🍀🍀江戸の自由🍀🍀
「大は大につき、小は小につき、そのほどほどを離れず、
土民百姓は、わずか1村2村の間に心を住(とどめ)て、身上を比べ、分別を争って離れず、
侍はまた侍の間に住(とどまっ)て、わずか己が友 50、100人の間を離れずして、その思惑肝要として、身上を比べ、分別争ってうらみやそねむ心あり。
出家はまた出家の間に、住(とどまっ)て知恵を争い、住持ちを望んで、ついに出離を知らず。
その他の有り様、その品(ひん)のことなりといえども、迷う心は1つなり。
それ愚人の心は、さらに人道に住むこと叶わず、多くはただ、餓鬼畜生の住家として、
縁に逢う時は修羅地獄に入れて、
片時も安きことなしと見えたり。
しかりといえども、これを悦びて、離るることをわきまえず。
仮にも真の理(ことわり)を聞きては、恐れあざけって罵る、
明らかに、この理を知りて、そこそこ離れて立ち上がり、自由なる身となるべし」
(鈴木正三)
「大は大につき、小は小につき、そのほどほどを離れず、
土民百姓は、わずか1村2村の間に心を住(とどめ)て、身上を比べ、分別を争って離れず、
侍はまた侍の間に住(とどまっ)て、わずか己が友 50、100人の間を離れずして、その思惑肝要として、身上を比べ、分別争ってうらみやそねむ心あり。
出家はまた出家の間に、住(とどまっ)て知恵を争い、住持ちを望んで、ついに出離を知らず。
その他の有り様、その品(ひん)のことなりといえども、迷う心は1つなり。
それ愚人の心は、さらに人道に住むこと叶わず、多くはただ、餓鬼畜生の住家として、
縁に逢う時は修羅地獄に入れて、
片時も安きことなしと見えたり。
しかりといえども、これを悦びて、離るることをわきまえず。
仮にも真の理(ことわり)を聞きては、恐れあざけって罵る、
明らかに、この理を知りて、そこそこ離れて立ち上がり、自由なる身となるべし」
(鈴木正三)
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