おじいちゃんの最後の病院は老人病院だったので、それなりの臭いとかがあるせいか、主人はあまり行きたがらなかった。
私は週2~3回行くようにしていたので、おじいちゃんも私の名前は覚えてはいなかったが、どうやら顔を見せれば自分の関係者、使用人か何かとわかるらしかった。ある日主人を伴っていくと、おじいちゃんは息子の姿を見たとき、「金もっていそうな人だな~」といったのはおもしろかった。それを思い出して笑い話にしていた。
おじいちゃんがこんなこと言ったとか、ああだったとか、笑いながら話すことができたのは、好運だった。明るく話せることができたのは、主人が明るい人であったからかもしれない。
おじいちゃんは家庭的には不幸な人だったせいか、看護婦さんの手をにぎったりすることもあった。看護婦さんや、介護士さんと結構たのしく過ごしていた時期もあったようだ。
お昼にはなるべくいって、食事の介護をしたので、最後の口からの
食事は私がスプーンで差し出したゼリーだったのかなと思う。
おじいちゃんはよく食べる人でした。施設にいたときは、人の分までとることもあったみたいです。
自分のお母さんとは仲良かったけど、奥さんや嫁さん運はなかったね。
今度会ったときには何か文句言われるでしょうね。
私は週2~3回行くようにしていたので、おじいちゃんも私の名前は覚えてはいなかったが、どうやら顔を見せれば自分の関係者、使用人か何かとわかるらしかった。ある日主人を伴っていくと、おじいちゃんは息子の姿を見たとき、「金もっていそうな人だな~」といったのはおもしろかった。それを思い出して笑い話にしていた。
おじいちゃんがこんなこと言ったとか、ああだったとか、笑いながら話すことができたのは、好運だった。明るく話せることができたのは、主人が明るい人であったからかもしれない。
おじいちゃんは家庭的には不幸な人だったせいか、看護婦さんの手をにぎったりすることもあった。看護婦さんや、介護士さんと結構たのしく過ごしていた時期もあったようだ。
お昼にはなるべくいって、食事の介護をしたので、最後の口からの
食事は私がスプーンで差し出したゼリーだったのかなと思う。
おじいちゃんはよく食べる人でした。施設にいたときは、人の分までとることもあったみたいです。

自分のお母さんとは仲良かったけど、奥さんや嫁さん運はなかったね。
今度会ったときには何か文句言われるでしょうね。