2018年1月5日の朝日新聞、「語る--人生の贈りもの--」欄で、書家の石川九楊氏は、京大法学部在学中に「法律には事態を変える力はない」と感じ、1ヵ月でやる気が失せたという。法律というのは結局、事態の後付けでしかなく、やりがいがないと思ったそうである。
私は、「地方自治の、ある事態の不具合」についての常識的軌道修正を訴えたが、裁判所は修正しなくてよいという「後付けの理由」を探してきた。前段の石川氏の気づきが、私の経験の「後付けの理由とすべく、適当な法律を恣意的に持って来る裁判所には、事態を変える力はない」と相似に思えた。
石川氏が、最初のたった1ヵ月で法律の無力さに気づいたことには、驚嘆する。
私は、「地方自治の、ある事態の不具合」についての常識的軌道修正を訴えたが、裁判所は修正しなくてよいという「後付けの理由」を探してきた。前段の石川氏の気づきが、私の経験の「後付けの理由とすべく、適当な法律を恣意的に持って来る裁判所には、事態を変える力はない」と相似に思えた。
石川氏が、最初のたった1ヵ月で法律の無力さに気づいたことには、驚嘆する。