60才からの僕の第二の人生

仕事は無上の喜び
理想を高く掲げて、突き進む
60才からの僕の第二の人生

やりたいようにやって、何が悪い?

2022-08-21 00:00:44 | 
 僕ほどやりたいように、生きてきた人がいるだろうか?
脱サラ、独立、格闘技、モトクロス、素潜り漁(漁協組合員)、楽器、思いつくままに何でもやってきた。
勿論、華やかな人生では全然なかった。
好き勝手な行動のおかげで、手痛い人生を送ってきた。
貧乏、入院、死を覚悟したこと、、、、
女房にも、散々迷惑をかけてきた。
でも、これでいい。

人と違う人生は十分おくれた。
そんな僕も63才になった。

今まで以上にもっと、もっと無茶苦茶にやるぞ。
こんなクソ野郎に文句があるなら、あなたの人生を語ってくれ!


いつまで、働くつもり?

2022-08-16 07:18:00 | 仕事
 最近、よく聞かれる。
「いつまで、働くつもり?」

仕事を辞めてしまった人が、よく言う言葉。
「働く必要がない。」
「もう十分、働いた。」
「働きたくても、働く場所がない。」

憲法は
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ 」
すべての国民は、国民である限り、生きている限り働く義務がある。

本当に十分働いた、と言えるだろうか?
仕事にただ時間を費やしただけではないだろうか?
その仕事は、何かの役や人の役に立ったと言えるだろうか?

そもそも、働く基本は自分で仕事を始めるべきである。
人に雇ってもらう事を考えるのは、仕事に対する情熱にかけているように思われる。

さあ、仕事だ。

人格

2022-08-15 22:14:39 | 毎日筋トレ
人格と言う言葉は、特別だ。
人を格付け扱いしても、誰も怒らない。
勿論、人格を引き合いにするのは、たいていは人格が高い人を対象に語られるからだ。

仕事とは、何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。 
労働とは、体を使って働くこと。特に、賃金(ちんぎん)・報酬を得るために、体力や知力を使って働くこと。 

仕事を単なる労働ととらえると、「働きかた改革」のような、如何に怠けるかが焦点となる。
しかし、仕事を本来の「何かを作り出す、成し遂げるための行動」と考えると話が真逆になる。
如何に成果をだすか、如何に自分の渾身の力を出すかに関心が向く。
自分の全てをかけて、仕事の成果に結集させたい。

人格者と呼んでいる人は、後者ですよね。
だったら、ただ金のために仕事をする人は、いったい何?
そんな人間、社会にいる?

やる気をだそう!

2022-08-15 17:35:42 | 毎日筋トレ
ボーとしてると、やる気がでない。
取り立てて興味をひくものもない。
仕事はめちゃくちゃあるので、やらなきゃいけない仕事はする。

これが、歳を取るということか。
これからは、自分の思うままに生きていけないと思う。
自分を鼓舞し、何でもよいから何かを強く追い求めて生きていかないと、
本当に自分はダメ人間になりそうだ。

一日一生なのだ。
今日死んでも悔いのないような生き方をしたい。

さあ、仕事だ。