「医療の役目は、人生の質を変えること」
ミャンマーで、一人奮闘してましたが、
貧しい子供たちに手術をしたいと思っても、
道具も人もアイデアもなく、
「もう諦めるしかない」
と、あるとき思いました。
でも、そのときに、
「お前はどうするんだ?」
という心の声が聞こえてきました。
「ここまで来て引き返すのが、
歩みを止めるのか?」
そう問われたのです。
僕は、しばらく考えました。
そして
「引きかえしたり止まったりする事はやっぱりできない。
どうなるかわからないけど、
できるだけ手術をしていこう」
と心に決めました。
すると、
「できない」と思っていた間は何も浮かばなかったのに、
「やろう」と決心したその瞬間から、
「やるためのアイデア」が思い浮かぶようになりました。
そして一つひとつ、準備を整えていきました。
まず現地の大工に木製の手術台を作ってもらい、壁をタイル貼りにし、
手術道具と薬をミャンマー中から買い集めました。
電気は夜の2時間しか来ませんから、
手術はすべて2時間以内で行うと決めました。
たびたび起こる停電の対策として、
たくさんの懐中電灯も準備しました。
その結果、半年後には手術ができるようになり、
今では1年間で2,000人の手術を行っています。
これも、あのとき諦めなかったからです。
ー・ー・ー・ー
ある時、大きな腫瘍で顔が変形してしまっている女の子が診察におとずれました。
こういう子の人生は運命づけられています。
顔が恥ずかしくて学校に行けず、
結婚もできず、
家業の農家を手伝いながら生活し、
やがて、お父さんお母さんが亡くなって、
最後は1人で死んでいくのです。
つまり、
病気を持っていることで、教育や結婚の機会すら奪われてしまうのです。
私は、
「そんな運命を変えたい」
と思い、その子の手術を決めました。
かなり難しい手術ですが、やる人がほかに誰もいないのでやるしかありませんでした。
その結果、手術は何とか成功し、
術後しばらくして彼女は
「勉強もしたい、友達も欲しい!」
と学校に行き始めました。
農家に嫁ぎ、たくさんの子供も産みました。
「あの子が子供産んだ」と言う事実は、
僕にとってものすごく衝撃的なことでした。
日本で医者をやっている時は、
ずっと、
「医者は人の命を助けてなんぼ」
と思っていました。
でも、生きていても悲惨な運命の子供たちがたくさんいることをミャンマーに来て知りました。
彼らが医者と出会い、
たとえば顔が変わることで、
友達もでき、結婚して子供も生まれました。
つまり、人生の質が全く変わってしまったということです。
医療によって肉体だけでなく、
その子の未来そのものが救われていったのです。
さらに、1人の子供の心が救われることで、その家族の心も救われます。
「これこそ、僕がやりたかった医療だ」
と気づきました。
そういう医療を継続し、
さらに拡大しながらやっていきたいと思い、
2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」をつりました。
(「みやざき中央新聞」吉岡秀人さんより)
素晴らしいお医者さんがいるものですね。
いい時代になってきてます。(^_^)
ミャンマーで、一人奮闘してましたが、
貧しい子供たちに手術をしたいと思っても、
道具も人もアイデアもなく、
「もう諦めるしかない」
と、あるとき思いました。
でも、そのときに、
「お前はどうするんだ?」
という心の声が聞こえてきました。
「ここまで来て引き返すのが、
歩みを止めるのか?」
そう問われたのです。
僕は、しばらく考えました。
そして
「引きかえしたり止まったりする事はやっぱりできない。
どうなるかわからないけど、
できるだけ手術をしていこう」
と心に決めました。
すると、
「できない」と思っていた間は何も浮かばなかったのに、
「やろう」と決心したその瞬間から、
「やるためのアイデア」が思い浮かぶようになりました。
そして一つひとつ、準備を整えていきました。
まず現地の大工に木製の手術台を作ってもらい、壁をタイル貼りにし、
手術道具と薬をミャンマー中から買い集めました。
電気は夜の2時間しか来ませんから、
手術はすべて2時間以内で行うと決めました。
たびたび起こる停電の対策として、
たくさんの懐中電灯も準備しました。
その結果、半年後には手術ができるようになり、
今では1年間で2,000人の手術を行っています。
これも、あのとき諦めなかったからです。
ー・ー・ー・ー
ある時、大きな腫瘍で顔が変形してしまっている女の子が診察におとずれました。
こういう子の人生は運命づけられています。
顔が恥ずかしくて学校に行けず、
結婚もできず、
家業の農家を手伝いながら生活し、
やがて、お父さんお母さんが亡くなって、
最後は1人で死んでいくのです。
つまり、
病気を持っていることで、教育や結婚の機会すら奪われてしまうのです。
私は、
「そんな運命を変えたい」
と思い、その子の手術を決めました。
かなり難しい手術ですが、やる人がほかに誰もいないのでやるしかありませんでした。
その結果、手術は何とか成功し、
術後しばらくして彼女は
「勉強もしたい、友達も欲しい!」
と学校に行き始めました。
農家に嫁ぎ、たくさんの子供も産みました。
「あの子が子供産んだ」と言う事実は、
僕にとってものすごく衝撃的なことでした。
日本で医者をやっている時は、
ずっと、
「医者は人の命を助けてなんぼ」
と思っていました。
でも、生きていても悲惨な運命の子供たちがたくさんいることをミャンマーに来て知りました。
彼らが医者と出会い、
たとえば顔が変わることで、
友達もでき、結婚して子供も生まれました。
つまり、人生の質が全く変わってしまったということです。
医療によって肉体だけでなく、
その子の未来そのものが救われていったのです。
さらに、1人の子供の心が救われることで、その家族の心も救われます。
「これこそ、僕がやりたかった医療だ」
と気づきました。
そういう医療を継続し、
さらに拡大しながらやっていきたいと思い、
2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」をつりました。
(「みやざき中央新聞」吉岡秀人さんより)
素晴らしいお医者さんがいるものですね。
いい時代になってきてます。(^_^)