変化の時代②
🔹林野、落合さんの原点というと、何ですか。
🔸落合、1つは、小学3年生の時に同級生の女の子がなくなったことです。
世の中は相変わらずどんどん前へ進んでいくけど、あの子は次の日から二度とやってこない。
いったいどこへ行ったんだろう、
死んだらどこへ行くんだろうとずいぶん考えました。
私がいつも一所懸命生きよう、何事もポジティブに取り組もうと努めてきたのは、そのことに根源があるんです。
西武信金に入ってからも、私は二度とない時間を悔いなく生きることを常に心掛けながら仕事に取り組んできました。
周りはほとんどが悔いの残る毎日に甘んじているわけですから、
ある意味異端児ですよ。
普通の金融機関ではまず成功しません。
「よく理事長になったね」って言われるんですが(笑)、
西武信金もちょっと変わったところだったおかげで、
そういう自分の持ち味が発揮できたのだと思っています。
🔹林野、西武信金さんは、どんなところが変わっていたのですか。
🔸落合、かつての合併で、「西部劇」と呼ばれる内部抗争が10年にわたって続いたことがありました。
その結果、クリアな人事制度ができて、派閥がなくなり、能力のある人がどんどん上がっていける体制になりました。
おかげで私のような異端児でも上がってこられたんです(笑)。
もう一つの原点は、西武信金に入って2年目の出来事です。
経営不振に陥ったお客様に融資するか否かの判断を任されましてね。
私は散々悩んだ末に、融資はできないという結論を出したんです。
結局その会社は潰れてしまって、
整理に伺った時に年配の経理部長から、
「俺の人生をほら終わらせてくれたな」と言われました。
ショックでした。
先輩や上司からは、その判断で間違いないと言われましたが、
社員さんの背後にいるご家族のことまで考えると、大変な影響を及ぼしているわけです。
中には、進学を断念したお子さんだっていたかもしれない。
本当にあの判断でよかったのか、ずいぶん悩みました。
弁護士にしても医者にしても重要なジャッジをする人は皆資格を持っています。
けれども金融マンだけは何の資格もなく、各人の経験や成り行きで判断を下している。
これではいけないと思いまして、当時経営コンサルに関連するものでは唯一の国家資格だった中小企業診断士の資格を取得したんです。
仕事をしながら勉強するのは大変でしたが、
おかげで視野も広がり、新しい人脈を開拓する足掛かりを得ることができました。
私が西武信金の改革に挑戦した原点はそこに有るんです。
🔹林野、きっと多くの金融マンが、落合さんと似たような経験をしていると思います。
しかし、落合さんのように真摯に受け止め、自分を磨く糧にしようとする人は稀ではないでしょうか。
🔹林野、落合さんはどういういきさつで西武信金の改革を手掛けることになったのですか。
🔸落合、40代半ばに本部で副部長を務めていた頃、突然当時の理事長から電話がかかってきましてね。
立川南口支店の支店長をやらないかというんです。
副部長から大きく昇進するものですから、「やります」って即答しました。
ところが、
「目標は高いが、二言はないな」
としきりに念を押されて、
その目標を聞いてみたら、1年で預金残高と融資残高の合計を68億に増やせと。
現状は年間に5千万円くらいしか増えていなくて、赤字を積み重ねている支店だったんです。
🔹林野、5千万円をわずか1年で68億円にせよと。
🔸落合、実はその支店は、地元の信用金庫さんが根を張っていましてね。
他の信金がどこも出店を控えていた難しい時期で、
あの異端児の落合にやらせてみるかという話になったんだと思うんです。
とても無理だと思ってすぐに辞退したしたんですが、やるって言ったじゃないかと(笑)。
当面の妥協点として 6億円を目指すということで引き受けたのですが、
損益分岐点である68億円を超えないことには支店は立ち行きません。
ところが幸いにして、1年で86億円増やして黒字に転換することができたんです。
🔹林野、それはすごい。いったいどんなことをなさったのですか。
🔸落合、それまでのビジネスモデルを徹底的に変えようと思いました。
営業に回っても、
