こころラボ

楽しく幸せなこころを育てる実験

だいじなこと

2016-06-29 16:53:28 | 日記
服、服ってばかり言ってる自分が
少々めんどくさい気もするんですが
この「服」は表面をとりつくろうためのものじゃなく
自分のあり方と関係してるとわかるから
とことん向き合います 


根底にあるのはこれ。

わたしにはおしゃれする資格(価値)がない

おしゃれって女の子の特権みたいに思ってて
わたしには女の子としての価値がないから
おしゃれしたってどうにもならない(愛されない)
という理論です。

いま思うと

おしゃれに興味がなかった = わたしの心を無視してた

服なんてどうでもいい = わたしなんてどうでもいい

コーデわかんない、めんどくさい = 自分の本当の気持ちがわかんない、考えるのがめんどくさい

重症ですな 


心地いい服を見つけられたら
わたしの心が小躍りする(はず)なので
幸せなこころを育てる一環として
しばらくは試行錯誤してみます。


服とわたしの気持ち

2016-06-28 23:19:44 | 日記
服のコーデに相変わらず悩んでいて
この本を見つけた。

要らない服を捨てるのではなく
好きな服を残すという考え方がいいなと思った。

自分のクローゼットにある服のうち
どれが本当に好きかと考えたら
だんだんわからなくなってきた。

これは好きだけど
ずいぶん着てくたびれてる
何と合わせたらいいかわからない
毛玉が出てきてる
襟ぐりがもう少し狭いといいのに
アイロンかけが面倒
ヒップハングはあまり好きじゃない

無条件に好きって言えそうなのは
2着しかなかった。

自分の「好き」にかなり無頓着だったんだなあ 
ということに気づいた。

そんなとき
たまたまHappyさんのブログで青汁の記事を読み

ああ、自分の気持ちを無視したらだめだ

といたく同感。

もう一度服とじっくり向き合ってみます。

追試験中

2016-06-26 17:59:30 | 日記
どんなわたしでもいい

と思ったんですが
これがまた
水がろ紙にしみるようにじわ~っと
ゆっくり浸透しているような
してないような…

本当に腑に落ちたかどうか確認するため
もう少し様子見ます。


タイトルに惹かれて読んだにこう書いてあった。

「だれかを愛していると気持ちがポジティブになって
他の人にも子供たちにも優しくなれるからいいことづくめ」

その時ふと、

愛されたいと思わずに愛する

というのが降ってきた。

愛されたくて頑張ってきたから
こんな風になれたらいいなと素直に思えた。

そしたら思い出した。

少し前
10年くらい前に片想いしてた人に
仕事の現場で偶然会った。

当時は自分の方に振り向いてくれない彼に
他の女性に優しい彼に
もやもやして
ひとりで七転八倒して
かなり苦しかったし
会わなくなってからも
じたばたしてた。

でも偶然会ってすごく自然に話せた。

恋愛感情はもうないけど
その時のわたしは
自分で言うのもなんだけど
とてもいい笑顔だったと思う。

会えてよかったなと思えたし
別れた後も暖かい気持ちが残った。

これが愛されたいと思わずに愛するなのかな?
(わたしの気分がいいから錯覚でもいい~)

少し成長したかも


そういえば
心の底から変わりたいと思うきっかけになったのは
この彼だった!!


なんかしらんけど

2016-06-19 09:35:00 | 日記
眼鏡をかけてる自分の姿が冴えないな~
と感じていくつか違うタイプのフレームで眼鏡を作ってきた。
円形も試してみたくてある眼鏡屋さんへ行った。
友達が「これ似合いそう」と勧めてくれたのは
お店のお兄さんも「あ、それ僕もお勧めしようと思ったものです」
と言ってくれた黒縁眼鏡。

正直、黒は全く念頭になかったけど
素直にいいかもと思えた。

一旦カフェでお茶してクールダウンし
それでも欲しいなと思ったので
買いました、黒縁。

自宅で改めて見てもいい感じ。

その時ふと、眼鏡のフレームが問題だったんじゃなく
もしかしてわたしが
自分の姿を受け入れられるようになってきたから
この眼鏡が似合うと感じるのかもと思い、
古い眼鏡をかけてみたら
意外に似合ってる気がした。

