気になること

視点を変えて、近頃気になること

高齢になるということ

2020-10-05 18:47:50 | 傾聴
 諏訪中央病院の9月10日の「第250回ほろ酔い勉強会」は、ユーチューブの中継で、鎌倉市円覚寺の横田老師と東京の桜井医師らが「人生100年時代をどう生きるか」について話された。

 印象に残ったのは、「猫の赤ちゃんは人と同じように可愛いが、高齢の猫もそれなりに可愛い。それでは人間の場合はどうか。」という発問であった。「高齢者との境界を無くす」ことで、高齢者が死に近いといって遠ざけられることが避けられるのではないかという。境界を無くす具体的方法については、議論が多い所で終わった。

 思うに、人の赤ちゃんは無条件に可愛いが、生活や他の生きがいのための活動もするおとなにとって、子どもを養育するのは悪戦苦闘の面もある。そんな子育ての中に喜びを見出すように、ある程度苦労することが人生と考えると、種々苦労した高齢者の人生も可愛いと言えるかもしれない。
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共感を得るということについて

2018-01-03 11:42:18 | 傾聴
謹賀新年 2018
 年賀状も年々少なくなるが、今年も何枚かいただいた。
びっくりしたのは数名の方から、昨年の年賀状に載せた、わたしの書いた絵についてのお褒めの言葉があったことであった。祝い文句ではあると思うが、昨年のことを覚えていていただいたのには感激した。

 昨年の年賀状に、添付の写真を入れ、「シニア大学の実技講座で学んだ水墨画で、自分の村の水利ダム」との釈明文を入れていた。
年賀状は例年、家内と連名で出すが、わたしが会ったこともない、家内のお友達からもお言葉があった。

 直ぐには付かぬ話だが、わたしが地区自治会の総会で、「地域の支えあいなどについて」など話をしても誰も乗ってこない。

 しかるに、ハガキの絵は無言なのに、多少とも共感が得られたという満足感がある。一方、言葉を尽くした「総会での発言」は全く共感を得られなかった。
 ちなみに、昨年の水墨画以後の絵の修業はサボってしまった。今年は、再挑戦したい。

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傾聴ボランティア(9) 高齢者と地域コミュニティ

2015-03-13 10:33:55 | 傾聴
 要介護状態になっても、我が家で過ごしたいと多くの高齢者が望む。しかし介護者がいない独居者や、家族が仕事に出なければならない家庭の場合は難しくなる。これを少しでも補う方法として、地域での声かけ運動や、見守りを試みている団体があることの報道もある。
 私の周りでは、かつて農業が盛んだった頃、「結い」という共同作業もあった「農事組合」を主体としたコミュニティは影が薄くなり、町内会組織が主体となったが、近所付き合いは浅くなった。もっと分かり合いたいと思う反面、深い付き合いは大変と思う人もいる。
 災害のときも含め、ご近所同士のつながり組織は必須と思うが、どうやればできるだろうか。
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傾聴ボランティア(8)名前を覚えたい

2015-02-26 10:43:55 | 傾聴
 傾聴に行って、以前会ったことのある方には、名前を呼んで挨拶するとスムーズに会話に入れる。しかし余程努力して覚えておかないと、なかなか名前を覚えられない。
 老人施設での傾聴では、話し手さんの前で名前だけであっても、メモを取らないようにしている。メモを取る場合は、終わってから記録する。何かの調査と間違われないためである。ただ、話者の自分史的なものを作る目的や、「予めテーマを持たない聞き書きで想像を越えた深い話しを引き出す」(六車由美著『驚きの介護民俗学』)ためにメモをする方法も報道されている。
 TVで見た、あるホステスさんの方法は、細かい顔の特徴を覚えるのではなく、名前を入れた写真を撮るようにイメージとして記憶するという。他の番組では、「お名前は?」と訊いて、相手が不審そうに苗字を答えたら、「下の名前を聞きたかった」というなど、どこでも苦労している話をしていた。
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傾聴ボランティア(7)仏教の小乗と大乗に関連して

2015-02-17 15:41:09 | 傾聴
 傾聴の目的の一つは、相手が話すことによって考えの整理が付いて自分なりの判断や納得に至ることができれば、そのお手伝いをすることにある。傾聴者に解決策を求めてはいない。
 別次元ではあるが、佐々木閑著『日々是修行』に、「小乗とは、この世を神秘なき法則の世界と見て、その中で自己救済を目指す道であり、大乗とは、その法則性を超えた神秘作用を信じ、そこに救いを求めていく世界である。神秘性に頼って生きることが難しい現代では、小乗が利己的で偏狭な教えということはなく、人生の貴重な道しるべである」とある。
 超単純比較だが、傾聴の「話すことで自分の気持ちを整理」の様子は、小乗の「(修行などによって)自己救済を目指す道」に似ているような気がする。
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