こころラボ

楽しく幸せなこころを育てる実験

持っているものを楽しむ

2021-05-23 12:59:24 | 日記

暗黒期の毒出しをしつつ
なんだか考え過ぎなんだよな~
もっと楽に生きたらいいのにな~
なんで「愛されてる」って思えないのかな~
と自分ながら頑固だなと思ってしまう。

でもそれも責めないで
仕方ないよね
今は拗ねたいみたいだし
拗ねることにもダメ出ししないで
ちゃんと自分の本音見つけて放出しよう
という気持ちでいます。
(早いとこ解放されたらうれしいけど)

楽器の演奏のヒントにとYouTube先生の動画を見るのですが
先日、大変身ちゃんねるというところで
理容師さんが一般の男性の髪型と服装をスタイリングする動画を見つけました。

これを見ると、日本人男性誰でもイケメンなんじゃないかと思えます。
顔をそって眉毛整えるだけで爽やかな男前に変身。
ご本人の笑顔も増えちゃって、見ている方も笑顔になります。

誰でも素敵になる素養はあるのかな。
私は昔から容姿を褒められたことがなく
素敵になる要素なんて「ない」と思い
自分をかわいくする、きれいにすることをあきらめたから
そういう人生になってたのかも。
服装も「なに着ても美人にはならないし」と思ってました。

今、持っている服をかなり減らして
お気に入りだけにしている最中で(ずっとやってる?)
数は少なくても案外間に合うものだなと実感しています。
だから自分には「ない」と思って足し算しようとしなくても
すでに持っているもので本当は十分なのかもしれない。

わたしはくせ毛がコンプレックスで、昔は一生懸命まっすぐに伸ばそうとしてた。
くせ毛は乾燥しやすいからツヤも出にくい。
ストレートパーマ、何度もかけたなぁ。
最近はくせ毛も好きになってきたけど
クルクルドライヤーで必死に前髪を引っ張って伸ばしたりしてるから
直毛の方がいいという気持ちがまだあるんだね。
だってさ、シャンプーのCMはくせ毛を賞賛しないもん。

「くせ毛はギフト」と言っている美容師さんの動画を見かけて
「グニャグニャの前髪を生かすスタイリングをすればいいのか」と思いあれこれ試してます。
オイルやワックスは必須です。

わたしにはさらつやの直毛はないけれど、パーマ不要の外国人っぽいくせ毛はある。
直毛でないことを嘆いても直毛には絶対ならないので
くせ毛を楽しむ方が人生楽しいんだろう。

服や髪だけじゃなくて
容姿もお金も学歴も所持品も能力も全部に当てはまるのかも。
「ない」ものを欲しがって嘆いても仕方ない。
努力で得られるものもあるかもしれないけれど
いくら努力しても得られないものもある。
無理に得ようとすると苦しくなって
自分らしさもなくなっていくんだろう。

世の中は常に向上、成長していくことがいいという感じだから
自分も頑張る教になってしまって
「ない」ものだけ見ていつまでたっても満足しないで
まだまだ上を望めるんだ
生産的な日々を過ごすべきなのに今日は何もしなかった…
とうっすら自分を責めてたよね。

生活の様子を動画にあげている人もいて
素敵だな~と思うことも多い。
すっきりと片づいた住まいで
ゆる~っと仕事していたり
息抜きしていたり
趣味のものを作っていたり
みんながみんな、連日成果を上げて成長しているわけでもなくて
のんびり暮らしてたりするのかな?

う~ん、まだよくわからないけれど
「ない」ように思えても
自分が持っているものはたくさんあって
それを楽しむことが幸せってことなのかな。

こういうの、これまで学んできた心理学でも言われてたんだろうけど
全然腑に落ちてなかったな。

幸せになりたいとず~っと努力し続けてきたけど
このまんまで幸せを楽しめるのかもしれない。
ないものがたくさんあっても。

あれがないと、これがないと幸せじゃない気がする
わたしも欲しいのに~って
今までは走ってきてた気がする。
どど~んと大きな幸せを求めてた。
何かを欲しいなと思う気持ちは持ってもいいと思うけれど
その欲のせいで毎日が苦しくなるのは嫌だな。
そこはスッパリあきらめるところかもしれない。

わたしは「愛されたい」が強すぎて
何度も何度も苦しんでる。

恋愛でも友人関係でも
愛されてるならこうしてくれるよね
みたいな思い込みも強すぎて
それがないと「わたしは愛されない」に走る。
他人の想いも行動もコントロールできないのにね。

思っていることが現実になる。
逆に現実を見れば、自分の深層心理が何を求めているかわかる。
わたしが「ひとり」を強く感じやすいのは
本当は「ひとり」でいることを望んでいるからなんだろうか?

たしかに集団行動はできるけどちょっと苦手。
自分のペースで動きたいと思いがち。
外出するより家にいる方が好き。
大勢でわいわいするより少人数が好き。
表に立って目立つより陰で動きたい。
自分でやってみたい。達成感が好き。

それなのに
なんでも話せる親友がいて
気の置けない仲間と楽しい時間を過ごして
みんなからモテモテで「好き~」って言われたいって
どこからその理想像を持ってきた?
なんだか矛盾してないか?

いや、ひとりが標準装備でも
親友や仲間がいてモテてもいい。
そうなりたい気持ちもあっていいけど
理想像を得ようとして苦しくなるなら
本末転倒だよねって話。

ならば、「ひとり」を最高に楽しめばいいのかもなあ。
多くの友人ととしたいことってほとんど思い浮かばないけど
ひとりでしたいことはたくさんある。

わたしは「ひとり」が
標準装備で
デフォルトで
持ち味で
それを極めて楽しめばいいのか…

もちろん
誰かと交わりたいときは交わればいい。
ストイックに「ひとり」を追求することもない。

なにかわかりそうでわからないけれど
とりあえず
人気者の方がすばらしく思えたとしても
そうじゃない「愛されない」自分を
「あかん」認定しない。

それもわたしの持ち味なんだよ。


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