
黙々と写経して

今日は3袋捨てた。

先月、どうしても許せないことがあってある方を通じて相談させていただいた。
内容は、、、
どうにか円満にフェードアウトしたい。
バッサリ縁を切りたいと思っても、逆ギレされたり、かえってしつこくされないか心配 だし、すっごい文句を言われてまた自分が悪いことを言われる、、、もうやだって
縁を切りたい人と自然に縁が切れるにはどうしたらいいのか
自分がその人と同レベルだから離れられないのです。
自分が成長してエネルギー的に落差を作ることによって、その人はあなたの魂を成長させるという役目を終えて自然に離れて行ってくれます。
なので、「縁を切る」というよりも、「縁が切れる」という方が適切です
神様(天)から与えられた課題をクリアして、ちゃーんと魂を磨きましたよ!となるとその人を「卒業」出来るんです。
物理的に無理やり縁を切ったとしても、課題が残ったままで自分が成長出来ていないと、また何度も似たような人に付きまとわれて苦労してしまうことになります 。しかも、どんどん課題は強烈になっていきます…!
私は
まーーーた
強烈なキャラでてくんのかなー
物理的に切っちゃった、、
ので
頑張らないとな、、と
反省
そして
「婆羅門教(ばらもんきょう)の新月祭と満月祭の前日に行われた儀式を仏教に取り入れたもの」
ちょっと難しいですよね💦
要は、
毎月二回お坊さんたちが集まって、僧侶としての戒の条目を唱えて、自分自身を反省する儀式のことを言います。
私の実家が須磨寺にお墓があるので、その須磨寺では毎月の新月と満月に布薩を行うので、それが今日にあたります。
布薩なんて言葉は今まで知らなかったのですが、香川県から兵庫の須磨寺に墓じまいし、須磨寺について色々調べていると、小池陽人副住職さんにたどりつきました。
小池陽人副住職さんが布薩についてYouTubeでお話されていたのがきっかけで、布薩をはじめ、いろいろと学ぶことになりました。
話それました‼️
単なる形式的な儀式ではなく、現代語訳を読むことによって、自覚を促されるということなんです。
戒という言葉だけで見ると「いましめ」であると思われますが、原語の意味からすると、
「いましめ」というよりも「良き習慣」であると受けとめるようにです。
習慣といっても、「戒を守るように習慣づける」というより、
「戒を守れていないことに気がついて、今一度戒に戻ることを習慣づける」という意味なのです。
この布薩を行う意味は、雑念が起こったなら、そのことに気づいてもう一度戻ることが大切だと。
百礼拝はまだできていないけれど、今日は布薩ということで、戒に戻る、習慣づける、気づく日と思って月2回これから布薩を行っていきます。