元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

横浜イングリッシュガーデンを散策。だが真冬のバラ園に咲いている花はなかった。

2021-02-01 21:26:00 | 一日一花
散歩のついでに横浜イングリッシュガーデンを散策。だが真冬のバラ園に咲いている花はなかった。少しは何かの花が咲いているかと思ったが、皆無であった。年間パスポートを持っていなかったら、まずこの季節に訪れることはない。5月のバラが満開の頃に、訪れるだろう。でも年間パスポートのおかげで、年間で定点観測ができる。この季節のバラ園が、どんな状態なのか、一度は訪れる意味はある。
今の時期、ほとんどのバラは人間(植木職人)の手によって剪定され、葉っぱもなく棘だらけの茎しかなかった。






そんな攻撃的な真冬のバラは、ある意味薔薇の本質を表していないか?とさえ思った。バラの花を人間から守るのは棘である。人間以外の動物や昆虫などの生物で花だけを盗む者がいるだろうか。美しき者の本質、美しいものをはぎ取った後に残るのは、棘だけである。と解釈するか?美しき者は取ってはいけない。眺めるだけにすべきである。と解釈するか?美しき者を捕まえるには、それなりの覚悟は必要である。と解釈するか?

菅田将暉主演の映画「アルキメデスの大戦」(2019年7月公開)を見る

2021-02-01 16:56:21 | 芸術(美術展・映画・コンサートなど)
菅田将暉主演の映画「アルキメデスの大戦」(2019年7月公開)を見る。菅田将暉は天才数学者・櫂直の役を完璧にこなしていた。ストーリーは単純だが、天才数学者の数式の世界が面白く描かれている。(10点満点で7点ぐらい)
主役が数学者で、題名があの「アルキメデスの原理」で有名なギリシャの数学者と言えば、あの東野圭吾に「この小説との出会いが、本嫌いだったバカ高校生の運命を変えた」と言わせた、小峰元さんのミステリー小説「アルキメデスは手を汚さない」を思い出す。(高校生の時に読んだから中身は全然覚えていないのだが)
でもこの豪華俳優陣の中で、ひときわ存在感を発揮していたのは田中泯さん。NHKの大河ドラマ「竜馬伝」でも、吉田東洋役ですごい存在感を見せていたけれど、今回も素晴らしい。やはり前衛舞踏家として一般大衆の前で演技するのが、すごい存在感を出すことに効いているのかもしれない。落語家もそうだが、大衆を前に芸を磨くのは一番いいのではないか。権威主義の日本では、テレビや新聞で有名人として権威を装飾しないと、なかなか大衆には認めてもらえない。つまらない芸には見向きもしない寄席小屋だったり、大道芸人が芸を行うストリートなど、こういうところでは民衆を引き付けられないと、大衆は見てくれない。

アメリカはトランプ前大統領で分断されたのか

2021-02-01 11:41:32 | 時事エッセイ
アメリカはトランプ前大統領で分断されたと言われるが、民主主義が正常に機能している国では民主党と共和党が激しく戦うのは当然のことなのではと思う。もちろん、暴力は絶対にしてはいけないことだし、嘘やデマはもちろんよくないが、それらはいつの世でも存在する。現に日本ではテレビと新聞が平然と政権よりに国民を誘導している。商業メディアの悲しい現実であるが、唯一の公共放送であるNHKも政権と、そのバックにいるアメリカや大手企業に支配されているとしか思えない報道である。分断されていると世論操作するメディア自身が、日本の民主主義はおろか、所得格差による階級の固定化という分断に貢献している。
欧米人の友達は多くはSNSで自分の支持政党を明白にして投稿する。誰でもが、あの人はトランプ支持者なのだ。あの人は民主党支持者だが、サンダースのような社会主義は嫌いで保守派を名乗っているとか、その人の政治に対する、またはどんな社会が理想なのかと言ったことが明白である。ただそれで会社の仕事がうまくいかないことは全くない。政治と職業は全く別の話で、そもそもそんなことが仕事に影響するようでは、すぐに干されてしまう。
政治の話はご法度、ましてや現政権の批判はきつく禁止されている日本では考えられないことだ。当然会社で政治の話をしていたら、特に今のような政治やメディアの劣化が激しい時代では、仕事にならないだろう。でもSNSや会社を離れた場所では、もっとするべきだと思う。
J・S・ミル「自由論」(斎藤悦則訳)の中に次ぎの記述がある。
「アメリカ人は、政府がない状態に放置しておくとすぐさま政府をつくりあげ、政治その他の公的な業務をしっかりとした知性と秩序と決断によって処理することができる。これこそすべての自由な国民のあるべき姿である。また、こういうことができる国民はまちがいなく自由だ」
明治維新前にミルが見たアメリカだが、バイデンアメリカ大統領が就任式直後に、国家再生に時間がないからと、すぐさま大統領令にサインしたのを見ると、自分たちで一から建国した、その伝統がまだ生きていると感じる。分断と言うよりは新しい建国の始まりであり、その為の激しいディスカッションが始まったとみるべきであると思う。
翻ってわが日本は明治維新でも一部の武士階級が起こした革命であり、一般市民は全然関与していない。あれから150年も経つのに、選挙の投票率は50%にも満たないほど相変わらずもの凄く低い。自分の生活に直結する政治への関心も、もの凄く低い。安保反対で学生運動が盛り上がった1960年代は、とても政治に熱かったと聞く。あれから学生運動の暴力ばかりが報道され、おとなしい家畜の思考停止状態に教育されてしまったのか、民主主義は何も進歩していないのは何故だろう。