気になること

視点を変えて、近頃気になること

知己が多いことのメリット

2023-12-06 18:20:11 | 地域ボランティア
 地域起こし協力隊についてよく耳にするようになった。活動地域以外の出身者が多いと思われるが、まず飛び込んだ地域に知人を作ることから始める必要があると思うと、大変だなあと感じる。解決の一つとして、まず地元に顔が広い人と懇意になって、バックアップを求めることが考えられる。

 わたしは現役のとき長年にわたり地元を離れていたので、ユーターンした現在、世代交代している家が多い地元に知己が少ない。
ところで、地元でずっと医師をしていたある方は、医師会長の業績で旭日双光章を受賞したと報道された。医師のかたわら、医療介護補佐事業を市から受託したり、中学生の吹奏音楽会を開催、図書館の関連講演会開催等々の活動でも地域貢献したという。

 ひがみを言えば、これらの活動は地域に沢山いるであろう知己のネットを利用したり、また知人による賞への推薦も受けられたのだと思う。
 友達が有用なことは、わたしがこれらの情報を中学時代の友達の一人から仕入れたことからも言える。
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「共感」について

2023-08-06 20:34:20 | 地域ボランティア
 傾聴ボランティアの講習で強調された「共感」は、「相手がどのような状態・状況の人であっても、上位者であるかどうかに関わらず、深い思いやりと温かな心で向かい合い、話し手の気持ちを分かろうと努力すること」と教わった。
 共感とは、自分が体験・経験したことのない話でも、相手の身になって気持ちを感じ取る努力であり、大切なのは自分の気持ちではなく、相手の気持ちである等々。

 ところで最近の新聞の書評で紹介されていた、尹雄大(ゆん・うんで)著『聞くこと、話すこと』では、「共感」の問題点を指摘している。「コミュニケーション能力に「共感を求めてしまうと、話す側は世間体を気にして話しをねじ曲げてしまったり、性急に同意を求める余り、自分の内なる声を裏切ったりしてしまう。」
 例えば、子どもの頃に絶えず親の暴力に曝されてきた人。そんな身を切るようなつらい思いが人に分かるはずなんかない。でも同時に分かって欲しいという思いもある。ではどうすればよいか。共感なんていらない。必要なのは「あなたのことを知りたい」という率直さだ。それがあれば、たとえ相手のことを理解できなくても、信頼して言葉を紡げる関係性が出来上がるという。正確に考えようとすると奥が深い。
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正解のない問題を解く力を付ける教育はどんな

2022-01-05 17:01:30 | 地域ボランティア
 わずかな時間だが、母校の小学校の「読み聞かせの時間」を借りて、児童に実験工作を見せたり関連の話しをしている。 一般にどの企業も常に新しい商品を考えることを社員に望んでおり、発明工夫などでアイデアを出すため、周囲を観察して何かに気付くことの大切さは、NHKのEテレの児童向け番組でも種々取り上げられている。

 これは理系だけでなく、文系でも企画や創作にも共通である。ただ、子ども達にどのような教育をすれば、「考える人」になるかは試行錯誤中と思われる。

 丁度、最近図書館で借りた『おうちで楽しむ科学実験図鑑』という本の序に、一つの答えのような叙述があった。「正解のない問題に取り組むことで、自分で考える力を身につける。自分の手を動かし、目の前に起こる現象を見ることで、疑問を持ち、自分の頭で考えるようになる。その手段としての科学実験を集めたのがこの本」であると。
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町内の他人より、広域の知人

2020-12-05 18:27:31 | 地域ボランティア
 昔1軒の家があった隣地に、数年前、不動産屋が今風の家を4軒建てた。狭い道路をはさんで我が家に面する2軒とは、モノのやり取りもあってどんな家庭かもおよそ分かる。しかしその向こうの影になっている2軒にはどんな人が住んでいるのかさえ知らない。

 昨今は、高齢者の居場所を作って人と話す機会を持つ事によりフレイルを防いだり、支えあい活動の広がりが推奨されている。国が進める地域包括ケアシステムにも、地域活動推進コーディネーターを中心に地域での共助が求められている。しかし「共助のためにグループを作って、さあ支えあいましょう」といってもなかなか始まらない。

 先日、親しくしていた友人が亡くなった。やや遠方で一人暮らしの彼に野菜などを届けていたが、知り合ったのは地域のサロンなどではなく、広域の、ある活動グループであった。

 近所の知り合いもできにくい昨今、多少遠方でもグループで知り合った人なら支えあうことにてらいが無い。「支えあい」を目的に町内でグループを作るのは簡単でないので、趣味や運動の同好者グループを通して知り合った人の支え合いから始めるのがよい。
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無料塾と地域ボランティア(8) ボランティアの押し売り? 

2015-04-16 11:20:12 | 地域ボランティア
 無料塾ではないが、良かれと思って奉仕したことでも、そのまま受け入れられないことがある。
 ある年配者の勉強会と忘年会の幹事をやったとき、良かれと思って二つの即席ボランティアを試みた。一つは会費の足しにと思って、丁度発売が予告されていたプレミアム付き共通飲食券を買っておいたこと。前売り券は人気が高いので、開始時間に出かけて行って少し並ぶ必要があるなど若干の努力を要する。もう一つは、勉強会の先生から預かった資料を会員分プリントするのに、コンビニでは一枚10円するところ、私の町内自治会のコピー機を利用すると半額で済むので、これを利用したこと。ただ、管理担当者さんから公民館の鍵を借り、後で使用料を払うという若干の手間を要する。借りる方の努力も要るが、貸す方の管理者さんも結構大変なボランティアである。
 意外だったのは、このようにささやかと思ってやった努力に対し、勉強会および忘年会の終了後の会計報告に、会員の一部から異議が出た。曰く、「商品券はプレミア分の寄付といっても、幹事が自分で使うべきである。コピーも一枚10円はお決まりだから、会費から支払うべきである」と。確かに、他の会員が別の機会に幹事をしたとき、前例を倣うとしたら大変、というプレッシャーを感じるかもしれない。しかし、正論ではあるかもしれないが、余りに四角四面のことをいわれると、それでは商品券を買いに行ったり、資料をコピーするのに要した時間の人件費も出してください、と言いたくなる。
 本件の場合は、自分が良かれと思って実行した努力を、悟られないように会計報告をすればよかった。それでも一般的には、自分のした事、特に「奉仕」したことは、相手にも快く聞こえるだろうと、ついつい喋りたくなってしまう。好意と思われる事は、素直に受け取ってよいのではないか。
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