先日、yamaさんという歌い手さんの「春を告げる」という曲を聴いて耳に残ったのですが
よくみると1年くらい前の歌でした。
普段あまり積極的にいろんな曲を聴いたりしないので当然ですね。
偶然耳にして気になったものを聞いて、気に入ったらダウンロードするっていう具合です。
「春を告げる」を聞いていたときに、そばにYOASOBIさんの曲がいくつかありました。
その中の「怪物」をずっと前に聞いた記憶があり
そういえば動物が人間みたいに行動する「Beastars」という漫画に関係してるんだったと思い出しました。
それで聞いてみたらなんだか耳に残る。
「Beastars」読んだことはないので、概要を調べて「ふ~ん、そんな話なんだ」。
アニメにもなったらしく、その第2期のエンディング曲「優しい彗星」というのも表示されてる。
聴いてみるとなんだかきれいな曲。
動画にはライオンとシカが出ているので、その話の概要も調べてみる。
「おお~、そんな話なのね」
YOASOBIさんのこの2曲もほぼ1年前くらいの曲のようでした。
けれども気に入ったので、さらに耳にしたyamaさんの「真っ白」も含めて4曲ダウンロードしました。
yamaさんの2曲はいずれもTHE FIRST TAKEバージョン。
歌声はもちろん素晴らしいんですが、バックの楽器にも耳が引きつけられます。
「春を告げる」のバイオリンのしっとり歌う感じと弾む感じ、最後はピチカートで終わるの好き
YOASOBIさんの「優しい彗星」の間奏のエレキギターも好き 胸がきゅ~んとなります。
こんな風に演奏できたらいいな~。
私の中のはやりは1年から数か月遅れでくるようです…
調べ物をしていたときに、たまたまボイストレーナーさんがYouTubeで歌唱力について話をしている動画を見ました。
【歌唱力】歌がうまいってどういうこと?ボイストレーナーが超わかりやすく解説します。
そうなんだ~、もちろん鍛錬もあるだろうけど、プロの歌い手さんってこういうことを感覚的にやっていてすごいなと思ったんですが
これってもしかして楽器演奏にも言えるのでは?
特にバイオリンは人の声に近いと言われますし。
そう思うと、プロのバイオリニストと自分の音が第1音から全然違うのも心の底から納得です。
こういうことが無意識でできるレベルまで楽器演奏の動きも体にたたき込むってことなんだろうな~。
今ギターに力を入れていて、ここ弾くの一体何回目や?っていうくらい日々同じところを練習したりしているので
楽譜見なくても概ね弾けるようになり、指を見なくてもコードが押さえられるところも出てきました。
テンポも「これ無理!」って思う速さも、ゆっくりからだんだん上げていくとなんとかできるようになりました。
同じようにキーボードも一曲をしつこく練習してたら、だんだん間違う頻度が少なくなってきた。
バイオリンもしつこくポジション移動を練習してたら、少し音が安定してきた。
ドラムもセクション区切って繰り返し練習してたら、なんかからだが覚えてきた。
練習するとき、「今日はこれをやるぞっていう明確な目標」と体が覚えるまでしつこく弾くのが大切な気がしています。
時々、思い立ってお菓子を作ります。
私の場合、ストレス解消でもある。
このところスポンジケーキにチャレンジしていました。
スポンジケーキはこれまで何回も作ったことがあるのですが
成功したり失敗したりで安定してうまく作れませんでした。
何がだめなんだろうとレシピをいろいろ探し
この先生のレシピにトライしてみました。
なぜそうするのか説明があるのがよかったです。
しっとりふわふわ【スポンジケーキ】/パティシエが教えるお菓子作り!
1回目は私が砂糖と小麦粉を間違えて入れてしまったので(!)全然膨らみませんでした。
2回目は温度管理が甘くて半分くらいの高さにしかなりませんでした。
3回目は温度計片手に動画どおりにやって、ようやく大成功。型いっぱいに膨らみました。
おそらく生地の温度管理がよくなかったのと撹拌が足りなかったのが原因と思われます。
ちょっと焼きすぎかな?