「もう他の信金さんと取引しているよ」
と言われるので、同じことをやったのではダメだと。
そこで、ひとまず個別のセールスはやめて、いろいろな講演会で講師を引き受け、講演をしました。
税金で困っているお客様に、金融機関をどう活用したらいいのかといった、
ちょっと踏み込んだ話をして興味を引きつけるわけです(笑)。
外に漏れたら業界から袋叩きに遭いますから、講師名を伏せてやってたんですが、
これが当たりましたね。
税金で困っているのは皆儲かっている会社ですから、
優良顧客からポンポン連絡が入ってくるようになりました。
これが私どもでいまやっている、お客様の課題解決を目的とした「お客さま支援センター」の原型になったんです。
🔹林野、見事な発想ですね。
🔸落合、お客様へは第一声で、
「なぜ、わざわざ会社を潰すための努力をなさっているのですか?」
と(笑)。
当然怒られるんですが、
半数には興味を持っていただけます。
翌朝一番に訪問すると、さらに半分くらいが取引に応じてくださいました。
そうして黒字に転じたからは、毎年売り上げを50億円〜70億円増やしていって、
いま立川南口支店は融資残高だけで1,000億円あります。
これは小さな信用金庫一庫分にも相当する規模なんです。
やはりビジネスモデルというのは大事ですね。
お客様が何に一番困っていらっしゃるのか、その本質を突かないといけない。
いまの西武信用金庫の原点になったのはそこです。
🔹林野、それにしても、高い目標をよくぞクリアなさいましたね。
🔸落合、1年で68億円なんて、普通は無理に決まっていますが、逆にそれがよかったと思うんです。
あれが3億円とか4億円という平凡な目標だったら、
私も普通の金融機関の支店長と同じことをやっていたでしょう。
でも68億円となると、
普通のことをやっていたのでは絶対ダメです。
ではどうしたらいいのだろうと懸命に考えたからこそ、
支店を大きく変える改革を実現できたと思うんです。
(つづく)
(「致知」2月号 落合寛司さん林野宏さん対談より)
🔹林野、落合さんの原点というと、何ですか。
🔸落合、1つは、小学3年生の時に同級生の女の子がなくなったことです。
世の中は相変わらずどんどん前へ進んでいくけど、あの子は次の日から二度とやってこない。
いったいどこへ行ったんだろう、
死んだらどこへ行くんだろうとずいぶん考えました。
私がいつも一所懸命生きよう、何事もポジティブに取り組もうと努めてきたのは、そのことに根源があるんです。
西武信金に入ってからも、私は二度とない時間を悔いなく生きることを常に心掛けながら仕事に取り組んできました。
周りはほとんどが悔いの残る毎日に甘んじているわけですから、
ある意味異端児ですよ。
普通の金融機関ではまず成功しません。
「よく理事長になったね」って言われるんですが(笑)、
西武信金もちょっと変わったところだったおかげで、
そういう自分の持ち味が発揮できたのだと思っています。
🔹林野、西武信金さんは、どんなところが変わっていたのですか。
🔸落合、かつての合併で、「西部劇」と呼ばれる内部抗争が10年にわたって続いたことがありました。
その結果、クリアな人事制度ができて、派閥がなくなり、能力のある人がどんどん上がっていける体制になりました。
おかげで私のような異端児でも上がってこられたんです(笑)。
もう一つの原点は、西武信金に入って2年目の出来事です。
経営不振に陥ったお客様に融資するか否かの判断を任されましてね。
私は散々悩んだ末に、融資はできないという結論を出したんです。
結局その会社は潰れてしまって、
整理に伺った時に年配の経理部長から、
「俺の人生をほら終わらせてくれたな」と言われました。
ショックでした。
先輩や上司からは、その判断で間違いないと言われましたが、
社員さんの背後にいるご家族のことまで考えると、大変な影響を及ぼしているわけです。
中には、進学を断念したお子さんだっていたかもしれない。
本当にあの判断でよかったのか、ずいぶん悩みました。
弁護士にしても医者にしても重要なジャッジをする人は皆資格を持っています。
けれども金融マンだけは何の資格もなく、各人の経験や成り行きで判断を下している。
