今日は一日
良い天気らしい。
★ ☆ ☆
報道機関というのが、どうも
いまひとつ不親切な気がする。
親切心の有無ではなくて、取材の
予算の不足かもしれないし、または記者の勉強不足かもしれない。とにかく何か、
不足しているような気がする。なにか根性がない。
かつて、イランもイラクも日本に対して原油を多量に販売してきた商売相手だった。それが
アメリカという国の事情で敵対関係になった。フセインが死んだ。ビンラデインが死んだ。
そして終焉かと思えば、またぞろおかしなことが続いている。
アラブの事情、アメリカの事情、それが日本にきめ細かに飲みこめるわけもないだろうが、
アメリカには人に言えない事情があるんだろう(それが国益というものかどうか)。日本は、
ただひたすら、アメリカの言うなりになっていいわけもなかろうに、そのあたりを果敢に
情報を提供する記者がいてもいいような気がするんだなあ。
それとも報道もすっかり政治体制にくみこまれているのだろうか?
イラン人、イラク人、イスラム各派の討論特集かなにかやってはどうだろうか?
日本人は、ちょっと違う角度でものを見てみよう、なんて動きがあってもいいのではないか。
博多では
“しろしい”
といいます。
“また雨ね、しろしかあ”
というふうに
使います。
3時の散歩は
カッパを脱いで
歩くうちに
ちょっと
日が射してきました(^^/
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ところで、今朝も新聞で、集団的自衛権の行使について出てました。
『原油輸入ルートの機雷除去が目的のひとつである』、という議論
でした。米軍など他国の軍隊に守ってもらいながらの除去作業なら
過去にもやっています。交戦できる体制に国体を変えなくてもいいのではないでしょうか?
というのが一つの疑問です。
二つ目の疑問は、集団的自衛権という名前の米国の同盟国である日本の自衛艦が
ホルムズ海峡にさしかかった時、敵国は米国と日本を同等敵国とみなすのではないか?
三つめの疑問は、日本の外交と技術力を、米国との集団的自衛権を考える前に、
イランとの平和外交を模索する独自の方向で動けないのだろうか?など疑問が
いっぱいです。
イラクに大量破壊兵器がなかったにもかかわらず、戦後の総括はされませんでしたよね。
米国だけが世界の良識である、という考え方は危ないでしょう?
いくつかの事例を出して、なんとか軍事的に動けるようになりたいと、この国の首相は
思っているようですが、平和憲法という世界に二つとない国の姿勢を戦後70年守ってきた
先人の苦労と努力の結晶を、そんな簡単に捨ててしまっていいものでしょうか?
初夏の
今日の海辺は
ゴミは
ほとんどない
けれど
空気は
薄ぼんやりと
ほんの
数キロ先の
島も
山も
かすんで、
昔々、
川崎あたりの京浜工業地帯を
横須賀線で横切る時のいやな記憶が
よみがえります。
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よみがえると言えば、
戦争の悲惨さが
またぞろ心配になるような、
ぶっそうな雰囲気が
次々と沸いていますね。
中国も北朝鮮の動きも
そうだけれど、
“集団的自衛権”というあれネ、
なんのことはない
この日本がですよ、
戦後必死に守ってきた
憲法に定める不戦の
決意を、
憲法改正も国民投票も
なにもなしに、
『戦争に巻き込まれる』、
『他国と戦争出来る』、と
いうことを、今の政権が
決めようとしてる、
ってことですよね。
“自衛”という定義付け一つにしても、
近代戦では、難しいんでしょうが、
とにかく“不戦”という
長年、無理やり守ってきた
“国是”みたいな覚悟みたいなものを、
小手先のへりくつで
“解釈の変更”をしちゃって、
いいんでしょうかね。
国を守る、ことは必要だけど、
あくまで正々と手順を踏む
べきではないんでしょうか。
“二度と過ちは犯しませんから“って
言葉が原爆ドームにありましたよね。
大きな過ちの始まりにならないように
しなければいけないと思います。