大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネによる福音書13章1~20節

2019-07-16 08:39:09 | ヨハネによる福音書

2019年2月17日 大阪東教会主日礼拝 あなたは清くされる吉浦玲子

<過越しの犠牲>

 過越し祭の前のことである、と書かれています。前にもお話ししましたように、過越しの祭りは紀元前1300年ごろの出エジプトの出来事を記念した祭りです。エジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々はモーセに率いられてエジプトを脱出する夜、神の命令により犠牲の羊を屠り、その羊の血を家の入口の柱と鴨居に塗りました。その犠牲の羊の血が目印となってイスラエルの人々の家を災いは過ぎ越して行きました。その過ぎ越しを記念して、1300年後の主イエスの時代にも過ぎ越し祭の食事では犠牲の羊が食べられたのです。ヨハネによる福音書では十字架の前、主イエスご自身が過ぎ越しの食事をなさったとは記されていません。今日の聖書箇所も「過越し祭の前のこと」だと記されています。つまり、ヨハネによる福音書では、主イエスご自身が犠牲の羊なのだということを明確にする意図を持って「過越し祭の前のことである」と記しているのです。主イエスご自身が汚れなき小羊としてこれから屠られる、人間への災いが過ぎ越していくように、人間の罪への神の怒りが通り過ぎて行くように、主イエスご自身の血が私たちの戸口に塗られるのです。それが十字架の出来事でした。

 その十字架の時が近づいていることを主イエスはご存知でした。「この世から父のもとへ移るご自身の時が来たことを悟り」と1節にあり、3節には「ご自分が神のもとからきて、神のもとへ帰ろうとしていることを悟り」とあります。私たちも、クリスチャンでなくても、人が亡くなるとき、天に帰る、とか、この世を去ったという言い方をします。しかし、主イエスは単純に、父のもとから来られてまた戻られる、ということではありません。たしかに天の父の元にお帰りになりますが、地上からさっと天に帰られるわけではありません。さきほど告白しました使徒信条で「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ死にて葬られ陰府に下り三日目に死人の内よりよみがえり天に昇って」とありますように、この地上の支配者であるローマの総督ポンテオピラトの手によって十字架刑に処され、陰府にまで下られ、復活され、天に昇られるのです。地上からひといきに天に向かわれたのではなくいくつかのことを経て、天の父の元に戻られるのです。それは天の父の元にすべての人を連れていくためでした。すべての人を救い、ご自分の民として父にお与えになるためでした。そのことを通して神に栄光が帰されるためでした。神のもとから来て神のもとに帰られるイエス・キリストはご自分だけが帰ろうとされているのではありませんでした。私たちをも父のもとへ連れて帰るために、過ぎ越しの犠牲の羊となられました。

<愛し抜かれた>

 その犠牲の羊となられる主イエスは、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」とあります。愛し抜かれた、というのは、最後まで愛し通されたということです。キリストの愛はなによりその十字架においてはっきりと示される愛です。しかし、もうこれから自分は十字架にかかるのだから、その十字架の時まではひとまず愛は置いておいて、ということではありません。地上で弟子と過ごされるその最後の残された時間をも、主イエスは弟子たちを愛されたということです。

また文語訳聖書ではここは「極みまで之を愛し給へり」と訳されています。主イエスは弟子たちを極みまで愛された。愛の極みを弟子たちに尽くされたということです。極みまでの愛といいますと、この世では情熱的な恋愛とか、劇的な状況での人間の情感のようなことを私たちは考えます。もちろん主イエスがご自身の命を捧げられる十字架はたいへん劇的なことです。しかし、もっとも素朴に端的に極みまでの愛が示されているのが、今日の聖書箇所に記されている弟子の足を洗うということです。

主イエスは十字架の時を前にして、弟子たち一人一人の足を洗われました。洗足の出来事として名高い場面です。受難週の木曜日を洗足木曜日といい、大阪東教会でも洗足木曜日礼拝を行っています。教会によっては、牧師や長老が実際に人々の足を洗う洗足の儀式をするところもあります。ローマカトリック教会ではローマ法王が毎年洗足の儀式をすることになっていて、今年は法王が誰の足を洗うかがニュースになります。ちなみに昨年はイタリアの刑務所で服役中の人々の足を法王は洗われたそうです。

ローマ法王の洗足式の写真を見ますと、服役中の囚人たちはそれぞれにスニーカーなどの靴を履いていて、足を洗ってもらうとき靴を脱いだようです。翻って、主イエスの時代、人々はスニーカーや革靴などは履いていませんでした。サンダルのような履物だったと考えられます。道も現代の都会のように舗装されていません。埃っぽい道をサンダルのようなもので歩くので、足は大変汚れていたと考えられます。その足を洗うのは奴隷の仕事でした。それも外国人の奴隷に限られた仕事でした。もっとも下賤な仕事とみなされていたのです。汚れた汚い足の上に奴隷は身をかがめて洗うのです。たちまちに盥の水は濁って汚くなったでしょう。主イエスはそのような足を洗うということを12人の弟子全員になさいました。そこに主イエスの愛の極みがありました。謙遜ということを言いますが、自分が謙遜な態度を取るにふさわしい立派な相手に対して謙遜にふるまうことは容易です。優れた人尊敬する人身分の上の人に自分を低い者としてふるまうのは普通のことです。しかしそうではない、優秀でもない、尊敬にも値しない、そのような人を前に謙遜にふるまうのはそれほど容易なことではありません。それでも態度の上で丁重に謙遜にふるまうことは可能かもしれません。しかし、主イエスのように実際に身をかがめて汚れた足を洗うということは容易ではありません。

しかし、主イエスは洗われました。弟子たちの汚れた足を、そして何より、人間の罪の汚れを主イエスは洗われました。人間を清くするために主イエスは来られたのです。人間を清くする、そのことにおいて主イエスは愛の極みを示されました。弟子たちは汚れていただけではありません。皆、主イエスを裏切る者たちでした。2節に「既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた」とありますように、この時点でユダははっきりと裏切りの気持ちを持っていました。少し前の箇所でベタニアでマリアから主イエスが高価な香油を注がれれる場面がありました。労働者の年収ほどもする高価な香油でした。そんな無駄遣いをしないでその香油を売って貧しい人に施せばよかったのに、とユダはマリアを叱責しました。しかし、イエス様はマリアのしたことをむしろ褒められました。そのことがユダの心がイエス様から決定的に離れる契機だったかもしれません。そしてそのことを主イエスはご存知でした。はっきりとご自分を裏切る意思を持っているユダの足をも主イエスは洗われました。ユダだけを素通りして洗われなかったのではありません。12人全員の足を洗われたのです。

