太田ぎょろっけ社長へ 

2014-11-18 10:38:13 | 太田ぎょろっけ様
昨日、友人から「太田ぎょろっけ社長」が亡くなったことを知らされました。
本当にビックリしました。
詳しいことはまったくわかりません。
昨日泊まる予定だった大歩危には泊まらず夜遅く自宅に帰ってきました。
今日の通夜、明日の葬儀には当然夫婦で最後のお見送りをしたいと考えています。

社長とはもう19年のつきあいになりますが、1歳下の私を弟のようにかわいがってくれていました。
            
2012年12月21日に私が書いたブログから
 
拝啓、太田ぎょろっけ様

今年も一年間大変貴重なホワイトボードを大分トリニータの為に使わせていただきありがとうございました。
おかげでJ1に昇格することができました。
昨年、9月の半ば「壁の吹き付けをするけんボードは撤去するで、ごめん」と言われたときは正直ショックでした。
しかし、新しくなった壁には以前のボードよりも一回り大きく
真新しいボードがすえつけられていました。
そこには「ガンバレ 大分トリニータ」の文字まで入って・・・。
さらに「トリニータのボードやけん。自由に使っていいけんな」の言葉。
本当に感謝の言葉しかありませんでした。
今年もさっそく「開幕戦」から使わせてもらいました。

「J1昇格支援金」のときはビックリしました。
店の前で奥様が待っていて、いきなり私に封筒を2枚くれました。
「あなたからは昇格支援金の事を言い出しにくいだろうから
用意して待ってました。主人と私の分ね」
涙が出そうになるくらい嬉しかった。


でもね、千葉とのPO決勝のロスタイム5分のときは「長いなぁ」と
文句を言い、勝った瞬間にはバンザイをし、涙を流していたと奥様からこっそりと聞きました。
その気持ちはすでにトリサポなんですよ(笑)
さらに勝った後に、「行こうぜ! J1」の文字を
「やったぜ! J1 ありがとう」に書き換えてくれてましたね。
私には後で「急遽やけん、字が汚くてごめんな」と
あやまってきましたが、そんな事はないです。
本当にその気持ちをうれしく思いました。

たしか12月1日でしたね。
社長が私に「うちの(太田ぎょろっけ)のポスターを貼りたいんでトリニータのポスターを剥がしていいかなぁ」と聞いてきたのは。
さらに「12月25日にはうちのを剥がすけん、その後だったら又トリニータ用に使っていいけん。悪いけど25日間だけ」
良いも悪いもありませんよ。
1年間も使わせてくれた上にお礼も一切受け取らない。
私はどうやってお礼をしたらいいんですか。
せめてこれくらいはと、妻と2人で休みの日にボードをキレイにしに行きました。
でもこんな事しかできなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。

      以上2012-12-21 ブログより

本当にやさしい人でした。
気遣いのできる人でした。
讃岐遠征の前日(11月11日)午後5時。
社長から私の自宅に電話がかかってきました。
「○○ちゃんか? 俺、明日から入院するけん」
ビックリする私に
「店の前のボードのことじゃけど、新しくしたけん」
「今度は雨に濡れんでいいけん。今まではガムテープじゃったけど今度は画鋲を使うたらいいけん」
「しばらく帰って来れんかもしれんけん」
「あんたんために作ったけん、遠慮はいらんけんな」
お礼を言い、明日から広島、香川に行くために1週間後しかお見舞いにいけない事をあやまり電話を切りました。
これが社長との最後の会話でした。
なんとなく・・・・
わかっていたのかもしれません・・・。

太田ぎょろっけ社長
本当にありがとうございました。

合掌。









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