そういえば
最近梅雨入りして蒸し暑く
髪をおろしてると汗だくになるので
もういいや気取らなくてもと
髪をくるくるまとめて
クリップでとめるようになりました。

服もどんどん数を減らして
色や柄もシンプルになり
ワンパターンでも
ストレスなく着られるものにしぼりました。

自分の容姿についても
いい意味で「どうでもいい」になってたかも。

うん、

どんなわたしでもいい

っていうのがいちばん近い。

ぱっかーんではなく
じわ~っとからだの芯から
その気持ちがわいてきた。

これがわたしの腑に落ちたなのかもしれない。
なんか楽だ。
ちっとも美人になんかなってないのにね。


マスターコースまで行ったにもかかわらず

いまだ仁さんの歌に感動しないけど
(仁さんが歌っても気にしない)

Beトレや問答ライブでキャーキャーはしゃがないけど
(はしゃがないからって楽しくないわけではない)

自撮りなんか興味ないけど
(自撮りしなくても自分のことは好きだ)

「どうせ愛されてるし」も「わたしは素晴らしい」も実感ないけど


そんなことどうでもいい。
これがわたしだから。


どんなわたしでもいいんだから


長かったなあ。
お父さんにほめられたかったと気づいてから10年以上。
心屋式を試すようになって3年あまり。

本当にじたばたといろんなことを試してきた。
だって、もう同じこと繰り返すの嫌だ
変わりたいって心の底から思ったから。

物理的なわたしはちっとも変わってないけど
ようやく心が変わったみたい。
これが心屋の「そのままでいい」なのかな。

何がきっかけかはわからない。
いろいろ試したからこそ
ここまで来られたと思う。
ほんと、「なんかしらんけど」だ 

あれ?
楽しく幸せなこころを育てる実験終了?

わたしばっかり

2016-06-16 09:34:21 | 日記
地域の粗大・資源ごみの日にごみ出ししていたら
ぎっくり腰になりそうな嫌な感じがきました。

うわ~、気をつけてゆっくりやらねば
と思ったけれど、すぐに思い直し
母に「腰が危ないから出せるものだけ手伝って」
とお願いしました。

そしたらほとんど出してくれた。

いつもは
ごみ出しに間に合わないくらい遅くまで寝てて
手が動かないだの腰が痛いだの
ふらふらするだの言ってるのに。

やればできるんじゃん‼
(終わった後、背中が痛いと言ってたけどね。
しかしわたしも痛いんじゃ~!)

高齢の母が体の不調を口にすると
わたしがやらなくちゃいけないな
わたしにやれといってるのかな
と思ってきたなあ。

そして
母や妹が「お金ない~」って言うと
わたしが出さなくちゃみたいな気にさせられた
(ちょっと無理すれば出せないこともなかったから)

わたし稼いでるから
わたし長女だから
わたしお姉ちゃんだから

でも思った。
「いいよな~、母も妹も。
お金ないって言いさえすれば
わたしが出してくれるから」

わたしがお金貸して(ちょうだい)と言っても
「ないから無理」
って却下するのに。

わたしだけ助けてもらえない。


まあ、これも700%妄想なんだろう。
違う形で母や妹には助けてもらってるから。

でもお金はもう貸さない(あげない)。

妹にはかなりの額を費やしていて
ほとんど返してもらってない。
返してもらうつもりもない。

もう十分だよね?

母には
水道、光熱、電話、食材費
突然家電が壊れた時の修理や買い替え費
すべてわたしが出してる。

お母さん、年金は自分の好きなことだけに使ってるよね?

母や妹に使っても
わたしが全然楽しくないから
いつまでもお金貸してってお願いされるから
もう卒業する。
これからは自分で何とかしてね。

これからのわたしは
わたしが楽しくなることのために
お金を使います。

【追記】
わたしが勝手にお金を貸すというお節介をしてたのかもしれない。