この時点では裏切る意志はもっていなかったにせよ、他の弟子も結局、主イエスを裏切りました。そのことをも主イエスはご存知でした。ご自分が逮捕される時、自分を捨てて逃げていく弟子たちであることを、主イエスはよくよくご存知でした。そのような弟子たちの足を洗われました。

<洗っていただくことが交わり>

弟子たちはもちろん驚きました。主イエスが奴隷のなさるようなことをされていることにいたたまれなかったことでしょう。「わたしの足など、決して洗わないでください」そうペトロは叫びました。これはすべての弟子の思いだったでしょう。エルサレムに王として入って来られたはずの主イエスが奴隷のように身をかがめて自分の汚い足を洗っておられる、それは耐え難いことだったでしょう。群衆がなつめやしの枝をふって歓迎されたお方がなんてことをなさるのか、もったいないという思いがあったでしょう。また一方で仕えられるということに人間は不思議な抵抗感を持つものです。完全に相手が自分より下だと思う相手なら抵抗は少ないかもしれません。しかし多くの場合、人間は人にやってもらわなくても自分でできると思ってしまうのです。仕えられるのはある意味うっとおしいことでもあります。しかしそこに何でも自分でできるという人間の傲慢もあります。自分で自分の汚れくらい洗える、そう思ってしまうのです。しかし人間は自分で自分の罪の汚れを取り去ることはできません。

そしてまた弟子たちは自分たちが師と仰ぐお方に汚い自分の足を見られ触られるのは嫌だったでしょう。敬愛するお方であるゆえに、そのお方に自分の汚いところはお見せしたくなかったでしょう。自分の良いところ立派なところだけを見ていただきたいと思ったでしょう。しかし主イエスはおっしゃるのです。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」さきほども申し上げましたように、主イエスはわたしたちを洗いに来られたのです。私たちの罪の汚れを清くするために来られました。そのことのゆえに私たちは主イエスとかかわりを持たせていただくのです。主イエスの素晴らしい教えや慰めに満ちた言葉を私たちはいただきますが、なにより、主イエスとの交わりは罪をあらっていただくということにあります。

それは、私たちは主イエスの前で、立派でなくてよいということでもあります。罪の姿のままで立てばよいのです。ダメな自分のままで弱い自分のままで私たちは主イエスの前に立ちます。その私たちを主イエスは洗ってくださるのです。私たちの隠していた汚いところをつまびらかにし、叱責なさるのではありません。ただ身をかがめて洗ってくださるのです。

「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」と主イエスに言われたペトロは今度は「主よ、足だけでなく、手も頭も」と言います。いかにもペトロらしい調子の良さです。もちろんペトロは自分が汚れていることを素朴に自覚してこう言ったのです。しかし主イエスは「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。」とおっしゃいます。既に主イエスは来られました。ですから私たちは清くされているのです。わたしたちは十字架で清くされています。小羊の血で清くされているのです。時間的な軸で言いますと、洗足の出来事は十字架の前です。しかし、すでに主は十字架における罪と死への勝利を確信しておられました。罪の滅びを知っておられました。そしてまた「全身が清い」ということは洗礼を指しているとも言われます。主イエスの十字架における死と主イエスの名による洗礼によって人間はすでに清くされているのです。主イエスを信じ洗礼を受けた者はすでに清くされているのです。しかし全身は清くても、また折々に罪を重ねる者でもあります。ですから足を洗うのです。洗っていただくのです。

私たちは罪のこの世界を生きていきます。どのように汚れないように気をつけても私たちの足は汚れます。スニーカーを履いても、立派な革の靴を履いても、私たちの生身の足は泥にまみれるのです。生きていくことは罪の泥にまみれることとも言えます。しかしなおその汚れを洗ってくださる方がおられます。

<雪のように白く>

詩編51編は罪の悔い改めの詩編として名高いものです。「神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。/深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。/わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください」で始まります。「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。/わたしが清くなるように./わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。」このような言葉もこの詩編にはあります。わたしたちは深い憐れみによって罪をぬぐってください、罪から清めてください、という言葉には心を合わせらます。しかし、雪よりも白くなるように洗ってくださいというのは、なにか大げさな詩的な誇張のように聞いてしまうかもしれません。私たちの汚れた罪の心が、この世を歩んで汚れた足が雪のように白くなるなんてことは実は心からは思っていないかもしれません。真黒な罪が洗われても、私たちはそれが真っ白ではなくグレーくらいのものにように感じるかもしれません。しかし、たしかに主イエスが身をかがめ奴隷として私たちに仕えてくださるゆえに、私たちは雪のように白くなるのです。一点の汚れのない者として父なる神の前に立つことができるのです。主イエスが洗ってくださったからです。


ヨハネによる福音書12章44~50節

2019-07-11 09:33:11 | ヨハネによる福音書

2019年2月10日 大阪東教会主日礼拝説教 救いを拒んではならない吉浦玲子

<光と出会ったからこそ闇を知る>

 五年ほど前、ある祈りの会の席上で、ある青年と何回か話をしました。彼は信仰につまずいてしまっていたのです。彼はとても熱心な教派の教会に通っていたのですが、どうもその伝道のやり方に違和感を覚えたそうです。そこの教会では路傍伝道といって道端で大きな声を出して道行く人々に伝道をしていたそうです。その路傍伝道で、そこの教会の方々は道行く人々に「イエス・キリストを信じなければ、地獄に落ちまっせ」と叫んでいたそうです。青年はその伝道のあり方にとても疑問を感じて、だんだんとその教会に行くのが辛くなって教会から離れてしまったそうです。

 本日の聖書箇所でイエス様は「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来た」とおっしゃっています。その前には、「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない」とおっしゃっています。主イエスの言葉を聞いて守らなかったとしても裁かれないのです。そういう言葉を読みますと、先ほど言った教派の人々が「信じなければ地獄に落ちまっせ」というようなことはないように感じます。では誰も裁かれないのかというと、別のところには微妙な言葉があります。「わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。」ではやはり裁かれるのでしょうか?信じないからといってすぐに裁かれることはないけれど終わりの日に裁かれるのでしょうか?裁かれないためには、裁かれて地獄に落ちないために、はやはり主イエスを信じるべきなのでしょうか?

