元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

満月の下に果てしなく広がる雲海であった

2021-02-05 10:16:25 | 旅行
満月の下に果てしなく広がる雲海であった。アメリカ出張でミネソタ州やウイスコンシン州での仕事を終えテキサス州ダラスにあるアメリカ本社へ帰る途中の飛行機で見た雲海と満月は素晴らしかった。仕事の疲れなどいっきに吹き飛んでしまった。出張での仕事はアメリカ中のお客さんを訪ねては、ソフトウエアのアップデートを行うメンテナンスである。だいたい2週間ごとに3社から4社回る仕事で、飛行機に乗る回数が半端ない。なにしろ小さな田舎町ばかりにお客さんがいたので、飛行機を何回か乗り継いで行く。この満月に照らされた雲海を見て何故か、このような旅のように世界中を回ってみたいと思った。
雲の上に出ているので暗い夜空には満月しかない。星は満月が明るすぎて見えない。下を見ると雲の絨毯が月あかりに照らされているので昼間のように明るい。しばらくして着陸準備に入った。飛行機は暑い雲の間を降りていく間は小刻みに揺れる。雲を抜けるとダラスの街が見える。宝石をちりばめたようにあちこちが光輝いている。飛飛行機は、ゆっくりとはダラスの街を旋回して着陸した。
高所恐怖症の私は飛行機が苦手だ。離陸から水平飛行、着陸まで全てが怖い。恐怖心を酒で紛らわすため水平飛行になると必ずビールを注文する。ピーナッツ豆がおつまみでついてくる。この日もピーナッツ豆を食べながら、酒で恐怖心が紛れるなら、飛行機も我慢で我慢できるかと思いながら。
それから数日が過ぎ、カリフォルニアのお客さんのシステムがダウンしたので、至急現地に行って欲しいといわれ、心の準備が出来なまま行くことに。普段は前もってお客さんと日程調整など綿密な計画を立てるので、飛行機に乗る心の準備も出来る。緊急だったので、ダラスからロサンゼルス空港までファーストクラスの席しか取れなかったと言われて、ファーストクラスに乗れるチャンスは、今しかないだろうと飛行機を乗る前のストレスも少し和らいだ。
そして座席に着きキャビンアテンダントさんが、私の名前を聞いてきた。そうだ、ファーストクラスの乗客には、ミスターをつけて呼ぶのだ。そして離陸、だが天候が非常に悪く機内サービスは中止との機長のアナウンスが、そしてLAXに着くまでの三時間半の揺れは凄かった。時にエアポケットに入ったような急降下、時にひじ掛けをしっかりつかんでいないと身体がふらついてしまうほどの横揺れがずっと続いた生きたここちが全くしなかった。
もう飛行機には、絶対に乗りたくないと決心したもう40年も昔の夜であった。

ティーレマン指揮、ウイーンフィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン交響曲第四番を聴いて、西田哲学の純粋経験を感じた

2021-02-05 08:48:34 | 哲学ノート
ティーレマン指揮、ウイーンフィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン交響曲第四番を聴いた。ベートーヴェンの交響曲の全てをしっている私は、三番(英雄)と五番(運命)に挟まれた四番に全然魅力を感じなかった。しかし聴く気もなかったのに、聴いてみて、その素晴らしさに唖然とした。一般に理解するには時間がかかると言われている意味が分かった。私も何回か聴いて初めて理解できた。ティーレマンは「マーラーの交響曲一番は、この四番の冒頭を取り入れて作られた。ワーグナーも学んだ「漸降法」である」とも言っている。ベートーヴェン私にはさっぱりわからないが、要するに次世代の多くの作曲家がベートーヴェンからたくさん学んだということだろう。
最初の停滞で飽きてしまう。英雄や運命のように出だしから圧倒する迫力がない。そのうち一気に圧倒的な迫力の演奏で陽気になる。その後に続く主題でさらに楽しくなる。交響曲九番でじっと我慢して主題を待っているような、遠山の金さんで「この桜吹雪が見えねえか」、水戸の黄門様の印籠を持ちながら「控えろ」を待っているような、そんなおなかをすかした子供がやっと晩飯にありつけたような、そんななんとも言えない主題を聴いた時のスッキリ感、いよー待っていました感で大満足する。
ただ、これはティーレマンがベートーヴェンを理解するために、ベートーヴェンになりきって指揮をする彼の理解した交響曲四番である。カラヤンやバーンスタイン、そして日本を代表する小澤征爾さんや、高関健さんの指揮する交響曲四番を聴いてみたい。
西田哲学の純粋経験で「そのものになりきる」というのが出てくる。まさに、ティーレマンが実行したのは西田哲学であり、今回彼の交響曲四番で私が「何も期待せずに、何も先入観を持たずに、ただ聴いてみた。」、この経験は純粋経験ではないのか。