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「変成」に関して 1.「変成」って何じゃい? 1

2024-09-18 20:52:53 | おべんきょノート

基本中の基本の話で、岩石には3種類ある、とされる。
 火成岩 igneous rocks。イグニアスと読むそうで。マグマから出来た岩石。
 堆積岩 sedimentary rocks。いろんなものが堆積して固まった岩石。
 変成岩 metamorphic rocks。すでにある岩石が変成してできた石。メタモルフォーゼ。かっこいいね。

といっても、自然現象というのは多様複雑で、明確な線引きができないことが多く、どっちとも言えない曖昧な領域もある。「こりゃそれですね」とはっきり言えるものもあれば、「ううむ」というものもある。「厳密な定義」というのは困難。「クソジジイ」というのは定義不能だけれどもクソジジイは確かに存在する。あちきがそれに入るかどうかは知らない。(たぶん入るんじゃないの?)

マグマからできた火成岩やいろんなものが積もった堆積岩というのは、まあわかりやすい。しかし「変成」でできた岩石とは何ぞや。
これが難しい話で、素人にはなかなか歯が立たない。首を突っ込まないのが得策なのだけれど、それも面白くないので、不遜ではあるけれど変成岩学の泰斗・都城〔みやしろ〕秋穂博士の本をぱらぱらとめくりながら、ごくわずかだけど理解した範囲でメモを作ってみることにした。
ちなみにこの都城先生(1920-2008)、変成岩研究では世界的に有名らしいけど、日本の学界ではいろいろと軋轢があったとか。ウィキペディア参照。まあね、学界というのはね。(しーっ) 大隅石やインド石の命名者でもある。
参考文献は、『変成岩と変成帯』(岩波書店、1965年)と『変成作用』(岩波書店、1994年)。ちょっと古くて、特に前者はプレートテクトニクス革命前のものだけど、岩石分析の基本はそう劇的に変化していないのではないかと思われ。

で、「変成岩」とは「変成作用でできた岩石」。はい。で、「変成作用」というのは何ですか?
どうもこれも厳密な定義というのは不能らしい。
都城1965にはこうある。
《変成作用は、まったく融解がおこらないか、またはきわめてわずかしか融解がおこらない範囲の現象である。すなわち、変成作用は、本質的に固体の岩石におこる現象である。》
とはいえ、それは「理想形」であって、実際にはかなり融解したり、それが出て行ったり、さらに外から何かが入ってきたりと、もっと多様で重要な現象が起こっている。理想形だけに限定していたら変成岩学は成り立たない。
しかしあまりに広く捉えると収拾が付かなくなる。堆積岩が押しつぶされてある程度結晶構造が変われば変成岩になるだろうけど、どの程度からだよという話になる。1904年にヴァン・ハイズが著した変成岩の本は1286頁、5.4㎏になったという。は? 5.4㎏の本って何だよ。って、先生、計ったの?
だから「どれをもって変成岩とするか」というのは、人と場合によってまちまちらしい。
基本的には、「すでにできている岩石が、圧力・温度、さらに水などの揮発性成分によって別の岩石になったもの」という大まかな括りでいいのでしょう。細かく揚げ足取りをすると切りがない。

この変成岩というもの、日本ではあまり広く見られるものではない。
《わが国では、再結晶化作用の進んだ変成岩の露出面積は全面積のなかの約4%にすぎない。》
だから、変成岩と言われても一般人は「ふうん、変わった石ですか」くらいに思ってしまう。(それはないw)
ところがどっこい。
《大陸地殻の中央部の大きな部分を占めている先カンブリア盾状地は、そのほとんど全体が変成作用を受けた地域である。》
先カンブリア盾状地というのは、古~い大陸。27億年前に大規模火成活動によって大陸地殻の急激な生成があったというから、その頃の大陸ということかな。
あちきらは「大陸地殻は火成岩である安山岩と花崗岩からできている」と教わるわけだけれど、この大陸地殻火成岩、そのまんまのほほんとしているわけではない。重みで押しつぶされたり熱せられたり、さらには大陸衝突でぶつかり合ったりして、多くが「変成」している。大陸地殻のかなりの部分は変成岩なのである。らしい。
《大陸地殻の深所にはいちめんに広域変成作用がおこっているのであるが、造山帯でのみそれが地表に露出しうるほどの大規模な隆起がおこるのかもしれない。造山帯の広域変成岩は一般に強い変形運動をうけているとしても、造山帯よりほかの大陸地域では地殻の深所に変形運動をうけていない広域変成岩が形成されているかもしれない。たとえば玄武岩質の岩石は、造山帯でなくても長い時間のあいだには角閃岩やグラニュライトになっているであろう。このことは、現在の地殻やマントル上部の構造や組成を考える上で重要である。》