 ここで最初の主イエスの言葉にもう一度注目したいと思います。主イエスは「わたしは、裁くためではなく、世を救うために来た」とおっしゃっています。さらに少し前の箇所を読みますと「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」ともおっしゃっています。裁くためではなく救うために来た。暗闇の中の光としてきた。これは繰り返しヨハネによる福音書で語られてきたことです。クリスマスの季節は特に、闇の中に来られた光なる神としてイエス・キリストを語ります。クリスマスのクランツの光や夜のキャンドルの明かりは美しいものです。私たちはそのきれいな光を見ながら、光なる神を思いました。イブ礼拝のとき講壇の上から見下ろすとほんとうに闇の中に浮かぶ明かりがきれいなのです。しかしまた同時に講壇の上から思いました。光がなければ闇は闇として認識できないということを。

 光として来られたキリストを、まことに暗闇のなかに輝くともしびとして感じることなく、ちょっとおしゃれなきれいなライトやイルミネーションのように思っているとき、私たちにはこの世や自分の中の暗闇が見えません。たしかにそのライトやイルミネーションは美しくて見とれてしまいますが、その周りの闇は見えないのです。キリストと出会うということ、つまり光なる神と出会うということは自らの闇を知るということなしにはありえません。しかしそれは闇を知ったから光を知るのではありません。まことの光によって、闇を知るのです。光との出会いが先なのです。むかし、四国に出張をしたとき、バスで大阪まで帰ってきました。その帰りのバスは夜の暗い道を走っていました。出張が終わり、ひどく疲れていて、灯りのない暗い夜の景色をただぼーっと見るとはなく見ていました。ところが、突然、景色が開けました。本州に向かう海辺の道に出たのです。対岸には神戸の明かりが煌々と輝いていました。こういう経験は九州でもしたことがありましたが、神戸の輝く光を見たとき、それまでの夜道がとても暗かったことに改めて気がつきました。暗い景色に慣れっこになっていたのですが、まばゆい光によって、それまでの闇がはっきりと認識されたのでした。光によって闇をあとから知らされるのです。

<裁く心が暗闇へと連れ戻す>

 しかし、街の灯りやイルミネーションは永遠のものではありません。それに対してキリストの光は永遠です。永遠の光を知ったときはじめて、私たちは自分たちの闇を知らされますが、それは心おれるようなことではありません。むしろ自分が本当に光と出会ったという喜びと平安の方が何万倍も大きいのです。救いとはそういうものです。暗闇であった自分のところに光なる神が来られた。そのことをたしかに感じる時、そこに救いがあるのです。裁きへの恐れはこなごなに砕かれているのです。光と闇は対立するのではないのです。光を知ったものは闇へ戻ることはもうないのです。

 まことに光と出会った者は、裁かれません。だいじなことは光なる神と出会うことです。裁きを恐れて、地獄を恐れて、信仰に入ることは基本的にはないのです。私は知らなかったのですが、「地獄に落ちまっせ」というような伝道の言葉を「地獄の業火説教」と呼ぶのだそうです。どこかの新興宗教のような、あるいはカルト集団のような、人を恐れさせて信仰に引っ張り込むというのは結局それは人を本当の救いから遠ざけるものです。

 しかしまた、「地獄の業火説教」のようなものは、正統的なまっとうな教会の中にも、また信仰者一人一人の中にもときどきくすぶるものでもあります。主イエスは「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。」とおっしゃっていました。この言葉は、主イエスの言葉は守らないといけない決まりのようなものではないということです。主イエスの言葉は律法ではないということです。人を愛しなさいと主イエスはおっしゃいます。しかし、愛せないのが私たちたちです。わたしたちは主イエスの言葉を守れないのです。明日のことを思い煩うなと主イエスはおっしゃいます。しかし、私たちは明日のこともあさってもことも10年先のことも思い煩うものです。そのようなわたしたちであっても、主イエスは「言うことを聞かない奴だ」といって裁いたりはなさらないのです。しかし、私たちはどこか自分の信仰姿勢に対してうしろめたさを感じてしまう、そのようなところがあるかと思います。もちろんみ言葉によって罪を知らされ、罪を悔い改めることは必要ですが、主イエスの言葉を律法としてとらえて、それを守れない自分を自分で裁いてしまう、自分で自分に業火説教をしてしまう、そのようなところが私たちにはあります。

 キリストは光として来てくださったのに、自分の闇の方ばかり見てしまう、そのようなことに陥りがちです。しかし、キリストはすでにこられ、光は闇をくだかれました。光は救いの恵みです。その恵みを遮るものは「裁く心」です。キリストと出会った私たちはキリストに裁かれるのではありません。まず何より、自分に裁かれるのです。人間に裁かれるのです。自分が自分を裁き、また他者をも裁くのです。こんな私はダメな奴だと裁き、クリスチャンのくせにあんなことをしているあの人はけしからんと裁きます。繰り返しますが罪への悔い改めは必要です。しかしそれは罪にとどまることのないためのものです。恵みの喜びの中にとどまるためのものです。光の中に生き続けるためのものです。それに対して、裁く心は、人を罪の闇の中にとどまらせるものです。すでにキリストによって、恵みによって取り除かれている暗闇に引き戻すものです。

<父なる神の言葉を語られるイエス・キリスト>

 「わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。」

 キリスト教の分かりにくさはイエス・キリストが実在の人物であるということです。実在の人物であるイエス・キリストがキリスト教の教祖であったり、修行を積んで特別な存在になったというのであれば分かりやすいのです。しかし、イエス・キリストは確かにこの地上を肉体を持った人間として歩まれましたが、父なる神から遣わされた神の御子でありました。キリストが神の御子だからといって、神が二人おられるわけではありません。ここから先は三位一体という話になっていくのですが、今日はただ、キリストの言葉は父なる神の言葉と一緒であるということにとどめます。イエス・キリストはこの地上に生きられ、父なる神のお命じになった言葉を語られました。イエス・キリストは父なる神を指し示すと言われます。それはまさに言葉において父なる神を指し示されたのです。言葉によって神とはこれこれこういうお方であると説明されたわけではありません。イエス・キリストの語る言葉がそのまま父なる神の言葉だったのです。

 父なる神の言葉と同じものである、そのキリストの言葉は、単に神に書かれた文字の連なりではありません。その言葉そのものに命があり、力があるのです。言葉そのものが神であるということです。父なる神が「光あれ」とおっしゃって、世界に光があるようになったように、世界は神の言葉によって存在をすると言ってよいのです。「父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている」と主イエスはお語りになりました。それは父なる神がお命じになって語った言葉が永遠の命であるということです。その神の命の言葉を受け入れる時、私たちも命の中に入れられます。永遠の命の中に入れられるのです。その言葉を受け入れない時、言葉と離れている時、わたしたちは闇の中にとどまるのです。滅びへと向かうのです。言葉によって裁かれるということはそういうことです。

