食べ物は大切
💓☁️生命は流れている☁️💓
シェーン・ハイマーは、なぜ「生命は流れている」と言ったのか。
彼が抱いたのはこういう疑問でした。
「人は生きるために食べ物を食べ続ける。この『食べる』とはどういうことなのだろう?」
と。
例えば、自動車であれば、給油口に流し込まれたガソリンは、エンジンで燃やされ、
それがすべて自動車を動かす力に変わります。
当時の学者たちは食べ物もこれと同じようなものと考えていました。
当時はすでに生き物を「機械的な存在」と捉えていたのです。
つまり、「食べ物は、すべて体温や運動や代謝のエネルギーに変わり、
その燃えかすは、二酸化炭素や尿、糞に形を変えて体外へ排出される」ということです。
彼はそこに疑問を持ち、「消えないマーカーペン」で色をつけた食べ物を、マウスに食べさせる実験を行います。
その結果、「食べ物の半分以上が体の一部に成り代わっている」と判明しました。
自動車で例えると、「ガソリンが車の座席やハンドルの一部になっている」ということです。
この実験結果により、
「人が物を食べるのと自動車にガソリンを入れるのとは、まったく違う」
ということが分かりました。
このように食べ物の一部が体内にとどまり、一部は体外へ流れ出ているということを、
シェーン・ハイマーは「生命は流れている」と言ったのです。
この入れ替わりは、実は日々起こっています。
1年も経つと、「私」は物質的にはすっかり入れ替わってしまうのです。
特によく入れ替わるのが消化管の細胞です。
2〜3日で入れ替わることが分かっています。
うんちの主な成分も、実は食物カスではなく「体のカス」なんです。
この「生命は流れている」のコンセプトは、日本語では「動的平衡」と訳されます。
この「動的平衡」の観点から生命を捉え直していくと、いろんなことが分かってきました。
「動的」とは絶え間ない動き、「平衡」とはバランスです。
つまり「動的平衡」とは
「常に動きながらバランスが取られている状態」
なのです。
「動的平衡」では、「つくること」よりも「壊される」ことが優先されます。
「変わらないために、常にちょっとずつ変わり続けていく」
ということです。
分解と合成が絶え間なく行われ、さらにそのバランスがうまく保たれている。
「動的平衡」はまさにそんな状態です。
そのように可変的であるがゆえに環境の変化にも柔軟に対応できるのです。
病気からの回復力やケガを治す力も、この「動的平衡」の力のおかげなのです。
(「日本講演新聞」R2.2.3、2822号 福岡伸一さんより)
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