👢👢義足の未来👢👢
義足をつけたい陸上選手が健常者よりも速く走れるようになり、障碍者と健常者の境がなくなる。
そんなSFの世界のような話が現実に、2020年には起こるだろうと予測されています。
義足の技術はそこまで進化しているのです。
私が義足研究の道を志したのは、慶應義塾大学大学院博士課程の24歳の時。
高校の後輩が骨肉腫を患い、左足を切断したことがきっかけでした。
それ以前はヒューマノイドと呼ばれる二足歩行ロボットの研究に没頭していましたが、
ロボットでは「自分の足で歩きたい」と願う後輩の力になれないと痛感し、
実生活に役立つ研究をしようと心に決めたのです。
その年の10月に参加したある学会で、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究員と出会い、
ヒューハー教授のことを知りました。
ヒューハー教授はアイスクライミング中の事故で、17歳のときに両足を切断。
その後、20代でクライミングに特化した義足を自ら開発し、それまで登れなかったような急な壁をも登れるようにした義足研究者です。
私と一回りしか年齢が変わらないのに、自力で障碍を克服した教授に大変刺激を受け、
その2ヶ月後には大学院を中退し、MITを受験。
無事合格するとすぐに渡米しました。
教授と研究する中で1番影響受けたのは、障碍に対する考え方です。
当初は教授を「助けてあげなきゃ」という気持ちがありましたが、
毎日接するうちに、歩くスピードなどが異なること以外、
何も他の人と変わらないと気づきました。
また、その頃に出会ったMITのスローガンである「知識と実践」という言葉は、私の研究の軸となっています。
論文を書くばかりではなく、社会に還元できる研究を行う。
この考えから、私は常にユーザ目線でデータに囚われ過ぎない実証実験に力を注いできました。
7年間、教授の下で研究した後に帰国し、
茂木健一郎氏などが所属するソニーコンピューターサイエンス研究所(CSL)で、縁あって働くことになりました。
そこでは足首が自在に動くロボット義足のほか、競技用義足や、安価で利用しやすい発展途上国向け義足の研究をしています。
途上国向け義足の開発を始めたのは、米国留学中の研究仲間にインド人がいたことがきっかけでした。
現地に行き、病気や事故で足を切断すると松葉杖生活を余儀なくされると知り、居ても立ってもいられなくなったのです。
技術も材料も不十分な現地で、廉価かつ最善の品をつくるのは至難の業ですが、
義足を届ける度に感動をもらえます。
あるときは、義足を初めてつけた10歳の少女が、喜びのあまり駆け出したことがありました。
それを見た少女の父親が、感激し、涙を流している光景が目に焼きついて離れません。
競技用義足では、高性能な義足をつくるため、
選手やコーチとチームで開発しようと仲間を集い、
最初に話に乗ってくれたのが元陸上選手の為末大です。
彼とともに2014年、Xiborg(サイボーグ)という会社を設立しました。
選手やコーチからの細かなフィードバックや、時には曖昧な要望を、数値やデータに落とし込み、微修正を繰り返しました。
競技用義足はスキー板を曲げたような特殊な外見で、材料や作り方も特異です。
中でも、材料の1つであるカーボンは素人の私1人で研究するのに限界を感じ、
専門会社に協力を得ることにしました。
当初依頼した会社からは半年ほど音沙汰がなく、
このままでは駄目だと危機感を募らせ、
協力会社を探した結果、上司であり、CSL創設者でもある所 眞理雄が東レを紹介してくれたのです。
運よく社長にも直接熱意を伝えられ、技術協力してもらえることになりました。
試行錯誤すること約2年、6回も大幅な設計変更を繰り返し、昨年アスリート向けの競技用義足「ジェネシス」が完成。
嬉しいことに、これを履いた陸上短距離の佐藤圭太選手が、リオデジャネイロパラリンピックで見事銅メダルを獲得してくれました。
研究では思いどおりの結果が出るほうが稀で、研究室での実験結果と実際に装着した時の感触に差異があるのは日常茶飯事です。
理論的に1番よい義足をつくっても、姿勢や歩き方など個人の癖によって結果が変わってしまう。
それでも15年、没頭し続けてこられたのは、義足の道に進むきっかけとなった後輩の存在が欠かせません。
私は後輩に義足をつくると宣言して研究を始めたため、諦めるという選択肢がないのです。
26歳で初めて自分でつくった義足をつけてもらった時は、達成感と安堵感がありました。
しかし同時に、ぎこちなく歩く後輩の姿を見て、さらに性能を高めていかなければと身が引き締まりました。
日常使いできる義足をつくり上げ、後輩につけてもらうことが私の夢であり、これからの挑戦です。
一昔前の社会では、眼鏡をかけること自体がコンプレックスで、障碍者のように扱われる風潮がありました。
しかし今では、眼鏡をかけている人が障碍を感じることはなく、
裸眼視力を問われることもありません。
同様に、義足などの技術力で、体の1部を補完することが当たり前になり、
健常者と障碍者の壁をなくせる社会が到来することを目指して、
今も、志高く、取り組みたいと思っています。
(「致知7月号」遠藤 謙さんより)