 初めに言があった、そうヨハネによる福音書は始まりました。言なる神であるイエス・キリストがこの世界に来られたのです。「光あれ」とおっしゃった父なる神の光の言葉をもってイエス・キリストは来られました。そのキリストと出会うということは言葉において出会うということです。聖書には、イエス・キリストの肉声を聞いた人々の証言が記されています。ヨハネによる福音書にもたくさんの人々の姿が描かれています。光なる神と出会いながら、言葉なる神の言葉、2000年前に生きておられたイエス・キリストの肉声をきいてもなお、信じない人々は多くありました。いえむしろ、言葉なる神の言葉によって、そして光の言葉によって、はっきりと光と闇が分けられたのです。まことの光の中に留まる者と、そうでない者がイエス・キリストの到来によって、イエス・キリストの言葉によって分けられました。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というマタイによる福音書の中の言葉は有名です。聖書のことを良く知らない人でも、この言葉を聞いて安らぎを感じる言葉かもしれません。20歳になったばかりのある女性は、淀川キリスト教病院の壁に書かれたこの言葉の前で立ち止まりました。その女性の育った家庭は深い傷を負っていました。父親がアルコール依存症で、いつも家の中は暗く荒れていました。辛い少女時代を彼女は送りました。家庭の中には安らげるところがなく、ただ、近所に住んでいたおばあさんだけが彼女のことを心から気にかけ、世話をしてくれていました。しかしそのおばあさんも重い病になり淀川キリスト教病院に入院していたのです。唯一の心の支えだったおばあさんがもしかしたら自分のそばからいなくなってしまうかもしれない。そんな不安で押しつぶされそうな心に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という言葉は飛び込んできました。命の言葉として飛び込んできたのです。暗かった彼女の心に光が射した瞬間でした。彼女は生まれて初めて教会に来ました。おばあさんは亡くなりましたが、彼女の心の中には新しい光が射していました。彼女はほどなく洗礼を受けました。洗礼式には父親も出席して見守りました。崩壊していた家庭に光が射した瞬間でした。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というクリスチャンならだれでも知っている言葉が、本当に力の言葉として人間を救い家庭に光をもたらしました。イエス・キリストの言葉は、父なる神の言葉であり、力の言葉、永遠の命の言葉だからです。

 神の言葉、み言葉とともに歩みましょう。暗闇の業である裁きを神にお返しして、光の言葉と共に、まことの春の光に向かって歩みましょう。


ヨハネによる福音書12章27~43節

2019-07-11 08:40:08 | ヨハネによる福音書

2019年2月3日大阪東教会主日礼拝説教 「光あるうちに」

<心騒ぐ>

 「心騒ぐ」、主イエスは十字架の時を前にして心騒がせておられます。なぜ心を騒がせておられるのでしょうか?それは生身の人間としての体を持っておられる主イエスにとって、やはり十字架という刑罰は過酷なものだということもあるでしょう。神の御子でありながら、肉体を持った人間としてこの地上を歩まれた主イエスにとってその肉体の極限の苦しみを伴う十字架はけっして楽々と受け入れられるものではありませんでした。「『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」とおっしゃっています。楽々と受け入れられるものではない十字架ですが、しかし、まさにそのために主イエスは来られました。罪なきお方が十字架におかかりになるというのはもちろん主イエス以外にはできないことです。しかしその心騒がせるお姿に私たちはいくばくかの慰めも感じます。

 私たちはもちろん主イエスとは異なります。御子イエス・キリストの父なる神への従順さは私たちにはとうてい真似ができないものです。私たちはもっとちっぽけなことで神に従うべきか否かということを逡巡する者です。いつもいつも迷いなく神の御心に従えるわけではありません。主イエスが神のご計画の中で心騒がせておられるのは私たちの信仰の弱さとは次元の異なることです。しかしなお、父に従う心を持ちながら心騒がせておられる主イエスの姿に私たちは私たちとは次元が異なると言いながらも励まされる部分があるのではないでしょうか。神は、時に逡巡しながら、戸惑いながら一歩一歩神に従おうとする私たちたちの歩みをも豊かに見守ってくださるのではないかと思います。私たちの心や体の弱さ、そして信仰の弱さもよくよくご存知の上で、なお招いてくださるのが父なる神なのです。

 しかしまた一方で主イエスが心騒がせておられるのは特別なことでもあります。この場面はヨハネによる福音書のゲッセマネと言われます。他の福音書には十字架を前にした主イエスがゲッセマネの園で祈られることが書かれています。そのゲッセマネで主イエスは「わたしは死ぬばかりに悲しい」とおっしゃいます。そしてまた「父よ、できることなら、この杯をわたしから取り去らせてください。しかし、わたしの願い通りではなく、御心のままに」という祈りもなさいます。本日の聖書箇所の「父よ、わたしをこの時から救ってください」という言葉と通じます。ここで主イエスは単に死に怯えておられるのではありません。主イエスの死はそれまで人間が経験しなかった死であり、神の裁きの死でした。父なる神と共に歩んでこられた主イエスが、決定的に神と断絶し、神の怒りをお受けになる死でした。それは人間の誰もが経験していない完全な死といえるものです。そしてまた滅びと言えるものです。

<天の声>

 さてその心騒がせておられる主イエスに天からの声がありました。「わたしはすでに栄光を現した。再び栄光を現そう。」父なる神は主イエスの受肉において、そしてまた主イエスのかずかずの奇跡、つまりしるしにおいて栄光を現されました。そしてまた再び栄光を現されることを語られました。その栄光とは十字架にほかなりません。

 この天からの声はそばにいた群衆にははっきりと理解できる形では聞こえなかったようです。雷が鳴ったという者もおり、また、天使がこの人に語りかけたのだという人もいたとあります。なにか尋常ならざる音として多くの人は認識したようです。多くの人が聞いた尋常ならざる音と言うか声はその時にはその意味を理解する人はいなかったのです。それは今日の聖書箇所の後半で語られている人間のかたくなさのゆえ人々は理解できなかったといえます。しかし、この時点で人々が理解できなかったことであっても、神のなさった一つ一つのことが、やがて十字架と復活ののち、意味を持っていたことが人々に理解されるのです。キリストが歩まれた道に、そして神のご栄光が現された道に、ひとつひとつ丁寧にそのしるしが残されていったのです。弟子たちが、初代教会の人々が、そして2000年後の私たちがその意味を理解できるように神は備えてくださったのです。

<人の子は上げられる>

 十字架の出来事は人の子が上げられる出来事でありました。人の子、すなわち救い主メシアが十字架にかかる、ということです。今日の聖書箇所はその前の、ギリシア人がイエスに会いにくる場面からつながるものです。主イエスはその場面で「人の子が栄光を受ける時が来た」と語られました。しかし人々はそのことがわかりませんでした。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。」そう人々は問いました。