これではいけないと思いまして、当時経営コンサルに関連するものでは唯一の国家資格だった中小企業診断士の資格を取得したんです。
仕事をしながら勉強するのは大変でしたが、
おかげで視野も広がり、新しい人脈を開拓する足掛かりを得ることができました。
私が西武信金の改革に挑戦した原点はそこに有るんです。
🔹林野、きっと多くの金融マンが、落合さんと似たような経験をしていると思います。
しかし、落合さんのように真摯に受け止め、自分を磨く糧にしようとする人は稀ではないでしょうか。
🔹林野、落合さんはどういういきさつで西武信金の改革を手掛けることになったのですか。
🔸落合、40代半ばに本部で副部長を務めていた頃、突然当時の理事長から電話がかかってきましてね。
立川南口支店の支店長をやらないかというんです。
副部長から大きく昇進するものですから、「やります」って即答しました。
ところが、
「目標は高いが、二言はないな」
としきりに念を押されて、
その目標を聞いてみたら、1年で預金残高と融資残高の合計を68億に増やせと。
現状は年間に5千万円くらいしか増えていなくて、赤字を積み重ねている支店だったんです。
🔹林野、5千万円をわずか1年で68億円にせよと。
🔸落合、実はその支店は、地元の信用金庫さんが根を張っていましてね。
他の信金がどこも出店を控えていた難しい時期で、
あの異端児の落合にやらせてみるかという話になったんだと思うんです。
とても無理だと思ってすぐに辞退したしたんですが、やるって言ったじゃないかと(笑)。
当面の妥協点として 6億円を目指すということで引き受けたのですが、
損益分岐点である68億円を超えないことには支店は立ち行きません。
ところが幸いにして、1年で86億円増やして黒字に転換することができたんです。
🔹林野、それはすごい。いったいどんなことをなさったのですか。
🔸落合、それまでのビジネスモデルを徹底的に変えようと思いました。
営業に回っても、
「もう他の信金さんと取引しているよ」
と言われるので、同じことをやったのではダメだと。
そこで、ひとまず個別のセールスはやめて、いろいろな講演会で講師を引き受け、講演をしました。
税金で困っているお客様に、金融機関をどう活用したらいいのかといった、
ちょっと踏み込んだ話をして興味を引きつけるわけです(笑)。
外に漏れたら業界から袋叩きに遭いますから、講師名を伏せてやってたんですが、
これが当たりましたね。
税金で困っているのは皆儲かっている会社ですから、
優良顧客からポンポン連絡が入ってくるようになりました。
これが私どもでいまやっている、お客様の課題解決を目的とした「お客さま支援センター」の原型になったんです。
🔹林野、見事な発想ですね。
🔸落合、お客様へは第一声で、
「なぜ、わざわざ会社を潰すための努力をなさっているのですか?」
と(笑)。
当然怒られるんですが、
半数には興味を持っていただけます。
翌朝一番に訪問すると、さらに半分くらいが取引に応じてくださいました。
そうして黒字に転じたからは、毎年売り上げを50億円〜70億円増やしていって、
いま立川南口支店は融資残高だけで1,000億円あります。
これは小さな信用金庫一庫分にも相当する規模なんです。
やはりビジネスモデルというのは大事ですね。
お客様が何に一番困っていらっしゃるのか、その本質を突かないといけない。
いまの西武信用金庫の原点になったのはそこです。
🔹林野、それにしても、高い目標をよくぞクリアなさいましたね。
🔸落合、1年で68億円なんて、普通は無理に決まっていますが、逆にそれがよかったと思うんです。
あれが3億円とか4億円という平凡な目標だったら、
私も普通の金融機関の支店長と同じことをやっていたでしょう。
でも68億円となると、
普通のことをやっていたのでは絶対ダメです。
ではどうしたらいいのだろうと懸命に考えたからこそ、
支店を大きく変える改革を実現できたと思うんです。
(つづく)
(「致知」2月号 落合寛司さん林野宏さん対談より)
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