そう言われると、変成岩というのはむしろ地殻の大部分なんじゃないかと思えてくる。えらいことですな。

     *     *     *

元になる岩石(原岩)も様々、温度や圧力などの条件も様々。そういう厖大な領域を研究するとはどういうことなのか。
都城博士はこんなふうに言っている(都城1991)。

《1970年代にプレートテクトニクスに基づく地質学の大系が組織されるより前には、岩石学、層序学、構造地質学というような地質学のなかの諸分野は、相互にほとんど無関係な独立した研究領域であって、全体をつなぐような論理的な結びつきはきわめて弱かった。そのころは、変成作用の研究は岩石学の一分野とみられていた。岩石学自体は、火成岩の研究と変成岩の研究と堆積岩の研究に分かれていて、それぞれは一つの独立した分野であって。それらをつなぐような論理的な結びつきはほとんどなかった。
 このように小さく分かれた個々の分野には、それぞれの価値意識があった。たとえば岩石学についていうと、その初期には珍しい岩石(岩型)や造岩鉱物に対する強い興味があった。したがってたとえば、火成岩の新しい岩型をみつけるというようなことが、重要な業績であった。(中略)
 岩石学に物理化学が入ってくるようになって後、そういう個々のものに対する単純な記載的興味はいくらか減じて、その代りに物理化学的手段によって知られる個々の事実に対する興味が生れた。たとえば、変成岩研究の目的は変成作用の温度と圧力を明らかにすることにあるとよくいわれた。もちろん変成作用の温度を知ることは望ましいことに違いないが、そういう研究をすすめて、たとえばある変成岩の生成の温度が400℃でなくて450℃であることがわかったとしても、それ自体を人類の知的進歩に対する貢献として、どの程度に評価できるであろうか。
 プレートテクトニクスに基づく地質学の大系ができ、変成作用の研究もそのなかに組みこまれて後は、そういう疑問はしだいに少なくなってきた。(後略)》

岩石学や鉱物学というのはもともとは近代西欧の「博物学」から生まれたもので、帝国主義的拡張や科学の勃興とあいまって、「珍しいものを見つけて、記述して、分析して、分類する」といういわゆる「記載的」学問であったわけですね。人類学や宗教学なんかも同じトレンド。こういう「記述・分析・分類」はもちろん学問の基礎だし、それがなくては始まらないのだけれど、そればっかに終始しているのでは単に知識・情報の羅列でしかない。
それが一変したのが、20世紀後半の「地球科学」の勃興。大陸移動説に始まった「プレート・テクトニクス」の誕生、化学的分析や高圧・高温実験の進化、地震波解析やボーリング調査、コンピュータによるシミュレーションなどなどによって、「地べた」の研究はコペルニクス的転回を遂げたわけですね。
それ以降、鉱物学・岩石学・地質学などは「地球テクトニクス〔構造運動〕研究」の一翼を担うことになった。まあ今でも多くの鉱物学・岩石学の記述は「記載的」段階に終始しているような気もしますけど。(しーっ)
で、そういうトレンドの中で、変成岩学は一躍重要な学問に躍り出た。なぜなら、「変成岩は地殻の動きの過去を記録するもの」だから。「ある“地べた”はどうやってできてきたのか」「昔のその場の環境条件はどうだったのか」は、変成作用を分析することでわかってくる。
ううむ、何とも重要な学問ではないですか。

変成作用が作り上げた至高の宝石、翡翠。


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