あんまり失敗ばかりしていたので
スポンジケーキがうまくできたときだけクリームとフルーツ買うことにしてました。
今回は喜々として買いに行きましたとも。
イチゴを目一杯入れました。
クリームがあまりうまく塗れていませんが(少しゆるい?)、まあいいでしょう。
食べる方にはあまり興味がないので、失敗したスポンジケーキを食べるのなかなか大変でした。
味はいいのだけど、下半分が固くて...。
今回うまく膨らんだ、それだけで満足です。
上記の先生のお菓子作り動画はとてもきれいなお菓子がいっぱいなので
またしばらくしたら挑戦してみたいです。
年末・年始に無性に片付けたくなりました。
週に1回本棚の本のほこり払いをするのだけれど、それがとても面倒に思えた。
本はすでにかなり減らしていて、手元にあるのは思い入れのあるものが多かったのだけれど
どちらかというと思い出品で、日常的に読んでいるわけではなかったんですね。
使わないもののほこりを払う....ああ、面倒
減らすにあったってものすごく悩みましたとも。
子供の頃から持っている本や海外で買った図鑑もあったし。
使っているかいないかでまず判断し
使っていなくても本当にこれだけは勘弁してという大切な本のみ残しました。
売れる物は売って古すぎるものは断腸の思いで処分。
何もない棚の一画もできたけど、本はまだ多いように思ってしまう。
またしばらくしたら見直します。
服は何度やっても定まらないですね。
昔着ていて古びてきたから現場作業用に使っていたパンツも
外出しなくなって使わなくなっていたので日常着にしてみました。
なので一時的にボトムスの数が倍増
何が着たいとか 何が似合うとか、わからないから迷子になるんだろうな。
服はおそらくこれからも悩み続けると思います。すっきりしたいのはやまやまだけど。
かといって「制服化」しちゃうと、なんか飽きる気がするんですよね。
よっぽど気に入ったものでない限り。
そしてそこまで気に入ったものがあまりないという堂々巡り。
当面は、すごく困るまで服は買わない方針でいきます。
夏には困る気がするので、それまでに何を買ったらいいか戦略を練ります(できるか心配だけど)。
台所用品や食器も片付けたいのだけど、こちらもどうしていいかよくわかりません。
すでにかなり減っているのだけど、な~んか多い気がするんですよね。
片付けは自分に合った方法を自分で見つけていくしかないので
すっきりするまで地道に努力します。
16年間一緒に暮らしてきた猫が昨年12月下旬に亡くなりました。
人生2匹目の猫、初めてのメス、初めて子猫から育てた子でした。
主に手作り食を与えていて、かかりつけの動物病院もあったけどちょっとした不調はホメオパシーで対処していました。
16歳を迎えて、いずれはやってくる別れも意識していました。
初代のオス猫は13歳で感染症のため亡くなりましたが、病院でひとりで死なせてしまったので
できれば2代目の猫は看取ってあげたいと思っていました。
1年前くらいからよく水を飲むようになり
老猫は腎疾患が避けられないと聞いていたので病院で検査をしてもらいました。
検査値はさほど悪くはなかったのですが、年齢を考えると徐々に衰えていくだろう。
薬で症状の進行を遅らせたり緩和したりすることは可能かもしれないが、腎臓は悪くなると回復しないとのことでした。
半年後の検査でも検査値が急激に悪化したということはなかったのだけれど
だんだん食べる量が減り、少し多めに食べても吐き、本当に羽のように軽くなりました。
人間も老衰で亡くなるときはだんだん食べなくなって枯れていくと聞いていたので
食べなくてもあわてないようにしよう、水は適宜あげようと思っていました。
いつもいる日当たりのいい2階の部屋に閉じ込めておこうとしても
重いはずの引き戸を開けて階段を降りてくる。
落ちることも心配したけれど、好きなようにさせることにしました。
結局、まったく食べなかったのは最後の2日間だけでした。
それまでは一口だけでも食べたりしていた。
亡くなる2日前まで、昼はヒーター座布団の上に寝ていたけど夜は私の布団に潜り込んできて一緒に朝まで寝ていた。
足元はおぼつかなくなっていったけど、最後までちゃんとトイレで排泄しようとしてた。
介護する覚悟もしていたけれど手間がかかることはほとんどなく、とても自由で自立した子でした。
よろよろ歩いてたのに、抱き上げると嫌そうにしてたな。
亡くなる前日の夕方に立ち上がれなくなり、私の布団の横にヒーター座布団を置いて添い寝していたけど
寒いかもと思いタオルで下半身をくるんで布団の中に入れた。
翌朝、いつもの部屋のいつもの位置にヒーター座布団を置いて寝かせた。
今にも逝ってしまいそうで犬の散歩に行くのもためらわれたけれど、ちゃんと待っててくれた。
最後、前肢を少しバタバタさせ、ゆっくり呼吸したあと動かなくなった。
私の目の前で天寿を全うした。
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記憶の中に猫はちゃんといると思っているので(写真もたくさんある)
思い出の品にはさほど思い入れもなく適宜処分しました(食器、首輪など)。
思い出の品があると余計に猫がいないことを意識させられそうで嫌なんですよね。
あまりめそめそすることもなく、平常運転の日常に戻りました。
と思っていたら.....
先日、就寝時に猫がいないことがすごく怖くなった。
「悲しい」ではなくて「怖い」
今まで猫がいた空間を何か別のものが埋めているような
猫がいた記憶が自分の中で薄れていくような
息が詰まるような感覚。
猫がいないことに慣れていく自分。
今まで何頭もペットを見送ってきたのにこんな気持ちになるのは初めてだった。
怖くて苦しかった。
そしたら先日掃除をしていたときに、猫用トイレの紙の砂がひと粒でてきた。
亡くなって1ヶ月もたっていたのに、掃除もほぼ毎日してたのに今頃どこから?
もしかして私が怖がってたから、うちの猫が紙砂をひと粒よこしてくれたのかな。
「確かにいたよ」って。
まだ少し怖い気持ちもあるけれど、それも否定しないで
「ああ、理由はわからないけど私は猫がいないことが怖いんだな」と認めています。
生きているときはお互い我関せずでそれぞれ好きなように過ごしていたけど
確かに存在を感じて毎日暮らしていたんだな。
艶やかな柔らかい毛と薄緑色のきれいな眼が大好きだったよ。
16年間ありがとう。