ったとの事で非業の最期を遂げた西郷南州翁も死して名を上げた
のではと感慨深いお話を思い出しました
返信する
もっちゃんへ (よっちん)
2011-02-06 23:44:09
あの映画は完全にイギリス側の視点で
作られているので
史実とは違う部分も多いでしょうね。

早川雪舟は薩摩の人なのですか。
全く知りませんでした。
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雪州の出身について (Unknown)
2011-02-07 17:17:48
雪州は千葉出身となっています。
ただ武士道の精神を強く持っていた人のようで
西郷隆盛を尊敬し鹿児島出身の軍人東郷平八郎の役もしており薩摩武士の心根を好んだようです。
西郷は最後は割腹自害しましたが雪州も若い頃割腹自殺未遂をした事がありその辺も何か通ずるものを感じます。
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unknonさんへ (よっちん)
2011-02-07 19:03:48
お教えいただきありがとうございます。
ワタクシの世代にとっては
早川雪州は馴染みが無く
知識がありませんでした。


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