そもそも「人の子」という言い方は、旧約聖書ではもともとは普通に人間という意味で使われていました。やがてその言葉はメシア的な特別な存在を示すものとなってきました。ここで群衆と主イエスの間に混乱が生じました。当時の、聖書を知っている人は、メシアと言うのは栄光を帯びてこられ、永遠に共にいてくださると考えていました。ですから主イエスのおっしゃる「上げられる」ということは到底メシアにはふさわしくないことでした。今日の聖書箇所の後半はイザヤ書の53章が引用されて、イザヤの預言したメシア到来について説明をされています。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか」これは、主イエスの時代に広く読まれていたギリシャ語訳の聖書からの翻訳なので、新共同訳聖書のヘブライ語から訳されたイザヤ書53章とは少し言葉が違います。いずれにせよ主イエスの十字架の出来事は旧約聖書の時から預言されていたことでした。そしてまた、なおそのことを人々が理解できないことも旧約聖書で預言されていたのです。イザヤ書53章は<苦難のしもべ>と呼ばれる救い主が来られることが預言されているのですがそれは十字架と復活ののちにならなければ理解されなかったのです。

 それにしてもユダヤの人々はずっと聖書を大事にして、学んできた人々であったのに、イザヤの言葉も良く良く知っていたはずなのに、なぜその預言の意味を理解できなかったのでしょうか。同じくイザヤ書の6章を引用して、神が人々の心をかたくなにされたことが40節から記されています。旧約聖書には、神が人間の心をかたくなにされたということが時々書かれています。たとえば出エジプト記にはエジプトの王ファラオの心をかたくなにされたと書かれていました。神がかたくなにされ、人間が心を開かないようにされたのだから人間が理解できなくても当然のように思えます。神が人間の心をかたくなにされ、メシアのことも主イエスの十字架のことも理解できないようにされていたのなら、人間の側としてはどうしようもないように感じます。しかし、神が人間の心をかたくなにされる、というのは、むしろ人間の罪があまりにも深くて、それゆえに神のなさることを人間が理解できないとき、いったん神は忍耐をなさるということを示しています。罪深い人間に理解の及ばないことを、理解の及ばないままになさって、しかるべきときまで神は忍耐をなさるということです。

 ところで、教会には子供のころから教会に通っていた人もいれば、私のように中年になってから教会に招かれる人間もいます。洗礼を受けた後、ときどき思いました。なぜもっと早く神と共に歩む人生を始められなかったのか、と。もっと若いころに神を知っていたら、主イエスと共に歩んでいたら人生は変わっていただろうと感じました。なぜ神はもっと早く私を導かれなかったのかと残念に思いました。しかし、当然ながら神は一人一人にもっとも良い時に信仰へと招かれます。私ももしもっと早い時期に教会に来るチャンスがあったとしても、その時は、まだ心がかたくなであったのではないかと思うのです。罪や救いということが良くわからなかったと思います。それは実際に自分の罪が深かったからで、その状態はまさに神がかたくなにされていたとようにも見えることだったと思います。

 しかしそのようなかたくなな者のために主イエスは十字架にかかられました。前の聖書では地に落ちる一粒の麦のように主イエスは死ぬ、そして多くの実りを結ぶために死ぬとおっしゃっていました。今日の聖書箇所では「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」とおっしゃっています。十字架の出来事には、地に落ちるという下方向の向きと、上げられるという上に向く方向があります。矛盾するようですが、十字架には両方の側面があるのです。主イエスは神の裁きの前で死に下られました。罪人として下へと向かわれました。それは私たちを上に引き寄せるためでした。かたくなで罪に滅びるはずの私たちを神の栄光の「上」へと引き上げるために十字架に上げられました。

<光あるうちに>

 「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。」

 ヨハネによる福音書では1章からキリストは光として描かれていました。救い主は罪の闇に沈む人間を照らす光です。救い主であるイエス・キリストは永遠の存在です。アルファでありオメガ、とこしえにおられるお方です。しかしここでは「光は、いましばらく、あなたがたの間にある」とおっしゃっています。これは十字架を前にした主イエスが、この地上で自分が人々の間にあるのは「いましばらく」であるという側面と、私たちが信じるということにおいて残されている時間が「いましばらく」である側面があります。

 わたしたちが信じるということにおいて残されている時間は「いましばらく」なのだということです。それは信仰告白はまだいいやと思っておられる未信徒の方にだけ語られていることではありません。明日はどうなるかわからないこの世界で、もちろん信仰告白は早くなさった方がいいです。しかしまた、すでに信仰を持っていると思っている人間にとっても「光はいましばらく」なのです。罪の暗闇はやってくるのです。暗闇の力に追いつかれてしまうのです。ですから絶えず光なる神であるキリストと歩まねばなりません。闇の覆われ道に迷うことがないように。

 そしてまたさらなる闇が来ます。それは神がこの世界をふたたび創造なさるときです。今は天におられる主イエス・キリストがふたたび来られるときです。それは裁きの時です。その時まで、あるいは自らの肉体の死の時まで、私たちは光なる神と共に歩みます。それは教会に繋がって歩むということです。光なる神が建てられ光なる神がおられる教会に繋がって歩むとき、私たちは闇に追いつかれません。教会はキリストが復活ののち天に昇られ、そして再び来られるときまでの間、この地上にあるものです。今日は大阪東教会の創立記念礼拝です。1882年2月5日、奇跡のように教会は立ち上がりました。先人たちが光のあるうちに海を渡り、この島国に教会を創立しました。まだキリスト教が耶蘇と言われ、毛嫌いされたり、恐ろしがられたりしていた明治の初期に宣教を進めた人々がありました。この国の人々を、大阪の地の人々を光の子とするために教会は建てられましt。創立記念といってもなにか特別なことをするわけではありません。ただ教会の光の源であるキリストを覚えます。すべての人を自分のもとへ引き寄せようとされているイエス・キリストの願いとしてこの教会が21世紀にあることを覚えます。大阪東教会は小さな群れです。文化財になるような立派な会堂があるわけでもありません。しかしなお光の子とされた者の集いです。昔も今も、なおこの地上にあってキリストの光を放っています。その光の内を私たちは歩みます。暗闇ではなくキリストの光の中を歩みます。光の内にあって、私たちは行くべきところを知らされています。父なる神のおられる上へと私たちは歩んでいきます。

 

                                             


