穂高駅に戻り〈リゾートビューふるさと〉に再乗車。行き違いの松本行きのあと発車します、次の停車駅は信濃松川。
それでは昼食を食べましょう、松本で駅弁を買ってあるんです。
今回チョイスしたのは恐らく一番リーズナブルな山賊焼弁当。800円という価格もあり名物料理で時間帯もいいので買う時に並んでいたが飛ぶように売れていた。飲み物は車内販売から缶チューハイ」、アテンダントがかごに入れて販売に回ってきたので無視するのも失礼でしょう。ただしかごに入ってたのはアサヒスーパードライだけだったのだが「ハイボールもチューハイもあります」と。チューハイの味は?と問うとレモンと言うのでお願いしたら冷蔵庫まで取りに行った。デッキ部に冷蔵ケースがあるんです。ともかく昨今では車内販売は新幹線でも壊滅的で東海道新幹線ののぞみくらいでしか生き残りが難しくなってしまった絶滅危惧種化してしまった。
これがなかなか旨い、山賊焼きの下に油吸収シートがあるので外してから食べますが、山賊焼きって結構ニンニクが主張してくる感じで、店で食べるのならそれでいいんですけど車内で食べることを考慮し抑えてある。レモンと塩でいただきます。おかずはごぼうの辛子味噌漬やわさび漬けが入ってて、若い子なら苦手だろうが酒飲みには最高だね。ちびっとわさび漬け舐めながら飲むのは最高です。これで800円ならお値打ち感が高い。
高瀬川で徐行運転、工事とかではなく観光用の。こういうサービスがあるのが観光列車のいいところ。車窓説明でも大糸線では北アルプスの景観を楽しむべく左手に架線柱を建植していないと説明、なるほどなと思ったがいつから始めたのだろうか。
信濃大町で10分停車、”つば九郎の巣”を発見、燕は元来鉄道が大好きですからね。先へ進みます。
大糸線は不遇な路線である、電化は南小谷まで延びている。昭和34年に信濃大町~信濃四ツ谷(白馬)がたった3か月の突貫工事で電化されたのに始まり、1年後には信濃森上まで進み昭和42年に南小谷に達した。南小谷への工事も半年ほどで終えておりいまでは考えられないが、変電所の増設とかは二の次でとにかく架線を伸ばして急行列車を走らせるのが理由だったと聞いたことがある。時はハイカーが多く週末になれば新宿駅アルプス広場に夜行列車に乗る人が並び急行〈アルプス〉が5分間隔で臨時列車が発車するような時代。とにかく行楽のメッカだった。名古屋・大阪からも急行は走り〈くろよん〉という列車もあった。信濃大町は黒部アルペンルートの玄関、信濃森上は登山基地、大糸線の世の春だったがレジャー志向が変わることは勿論、長野新幹線が開通して長野から白馬へバスで行くのが一般的になった。大糸線の優等列車は削減が続き、中央西線直通は臨時列車が設定されることも含め無くなり、いまでは僅かに1往復の〈あずさ〉が走るのみ。決して需要があってという話ではなく沿線自治体の要望込みの意地ではないかと思う。津山線にキハ47の急行〈つやま〉があったかのように。信濃森上が小さな小屋だけの無人駅になり下がったのからも察することができよう。
列車は終着の南小谷へ。この先糸魚川行きまで40分ほどの待ち時間。
窓口ではヲタが「株主優待券で、〇日の×から◆の乗車券と新幹線は…」と今ここで買う必要もない切符を注文して占領している。
外に出ると意外に暑い、駅前には土産物屋というか酒屋というか店1軒あるのみ。行楽客が多かったら缶ビール売れるだろう。
店先にヤマモリのヒート&イートなる自販機が。ヤマモリということは桑名が世界に誇る、あのヤマモリですね!どういう商品か気になりますが自販機見て冷凍食品ではなさそうだ。缶チューハイ買って戻るとヲタがまだ張り付いて「今度は〇日の特急にちりんの…」、本人は売り上げに貢献していると思っているだろうが迷惑行為だねこれは。
14時43分発糸魚川行きは2両編成、乗り慣れたキハ120。
その割には糸魚川方面に乗り継ぐ人が少なくて全体で30人程度。こうして2両目のボックス席を確保し冷房の送風口を自分へ向けます。
こんなに空いているのなら南小谷から村営バスで中土まで先行すればよかった。
昨年の12月はこの辺で猪と衝突して松本泊になってしまったが(GoToトラベルがまだあったのが幸い、早く再開してください)今回は軽快に進みます。大糸北線もかつてのシュプール号は6両編成くらいのキハ181や20系客車が入線してきたが、いまはそんなの見る影もない。JR東日本と交渉して、さっきの〈リゾートビューふるさと〉のダイヤを調整して糸魚川まで乗り入れできないものか。現状ダイヤが厳しいなら松本~糸魚川で再編してでも新幹線糸魚川駅からも旅客を呼び込む必要あると思うんだけどね。
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