大分むかしの事になってしまったが、本ブログ「地方自治の危機(3)」前後で述べた住民訴訟の第1回口頭弁論期日のこと。早朝の電車で二時間も掛けて、はるばる長野市の裁判所へびくびくしながら到着した。相手側は来ておらず日を間違えたかと心配したが、被告人は初日は来なくてもよいということを後で知った。
その代わり、3人の新聞記者に取り囲まれ、訴状を見せてくれと言う。訴状を見たければ裁判所に見せてもらえばいいのにと思った。私はますますドキドキして、咄嗟に「もし新聞に私の名前などが出たら、今の家に住み続けることができなくなるのではないか」という思いにかられて、記事にはしないでほしいと懇願していた。そういえば、数日前に県内のテレビ局からも電話があり、「訴訟を起こしたことを放送してよいか」と聞かれ、断っていた。
第2回口頭弁論において裁判長は、正に予断をもったとしか思われないことを私に要求した。すなわち被告に言い開きの根拠となる証明を求めるのではなく、疑問を呈している私(原告)の方に謎かけをして来た。(それどころか私が証拠を沢山出したにも関わらず、被告側は最後まで一つも証拠を出さなかった。今でも不思議だが、裁判所も被告に証拠を一切要求しなかった。)
原告の私への要求は、「市が随意契約にした理由が、地方自治法施行令167条の2第1項の第2号でも第7号でも間違いである理由を述べよ。」というものであった。
私は、第2号などと一言も言っていない。市が第7号と書いた根拠となる証拠を求めたのである。原告は、市の仕事の則となるべき法律を以って、ここがおかしいと言っているのに、裁判所は被告が後出しした第2号に対し、そうではない理由を述べよという。この調子だと、次に被告が「実は第5号だった」といえば、私が第5号ではないことを証明しなければならないであろう。
余りの理不尽さに直ちに反論しようとしたが、「本人がする訴訟のやり方」を書いたある書籍に、「裁判官の心証を良くしなければならない」とあったのをわきまえると、大人しくするしかなかった。
わたしは、判決で負けることを予感した。これはたまらないという気持ちから、裁判初日にもらっておいた3社の新聞記者宛に、訴状のコピーを郵送して何らかのリアクションを期待した。しかし裁判所の勝手とは言え、第2回口頭弁論以降の口頭弁論がすべて非公開とされたせいか、二度と記者に会うことはなかった。
結果は予想通り敗訴となったので、新聞に載せておいた方がよかったかなとも考える。結果的に、マスコミは訴状が出されたことだけにニュースバリューがあるのであり、途中あるいは中身には興味が無いのだとも思った。
その代わり、3人の新聞記者に取り囲まれ、訴状を見せてくれと言う。訴状を見たければ裁判所に見せてもらえばいいのにと思った。私はますますドキドキして、咄嗟に「もし新聞に私の名前などが出たら、今の家に住み続けることができなくなるのではないか」という思いにかられて、記事にはしないでほしいと懇願していた。そういえば、数日前に県内のテレビ局からも電話があり、「訴訟を起こしたことを放送してよいか」と聞かれ、断っていた。
第2回口頭弁論において裁判長は、正に予断をもったとしか思われないことを私に要求した。すなわち被告に言い開きの根拠となる証明を求めるのではなく、疑問を呈している私(原告)の方に謎かけをして来た。(それどころか私が証拠を沢山出したにも関わらず、被告側は最後まで一つも証拠を出さなかった。今でも不思議だが、裁判所も被告に証拠を一切要求しなかった。)
原告の私への要求は、「市が随意契約にした理由が、地方自治法施行令167条の2第1項の第2号でも第7号でも間違いである理由を述べよ。」というものであった。
私は、第2号などと一言も言っていない。市が第7号と書いた根拠となる証拠を求めたのである。原告は、市の仕事の則となるべき法律を以って、ここがおかしいと言っているのに、裁判所は被告が後出しした第2号に対し、そうではない理由を述べよという。この調子だと、次に被告が「実は第5号だった」といえば、私が第5号ではないことを証明しなければならないであろう。
余りの理不尽さに直ちに反論しようとしたが、「本人がする訴訟のやり方」を書いたある書籍に、「裁判官の心証を良くしなければならない」とあったのをわきまえると、大人しくするしかなかった。
わたしは、判決で負けることを予感した。これはたまらないという気持ちから、裁判初日にもらっておいた3社の新聞記者宛に、訴状のコピーを郵送して何らかのリアクションを期待した。しかし裁判所の勝手とは言え、第2回口頭弁論以降の口頭弁論がすべて非公開とされたせいか、二度と記者に会うことはなかった。
結果は予想通り敗訴となったので、新聞に載せておいた方がよかったかなとも考える。結果的に、マスコミは訴状が出されたことだけにニュースバリューがあるのであり、途中あるいは中身には興味が無いのだとも思った。