ヨハネによる福音書12章12~26節

2019-07-09 08:56:35 | ヨハネによる福音書

2019年1月27日 大阪東教会主日礼拝説教  柔和な王吉浦玲子

<神のご計画>

 エルサレムの群衆はなつめやしの枝を持って主イエスを迎えました。過ぎ越し祭が始まろうとしていました。過ぎ越し祭は春の祭りでした。季節をさかのぼりますが、秋には仮庵祭がありました。そのとき、ヨハネによる福音書7章を読みますと主イエスは隠れるようにしてエルサレムにおられたことがわかります。そして秋の仮庵祭ではこのような熱烈な歓迎はお受けにならなかったのです。季節は巡り、ラザロの復活の出来事を知った人々を中心に、イエス様がエルサレムに来られると聞いて歓迎しました。しかし、主イエスは人々から歓迎をお受けになりたいと考えて過ぎ越し祭に来られたわけではありません。そもそも人々から歓迎を受け目立ってしまうとご自身の身に危険が及びます。実際、19節を読みますと、エルサレムに歓迎される主イエスの様子を妬ましく見ている権力者たちがいたのです。もちろん主イエスは危険はご承知であって、けっしてそれを恐れておられたわけではありません。エルサレムで起こるすべてのことが十字架に繋がっていくことをわかったうえで、主イエスはエルサレムに入って来られました。主イエスはご存知でした。権力者たちだけでなく、いまは歓迎している群集が数日後には十字架につけろと叫ぶことになることを。主イエスを殺したい権力者たちの思いが遂げられる日が近づいていることを分かっておられました。群衆に歓迎されることが、権力者たちの憎しみをさらに買う行為であることをわかったうえで、仮庵祭のときとは異なり、あえて人々の目に着く形でエルサレムに入って来られました。

 15節で人々は「ホサナ」という言葉を叫んでいます。これは詩編115:25に記されている言葉のヘブライ語の音(ホーシーアーナー 主よ、今、救ってください)をギリシャ語で表現したものです。また「イエスはろばの子を見つけて」とあり、主イエスがろばに乗っておいでになる有名な箇所は、ゼカリア9:9で預言されていることでした。つまり主イエスのエルサレム入場によって、旧約聖書においてすでに預言されていたことが成就したのです。この主イエスのエルサレム入城、そして人々の熱狂がすでに神のご計画のうちにあったことがわかります。つまりこれから起こる十字架の出来事は、弟子の裏切りや権力者の憎しみや群集心理によって起こったことのようでありながら、実際は神のご計画のうちに起こったことでした。主イエスご自身が父なる神のご計画に従い、ご自身の意思のもとに十字架へと歩まれたのです。そうでなければ目立つようにエルサレムに入っては来られませんし、そもそもエルサレムにも近づかれなかったでしょう。人間の思いや行いではなく神ご自身が十字架の業をなさったのです。

 弟子たちはこの様子を見ても何が起こっているのかわかりませんでした。多くの弟子はガリラヤの田舎の出身でした。エルサレムの都での、人々のこの熱狂にただただ驚いたことでしょう。心の中でひょっとしたらこのまま主イエスがユダヤの王になられるのではないかと感じていた者もいたかもしれません。彼らは、この場面が、旧約聖書の時代から預言されていた神のご計画の成就であったとは主イエスがご栄光を受けられるまで、つまり十字架におかかりになるまで、わからなかったのです。ヨハネによる福音書では十字架の出来事は「栄光」として描かれています。十字架において救いの成就がなされること、それこそが神の栄光の表れだからです。そしてそのことはただ神のご計画と主イエスによって成し遂げられることであって、弟子たちをはじめ、人間には考えも及ばなかったことなのです。

<王として>

 さて、人々は主イエスが王になってくださることを願っていました。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」主イエスを王として歓迎したのです。さきほども申しましたように、この場面で、主イエスはろばの子に乗って来られました。ゼカリア書には「雌ろばの子であるろばにのって」と記されています。このろばは主イエスの柔和さを表すと言われます。武力を持って支配し、権力をほしいままにして、人々を苦しめる王ではなく、柔和で寛容な王のイメージで主イエスは来られたと言われます。それは確かにそうなのです。白馬にさっそうとまたがった堂々たる王ではなく、雌ろばの子であるろばに乗って来られるのです。子ろばは上手に人を乗せられなかったかもしれません。想像してみると、子ろばに乗った主イエスのお姿は滑稽ですらあったかもしれません。

 しかし、私たちは忘れてはならないのです。ろばの子に乗って来られた主イエスは、間違いないく王なのであることを。エルサレムはダビデの時代から、王の街でした。そしてまたエルサレム神殿を擁する町でした。政治的にも宗教的にもイスラエルの中心でした。そこに主イエスは入って来られました。ろばは滑稽であったかもしれないと申しましたが、<乗り物に乗って入ってくる>というのは王としての行為を象徴しているのです。主イエスご自身が「ろばの子を見つけて、お乗りになった」、つまり主イエスご自身も自分を王としてエルサレムに入って来られたのです。

 そもそも王は人々の上に立つ存在です。王にはもっとも良い場所に住んでいただき、王としてふるまっていただかなくてはなりません。民は王に従わねばなりません。私たちはそのことを忘れがちになります。主イエスを子ろばに乗って来られた柔和な王、優しい王様、その側面だけで捉えがちになります。そして私たちはもっとも良い場所には自分たちが住むのです。柔和な王には場所を提供しないのです。私たちが王を必要とするときだけ。出てきてくれたらよい、私たちが望むような王としてふるまってくれたらよい、そう考えるのです。子ろばに乗って来られる柔和な王であるゆえ、軍事力を背景にしない平和の王であるゆえ、本来は自分たちが明け渡すべき場所を明け渡さないままで、都合のよい王として迎えるのです。

<主イエスを知りたい>

 この熱狂のエルサレム入城ののち、不思議なことにギリシヤ人が主イエスに会いに来ました。当時、異邦人でありながらユダヤ教に回心をする人々がいました。今日の聖書箇所で主イエスに会いに来た人々が改宗をした異邦人ユダヤ教徒なのか、改宗はしていないけれど聖書の神に心惹かれてきた人々なのかはわかりません。そのギリシア人たちはフィリポに主イエスにお会いしたいと伝えます。ここではフィリポとアンデレがイエスに取り次いだ様子が、少し回りくどく記されています。当時のギリシア人、つまり異邦人とイスラエルの人々との距離がそこに感じられます。ギリシア人は「主イエスにお目にかかりたい」といいますが、「お目にかかりたい」という言葉は端的にギリシャ語で「見る イデー」という言葉です。しかしまたその「見る」という言葉には、ヨハネによる福音書では、主イエスを信仰の対象として「見る」というニュアンスがあります。視覚的に主イエスを見ても、そして出会っても、主イエスを信じない多くの人々がいました。しかしこのギリシア人たちは、おそらく主イエスがなさったことや、語られたことを聞いて、ぜひ見たい、主イエスのことをはっきりと知りたいという願いをもってやってきたのです。

 そのギリシア人に対して主イエスがお話になった言葉の中に大変有名な言葉があります。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの身を結ぶ。」この言葉がギリシア人に直接語られたのか、フィリポとアンデレを介して語られたのかはわかりません。しかし、ここには十字架の出来事の重大な意味が語られています。主イエスは「多くの実を結ぶため」に死なれるということです。実りとは何か?人間の命です。多くの人々が生き生きとした永遠の命、まことの命を得るために、ご自分は死ぬのだとおっしゃっています。このとても重要なことがギリシア人に伝えられました。これは私たちに福音が伝えられることを暗示する出来事です。