義足をつけたい陸上選手が健常者よりも速く走れるようになり、障碍者と健常者の境がなくなる。
そんなSFの世界のような話が現実に、2020年には起こるだろうと予測されています。
義足の技術はそこまで進化しているのです。
私が義足研究の道を志したのは、慶應義塾大学大学院博士課程の24歳の時。
高校の後輩が骨肉腫を患い、左足を切断したことがきっかけでした。
それ以前はヒューマノイドと呼ばれる二足歩行ロボットの研究に没頭していましたが、
ロボットでは「自分の足で歩きたい」と願う後輩の力になれないと痛感し、
実生活に役立つ研究をしようと心に決めたのです。
その年の10月に参加したある学会で、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究員と出会い、
ヒューハー教授のことを知りました。
ヒューハー教授はアイスクライミング中の事故で、17歳のときに両足を切断。
その後、20代でクライミングに特化した義足を自ら開発し、それまで登れなかったような急な壁をも登れるようにした義足研究者です。
私と一回りしか年齢が変わらないのに、自力で障碍を克服した教授に大変刺激を受け、
その2ヶ月後には大学院を中退し、MITを受験。
無事合格するとすぐに渡米しました。
教授と研究する中で1番影響受けたのは、障碍に対する考え方です。
当初は教授を「助けてあげなきゃ」という気持ちがありましたが、
毎日接するうちに、歩くスピードなどが異なること以外、
何も他の人と変わらないと気づきました。
また、その頃に出会ったMITのスローガンである「知識と実践」という言葉は、私の研究の軸となっています。
論文を書くばかりではなく、社会に還元できる研究を行う。
この考えから、私は常にユーザ目線でデータに囚われ過ぎない実証実験に力を注いできました。
7年間、教授の下で研究した後に帰国し、
茂木健一郎氏などが所属するソニーコンピューターサイエンス研究所(CSL)で、縁あって働くことになりました。
そこでは足首が自在に動くロボット義足のほか、競技用義足や、安価で利用しやすい発展途上国向け義足の研究をしています。
途上国向け義足の開発を始めたのは、米国留学中の研究仲間にインド人がいたことがきっかけでした。
現地に行き、病気や事故で足を切断すると松葉杖生活を余儀なくされると知り、居ても立ってもいられなくなったのです。
技術も材料も不十分な現地で、廉価かつ最善の品をつくるのは至難の業ですが、
義足を届ける度に感動をもらえます。
あるときは、義足を初めてつけた10歳の少女が、喜びのあまり駆け出したことがありました。
それを見た少女の父親が、感激し、涙を流している光景が目に焼きついて離れません。
競技用義足では、高性能な義足をつくるため、
選手やコーチとチームで開発しようと仲間を集い、
最初に話に乗ってくれたのが元陸上選手の為末大です。
彼とともに2014年、Xiborg(サイボーグ)という会社を設立しました。
選手やコーチからの細かなフィードバックや、時には曖昧な要望を、数値やデータに落とし込み、微修正を繰り返しました。
競技用義足はスキー板を曲げたような特殊な外見で、材料や作り方も特異です。
中でも、材料の1つであるカーボンは素人の私1人で研究するのに限界を感じ、
専門会社に協力を得ることにしました。
当初依頼した会社からは半年ほど音沙汰がなく、
このままでは駄目だと危機感を募らせ、
協力会社を探した結果、上司であり、CSL創設者でもある所 眞理雄が東レを紹介してくれたのです。
運よく社長にも直接熱意を伝えられ、技術協力してもらえることになりました。
試行錯誤すること約2年、6回も大幅な設計変更を繰り返し、昨年アスリート向けの競技用義足「ジェネシス」が完成。
嬉しいことに、これを履いた陸上短距離の佐藤圭太選手が、リオデジャネイロパラリンピックで見事銅メダルを獲得してくれました。
研究では思いどおりの結果が出るほうが稀で、研究室での実験結果と実際に装着した時の感触に差異があるのは日常茶飯事です。
理論的に1番よい義足をつくっても、姿勢や歩き方など個人の癖によって結果が変わってしまう。
それでも15年、没頭し続けてこられたのは、義足の道に進むきっかけとなった後輩の存在が欠かせません。
私は後輩に義足をつくると宣言して研究を始めたため、諦めるという選択肢がないのです。
26歳で初めて自分でつくった義足をつけてもらった時は、達成感と安堵感がありました。
しかし同時に、ぎこちなく歩く後輩の姿を見て、さらに性能を高めていかなければと身が引き締まりました。
日常使いできる義足をつくり上げ、後輩につけてもらうことが私の夢であり、これからの挑戦です。
一昔前の社会では、眼鏡をかけること自体がコンプレックスで、障碍者のように扱われる風潮がありました。
しかし今では、眼鏡をかけている人が障碍を感じることはなく、
裸眼視力を問われることもありません。
同様に、義足などの技術力で、体の1部を補完することが当たり前になり、
健常者と障碍者の壁をなくせる社会が到来することを目指して、
今も、志高く、取り組みたいと思っています。
(「致知7月号」遠藤 謙さんより)
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