気になること

視点を変えて、近頃気になること

地方自治の危機(追記39)…ムラ社会

2018-08-30 12:02:30 | 地方自治
日大アメフトの悪質タックル問題で上司の責任の取り方、日本ボクシング連盟の山根会長の不正疑惑、ひいては東京医科大学の不正入試に理事が指示などまで、最近のニュースではその原因を、各界に「ムラ世界」があって「とりまきはモノが言えない」という解説をしていた。

私が住んでいる田舎は、現在呼称こそ「町内会」であるが、昔は文字通り「村」であった。住民のムラ意識は、事あるごとに「これがそれらしい」と感じる程度であるが、首記ニュースのそれとは若干異なる。首記ニュースに明らかなそのムラの「ボス」に相当する人は、わが村では明らかでない。長老と言われる方々は、代替わりでよく分からないケースが多くなっている。違いは、首記ニュースの場合は利害関係が権威者に握られているが、地域のムラには目に見える利害関係は無いように見えることである。しかし「ムラ意識」はある。
 
 田舎には「新たな行事を作りたくない」というような見えない意識があるとは感じていたが、清泉亮著『田舎暮らしの教科書』には、「信じられないくらい閉鎖的な田舎というもの」が書かれていてびっくりした。組織の「長」の後ろにいる実力者に敬意が必要という。

 しかるに首記例の日本のトップと思われる世界でも、よもやと思われることが起きているので、私の田舎に「ムラ世界」があるとしても、所詮は同じタコツボの世界を抜けられないことは同じであると、実感が持てた。

 NHKの番組『あの人に会いたい』で、津本陽さんが、「日本人は自由競争になるとものすごく発展力があるが、組織化されると思考停止の状態になる」と考察されていた。
 今、思考停止しないようにしたい。
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地方自治の危機(追記38)…KJ法の「無心」と、裁判

2018-08-02 16:38:27 | 地方自治
私が、会社に入った40~50年前ころは、「KJ法による問題点整理や課題解決」のやり方が各所で取り入れられ、研修も盛んであった。「KJ法」は故川喜田二郎氏により、民族地理学など野外科学を研究する方法として、多くの雑多なデータから「その言わんとしている所」を導き、新しい発想を生む方法として開発されたものである。

正式にやろうとすると時間が掛かるためか、最近ではその名を知る人も少なくなった。しかし、多人数の意見を集約して新しい活動を生み出すべくよく行われているワークショップでは、必ずと言ってよいほど「ラベル」と「模造紙」が用意されて、KJ法類似の方法が採られている。

参加者が出した幾つかの事実や意見を、一枚のラベルに一つの項目を書いて並べる。そして同趣旨のラベルを近くに集めていくつかのグループを作る。続いてそれぞれのグループについて、集まった複数のラベルの意味を要約した文章を表札に書く。

 ラベルの集め方は予断的にではなく、「自ずから集まるように」集めるのがミソ(「己をむなしうしてデータをして語らしめる」)で、「無心」に通じる。 そのとき、どうしても他のグループに入らないと思われるラベルを、無理に押し込んではいけない。一匹オオカミのラベルが貴重な発見である場合もある。

地方自治の危機を無意識に助長しているような判決を出す場合の「裁判」について言えば、どうしても仮説や予断が入ってしまう人間の本性によるとも想われるが、KJ法を倣って出来る限り「無心」で表札(判決)を書き、コトの本質をつかみ出すよう努力すべきである。
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