 私たちは肉眼で主イエスを「見る」ことはできません。しかし、福音を伝える誰かによって主イエスのことを知らされるのです。イスラエルから異邦人へと、そしてこのアジアの島国にまで福音は人間を介して伝えられました。伝えられた人々は、肉眼で見えなくても、主イエスを信仰において知り、主イエスと出会いました。私たちもそうです。私たちにもそれぞれにフィリポとアンデレのような人がいたのです。

 それは主イエスの十字架がすべての人々のためだったからです。十字架は<救いはイスラエルのみ>という概念を越えて全世界に救いが及ぶ出来事でした。2000年前の一粒の麦となられた主イエスの出来事がまさに全世界に実りをもたらすものであったのです。私たちも主イエスの死んだ麦から得られた「実り」です。私たちが「実る」ために主イエスは地に落ちられました。

 主イエスによって実らさせていただいた私たちはどのように生きるのでしょうか。厳しいように感じられる言葉が続きます。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者はわたしに従え。」主イエスが一粒の麦として死なれたように、主イエスに従う者は命を憎んで死なないといけないのでしょうか?命を絶たないまでも徹底した自己犠牲の精神で生きないといけないのでしょうか?ここで「命を憎む」とは、自己中心的な命を憎むということです。先ほど申しました、主イエスを王として迎えず、自分が王としてふるまうような生き方を憎むということです。私たちは主イエスのように他者のために命を落とすことはできません。そういうこともまったくないとは言えませんが、それが私たちの生きていく目的ではありません。私たちは主イエスを王として迎え従って生きていくのです。

 「そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」

 私たちの目的は豊かに実らせていただっことであり、「主イエスのいるところにいる」ことです。そして父なる神に大切にしていただくことです。

<私たちも地に落ちている>

 そもそもキリスト者は、一度洗礼において死んでいます。洗礼とはキリストの十字架に私たちも与ることでした。キリスト者もまた、キリストと共に十字架によって死にました。一粒の麦としてすでに落ちています。ですから私たちはキリストと共にいます。父なる神から慈しみをすでに得ています。私たち自身も実らせていただき、さらに新たな多くの実りを見させていただくのです。それは私たちがフィリポとアンデレのような者になるということでもあります。気がつくと私たちもフィリポとアンデレのような者にされているのです。

 それにしても麦の粒は小さなものです。私たち一人一人も小さな者です。しかし、自分が王様になりたい者です。王だなんて大それたことは思っていないようで、どうしても小さな自分の在り方に大いにこだわる者です。自分のやり方、自分の生き方に固執します。でもそれはしんどい生き方でもあります。私たちはそんな小さな自分に死にます。死なせていただいたのです。そして主イエスとつながって、新しく生きていきます。キリストのゆえに、キリストが最初の一粒の麦となられたゆえに、私たちはいっそう豊かにいきいきと歩んでいきます。


ヨハネによる福音書12章1~11節

2019-07-09 08:39:17 | ヨハネによる福音書

2019年1月20日 大阪東教会主日礼拝説教 信仰は止まらない吉浦玲子

<香油の香りでいっぱいになった>

 過ぎ越し祭の六日前のことでした。

 ヨハネによる福音書では主イエスは過ぎ越し祭の始まる前に逮捕されています。ですから今日の聖書箇所は主イエスが十字架におかかりになる一週間ほどまえのことだと考えて良いでしょう。ヨハネによる福音書では11章のラザロの復活をもってイエス様のこの地上での宣教活動は終わります。12章からは十字架への歩みと十字架を前にしたイエス様の説教が記されています。その流れを踏まえます時、今日の聖書箇所は、イエス様の十字架の出来事へのプロローグとも言えます。

 生き返ったラザロ、そしてその姉妹であるマリアとマルタが住むベタニアはエルサレムに近い町でした。以前にもお話ししたように、それはイエス様にとって危険なところであることを指していました。主イエスの命を狙う権力者たちがエルサレムにはいるからです。しかし、主イエスはご自身の十字架の時が近づいたことをご存知でした。ですから敢えて危険なベタニアに行かれたのです。そこはもともと主イエスにとって、心を休めることのできるところでした。親しいラザロ、マリア、マルタと心置きなく過ごせるところでした。父なる神のご計画である十字架が迫っていることを知っておられた主イエスは、親しいラザロたちとの別れの思いもあって向かわれたのかもしれません。

 しかしおそらく、そのベタニアでの滞在は、表面上はいつものようであったと思われます。いつものように主イエスのために夕食が準備され、マルタはかいがいしく給仕をしていたでしょう。生き返ったラザロを交え、弟子たちとのいつもながらの歓談がなされていたでしょう。

 そのいつもの和やかな場、ひょっとしたら生き返ったラザロもいましたから、普段以上になにか喜ばしいような雰囲気もあったかもしれない場面が、突然、異常事態に見舞われます。マルタの姉妹のマリアが突然、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラももってきて主イエスの足に塗ったというのです。1リトラというと約300グラムです。

 香水がアルコールににおいの成分が溶かされたものであるのにたいし、香油は名前の通りオイルに溶かされたものです。香油は香水よりにおいが変化せず、香りの持続時間も長いそうです。香水でもほんの1滴でもかなりの匂いがします。香油でもそうとうな匂いでしょう。そもそも香油は死体に塗って匂いを抑えるために使われたりするものでもありました。このナルドと言われる香油はことにそのような場面で使われる種類のものであったようです。強い独特の香りがあったのではないでしょうか。それを香水瓶ひと瓶ほども一気にマリアは使ったのです。

 家は香油の香りでいっぱいになったとあります。これは良い香りでいっぱいになったというより、おそらく香りで息苦しいような状態だと思われます。ナルドの香油を再現して販売しているネットサイトもありますが、実際のところは古典的な香料で、正確にはどういう香りかわかりません。しかし、香水でもそうですが、もともとがいい香りのものであったとしても大量にぶちまけたら、かなり匂いが充満して気持ち悪いような異様な状態になると考えられます。香油を塗られた主イエスご自身もその匂いがかなりの時間取れなかったのではないかと思います。

