60才からの僕の第二の人生

仕事は無上の喜び
理想を高く掲げて、突き進む
60才からの僕の第二の人生

思い込みを止める

2021-10-13 02:08:43 | 
 人は、なんとなく常識に流されていると思います。
年を取れば腰は曲がり、よちよちとしか歩けず、物忘れはひどくなる。
年寄ってそんなイメージがあります。
そして、自分もそんなイメージに乗ってしまって、あぁ、俺も年だなぁ、なんて言い始めます。
そして、何かに挑戦することもなくなってきます。

僕は、そんな世間のイメージに流されて生きるのなんて、まっぴらごめんです。
あいつは気が狂っている、とか、いい年こいて、と言われようが、まったく関係ありません。
最高に鍛え上げた体で、最高に研ぎ澄まされた頭脳で、
これからも今まで通り、もっと、もっと自分の可能性に挑戦していきたいです。

仕事は、今まで以上の最高のパフォーマンスを発揮します。
今の立場でできる限りの仕事を10年かけて、極めていきたいです



60代の独立の勧め

2021-10-12 00:26:18 | 
 定年後の人たちのユーチューブを見ていて、思うことがあります。
僕は、最高に幸せだと思うのです。

なぜなら、やるべき自分の仕事があるからです。
そして、楽しく仕事ができているからです。

定年後、リタイアした人の感想は大概が仕事から解放された、もう仕事をしなくてもよい、というものです。
仕事の概念がネガティブなものになっています。
つらい仕事をしなくてよいから幸せだ、というものです。

僕の仕事への概念とは、真逆なものです。
僕は仕事が生きがいなのです。
まだ、62歳ですが、女房からは仕事を辞めてリタイアしても食べていけるといわれました。
しかし、仕事を辞めることなんて、できません。
仕事をやめたら、あと20年間、僕はどうやって生きていけばいいのでしょうか?

このように一般の人と違って仕事をポジティブに受け止められるのは、27歳のときから独立を目指してやってきたからにほかなりません。
独立するのに、大変苦労をしました。
その苦労が僕を一回り大きな人間にしてくれたように思います。
仕事に対する考え方も大きく変わり、仕事をリスペクトできるようになりました。
最初はお金に苦労しましたが、今は十分稼ぐことが出来るようになりました。

僕の人生を振り返ると、やはりみなさんに独立を勧めたいです。
嫌々仕事をやっているとか、仕事をやらされているとか、会社に文句を言っている人は、いますぐ会社を辞めるべきです。
そして、独立をすべきです。
定年を待たずに、一刻も早く独立を目指すと、その分結果も早く味わうことが出来ます。

サラリーマンのみなさん!
厭々仕事をして定年後ボーっと生きますか、それとも最後まで楽しく熱狂の人生を生きますか?

60才過ぎている人は、何をしているのか?

2021-10-11 00:16:19 | 
 最近は仕事以外の事に興味がなくなってきました。
少し前までは、仕事がない日のほうが忙しかったのに、今は仕事がない日は基本暇です。
今は、資格の勉強しているからまだいいのですが、それが終わったら何をしようか、決まっていません。

そこで、ほかの人が何をしているのか調べてみました。
定年退職の人が作っているユーチューブを見てみました。
ほとんどが、定年後の仕事がなくなった時間をいかに、退屈なく過ごすかです。
定年したから、僕はこんなことを成し遂げるとか、このために生きるとか、そんな使命を持って生きている人は皆無でした。
我々は、何のために生まれてきたのでしょうか?
ただ生きて死ぬためだけなのでしょうか?
もしかしたら、何かの使命を受けて生まれてきたのではないでしょうか?

僕は、この日本という国に生まれてきたことを非常に感謝しています。
しかし、この国を非難ばかりしている人がいます。
その人こそ、非難ではなく、自らが国のためにすぐに働くべきだと思います。

今まで出来る限りのこと、思いつく限りことをしてきました。
その中で、結局僕は仕事で生きるしかないのかなぁ、と思い始めました。
僕が楽しく仕事に打ち込み、仕事で成果をあげて社会の発展に貢献する。
それを見て、ほかの人が仕事の楽しさを感じてイキイキと仕事をするようになる。
僕にできることは、それしかないような気がしてきました。

できる限り仕事をしていくつもりです。
付加価値の高い仕事をやっていきます。
その付加価値のある仕事の生産の対価として得られたお金をすべて使います。
僕なりの日本を創造していきたいと思っています。


スーパーで思いっきり食材を買った

2021-10-10 08:38:05 | ダイエット
 いつも行くスーパーは、OKストアです。
近くにスーパーロピアがあるのですが、滅多に行きません。
なぜかというと、ロピアには食べたい総菜がたくさんあるのですが、どれも量が多いので食べきれないので、結局買わないからです。
いや食べきれないのではなく、多くの量を食べてはいけないからです。

でも、食べたい。
近くに独身の息子が住んでいるので、残った食材は息子に持って帰ってもらうことにしました。
そして、ロピアで食材を山ほど買ってきました。
それを、少しづつ食べて、少しは食欲が満たされた感じです。

また、2,3日前に「しゃぶ葉」に一人で行きました。
別にどうしても、しゃぶ葉に行きたかった訳ではなく現場の近くに食べるところがほかになかったからです。
肉は、食べ放題なのですが、肉はほんの2皿だけしか食べませんでした。
あとは、サラダバーにあるものを適当に試してきました。
まあ、1,800円も払って、もったいない話ですが、食べすぎて太ったり病気になるほうが、もっともったいないので、少ししか食べませんでした。

会社を辞めたら、思い切り運動して思いっきり食べるか、
何もせず、思いっきり食べて、思いっきり太るか、
どちらか、やってみたいですね。





信頼の条件

2021-10-09 22:03:53 | 
 パートナーとしての条件は、何だろうか?
それは、絶対的な信頼だと思う。
その信頼はいかにして築かれるだろうか?

それは、相手が想像もできないような対応を取らなければならない。
もし普段の対応が誰でもできるようなことであれば、それなりの信頼しか得られない。

例えば、生活が苦しい若い夫婦であれば、旦那が司法試験に合格して弁護士になったらどうであろうか?
しがないサラリーマンだった男が、会社を立ち上げて、その会社を上場せれたらどうであろうか?

女性が男にこんなことを望むことは、そうはないと思う。
女性は小さなことしか望まない。
もう少しの給料アップ、もうちょっと家事の手伝い。

こんなことを男に望めば、男は小さな男にしかならない。
女は、男に「自分が想像もできない世界を見せて。」
と、だけ望めばいいと思う。

男は、その期待に応えたいだけなのだ。
男なんて、女でどうにでもなるのだ。