<とんでもない無駄遣い>

 マリアの行ったことは、非常識極まりないことでした。弟子のひとりのイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と言ったとありますが、これはある意味とてもまっとうなことです。イスカリオテのユダはのちに主イエスを裏切ることになりますから、ここで悪役的な記述をされていますが、他の福音書の香油注ぎの記事を見ると、マリアに対して憤慨したのは「弟子たち」と記されていて、ユダ一人だけではなかったのです。そもそも三百デナリオンは1デナリオンが当時の労働者の一日の賃金ですから、だいたい労働者の年収分の金額です。年収分の価値のあるものをマリアはぶちまけたのです。貧しい人に施すのではなくても、たとえば主イエスたちのために三百デナリオン分のなにか価値あるものを買ってお捧げするなら、まだ人々は納得できたでしょう。

 しかし、マリアの行いは、奉仕の心の表れである、とよく言われます。マリは今自分にできる精いっぱいのことを主イエスにしたのだと言われます。「ナルドの香油」というのは讃美歌にも歌われています。またナルド献金というような献金もあります。今、自分にできることで奉仕をしましょう。できる限りの献身をしましょう、そのような勧めとしてとらえられるのがナルドの香油です。もちろんナルドの香油にはそういう側面もあります。

 しかしまた話が戻ってしまいますが、香油をぶちまけることがマリアにとってほんとうにできる限りの奉仕だったのでしょうか?主イエスはこうおっしゃいます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」この言葉から主イエスがマリアの行いを肯定しておられることが分かります。マリアの行いは人間の普通の価値観からはただの無駄遣いとしか見えません。しかし、主イエスはそうは考えられませんでした。そしてまた、それはわたしたちの人生における私たちの行いに対しても同様です。その価値をお決めになるのは神なのです。立派な福祉活動をした、たくさんの困った人々を助けた、目に見える形での行いももちろん立派で大切なことです。しかし、その行いの価値は、実際のところは神がお決めになるのです。

 神がお決めになるということであるならば、人間には判断しかねることもあるということです。マリアの行いのように人間には無駄遣いとしか思えないようなことも神からは称賛されるということです。そもそも私たちは神のなさること、お考えになることを理解することはできません。神が私たち人間を救われる、そのこと自体が想像を絶することです。私たちは救われるべくして神に救われているのではありません。当然の権利として、私たちは神に罪赦され救われているのではありません。神の愛という、とてつもない常識破りのことのゆえに私たちは赦され救われているのです。神はただおやさしくて、私たちを赦してくださったのではありません。犠牲を払われたのです。わたしたちを救うための神の犠牲は三百デナリオンの香油どころの話ではありません。神の御子が十字架にかかって死なれるという、とてつもない犠牲が払われたのです。神ご自身が理屈に合わない常識外れの犠牲を払われたのです。その常識外れの愛を人間に注がれる神の御子がマリアの行いを良しとされました。

 私たちはマリアのように香油をぶちまけるようなことはおそらくしないでしょう。しかし、私たちの小さな行い、人から見たら、つまらないということであっても、あるいは世間的にはたいしたことではないということであっても、神の御心にかなうことであれば神は良しとおっしゃってくださるのです。逆に言えば、ある時は、人からは非難されても、常識外れと思われても、神の御心に従うことであれば行うのです。その行いを自分自身に対しても他者に対しても、止めてはいけないのです。

<死の香りをまとわれた主イエス>

 そしてもうひとつ今日の聖書箇所で注目したいのが、主イエスが「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」という言葉です。最初に申し上げましたように、今日の聖書箇所は、十字架へと向かう福音書の流れの中で、十字架のプロローグとなる場面です。この場面には主イエスの死の影がさしているのです。マリアがぶちまけた香油は死体に塗るためにも使われたとさきほど申し上げました。マリアが主イエスの十字架をどのくらい理解していたかはわかりません。しかしある程度、主イエスが死を覚悟なさっていることはマリアは感じていたのではないでしょうか。そしてラザロの復活においてマリは主イエスが来るべきメシア、救い主であることを信じたのです。マリアはラザロの死に打ちひしがれていました。涙にくれていました。死の力のまえでなすすべもなく、打ち砕かれていたのです。そのマリアの目の前でラザロが生き返りました。その蘇りの場面でマリアの姉妹のマルタは、墓の石を取りのけよとおっしゃった主イエスに「四日もたっていますから、もうにおいます」と言いました。そうです。墓の中には死のにおいが充満しているはずでした。肉体が滅んでいく残酷な現実である死の香りが満ち満ちているはずでした。しかし、ラザロは生き返りました。ですから、墓の中には本来あるべき死の香りはなかったのです。

 今日の聖書箇所では、死体に塗ることにも用いられる香油が主イエスに注がれました。ラザロの墓に中になかった死の香りを、主イエスご自身がまとわれました。マリアはラザロが死んだときにも塗らなかった香油をとっておいて主イエスに注いだのです。マリアがどういう意図でラザロの遺体にはこの香油を使わず取って置いたのかはわかりません。ひょっとしたらユダのいうように高価な香油は売って有益なことに使うつもりだったのかもしれません。しかし今や、その香油は主イエスを死の香りで包むものとして用いられました。この香りはなかなか取れなかったであろうと前に申しました。体を洗ったとしてもすぐにはなかなか取れなかったのではないかと思います。しかしそのことのゆえに、主イエスの十字架への道のりを際立たせることになりました。

 「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」主イエスは去って行かれるのです。主イエスの宣教活動の期間は三年半くらいだったといわれます。共に語り、共に歩んだ三年半の歳月が終わるのです。先週、1月17日は阪神淡路大震災の24回目の記念日でした。いつも一緒にいたはずの人があの日を境に突然一緒にいることができなくなった、そのような深い悲しみを24年たった今も抱えておられる方々がたくさんおられます。阪神淡路大震災から24年間、多くの自然災害がありました。災害被害規模の大小に関わらず、一人一人にとって、いつもいっしょにいた人を失った悲しみは深いものです。昨晩いっしょに晩御飯を食べた人が翌朝にはもういない。朝ご飯を家族で一緒に食べて元気に出て行った女の子がブロック塀の下敷きになって亡くなってしまう。そのような残酷な死を、主イエスは自ら、このときまとわれました。

 それはわたしたちのためです。私たちの現実には、残酷な死があります。しかし、その死で終わりではない永遠の命のために、救いのために主イエスは自ら死の香りをまとわれました。ラザロを復活させたお方、命も死も支配されるお方が、いまや自ら死の香りをまとって、十字架へと受難へとあゆみはじめられました。私たちがまとうべき死の香りをイエス・キリストご自身がまとってくださいました。ですから私たちは死の香りではなく、命のただなかに生きていきます。もちろんこの世界にはさまざまなことが起きます。明日はどのようになるのかまったく分かりません。今日共にいた人と明日出会えるかそれは分かりません。ですから今日できることを今日出会う人とできる限りのことをするのです。私たちができる限りのことをした、そのことを主イエスは、ただ主イエスだけは良く良くわかってくださいます。ですから安心して今日を精いっぱい生きていきます。