昨夜(2019年2月10日)、突然のダニエル氏の訃報を聞きショックで嫁と泣きました。
癌に侵されていたとのこと、36歳という若さでこの世を去りました。
いつの日か大分に帰ってくる、またあの陽気な顔が見れる、そう信じていました。
彼を初めてみたのが公式からリリースがあった、2014年9月10日の翌日でした。
(以下 ダニエル氏を尊敬と親しみを込めて”ダニ”と書くことをお許しください)
(2014年9月11日 スポパ)
スポパに行くとこの日は「メディカルチェック」の日らしく姿が見えません。
午後からもう一度来るつもりだったのですが、30分後、ラッキーにも私服のダニが現れました。
身長 186cm
体重 79kg
と、がっちりしたイケメンです。
すごい選手が来てくれたと喜びました。
加入から10日後の2014年9月20日 第32節(ホーム)福岡戦。
ダニ 初出場 初ゴール 初勝利と”初づくし”のデビューでした。
さらに伊佐との”初 ラインダンス”も懐かしい思い出です。
このときのダニのコメントです。
「(トリニータのみんなが)ここで5年間プレーしているように、接してくれます」
彼が一生懸命にトリニータに溶け込もうとしているのが感じられる、そんなコメントではないでしょうか。
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2015年 大分トリニータのキャプテンとして1年間その重責を全うしてくれました。
しかし、トリニータはこの年、J3に降格してしまいます。
町田との入れ替え戦の後のダニコメントです。
「強いチームを作っていきたい。
自分は前のように大分がJ1で戦ってJ1で勝っているチームをもう1回見たい。
できるだけこちらに残って1年間でまたJ2に上げて、また1年間でJ1でプレーしたい。
これからも頑張るので応援よろしくお願いします」
この言葉どおり、一番先に契約更新してくれたのがダニでした。
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2016年
ダニの調子が良くないことは、素人の私達でも分かるほどでした。
どうしたんだろう? と嫁と何度も話したことを思い出しながら・・・
このときすでに癌と戦っていたんだと考えると、そのメンタルの強さを改めて感じながら、でも辛かっただろうなぁって。
ダニの気持ちを考えると再び泣けてきます。
私はブログの中で”ダニは危なくなったときは必ず駆けつけて助けてくれる、まるでスーパーマンのような選手”と書いたことがあります。
相手選手に裏を抜けられそうになると”なんとかしてくれた”のがダニでした。
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2016年8月14日 トリニータファン感謝デーの写真です。
腰をかがめて、小さい青葉(孫)にとても優しく接してくれました。
スポパでの練習後のファンサは常にニコニコして、「ダニちゃーん」と言う子供に「ハーイ」と手を挙げ陽気に挨拶を返すナイスガイでした。
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公式から「ダニエル選手 契約満了」のリリースが出たのが2016年12月26日でした。
でもお別れに際し、サポーターになんのコメントもなかったんです。
2年半、ダニと接してきて”ダニの人となり”を知っている私には、そのことが不思議で不思議で仕方がありませんでした。
今思えば、とてもコメントができるわけがないことはよくわかります。
2016年11月20日、J3優勝を決めた鳥取戦にダニはいました。
しかし翌21日の”J3優勝報告会”にダニの姿はありませんでした。
私が、ダニと話をした最後の日となったのが、2016年11月17日、鳥取戦の3日前でした。
この日、ダニは”笑顔でピースサイン”をしてくれました。
どうして笑顔だったのだろうとか、どうしてピースサインだったのだろうとか・・
そんなことをとりとめもなく考えてしまいます。
優しくて、紳士で、子供好きで、試合では頼もしくて、スーパーマンのようで・・・
ダニのいろいろな姿が思い出されます。
もう一度会いたかった。
「大分に来てくれてありがとう」って言いたかった。
涙が止まりません。
「偉大なるディフェンダー ダニ!
大分でのあなたとの思い出は決して忘れません。
ありがとう!
心よりご冥福をお祈りいたします」
癌に侵されていたとのこと、36歳という若さでこの世を去りました。
いつの日か大分に帰ってくる、またあの陽気な顔が見れる、そう信じていました。
彼を初めてみたのが公式からリリースがあった、2014年9月10日の翌日でした。
(以下 ダニエル氏を尊敬と親しみを込めて”ダニ”と書くことをお許しください)
(2014年9月11日 スポパ)
スポパに行くとこの日は「メディカルチェック」の日らしく姿が見えません。
午後からもう一度来るつもりだったのですが、30分後、ラッキーにも私服のダニが現れました。
身長 186cm
体重 79kg
と、がっちりしたイケメンです。
すごい選手が来てくれたと喜びました。
加入から10日後の2014年9月20日 第32節(ホーム)福岡戦。
ダニ 初出場 初ゴール 初勝利と”初づくし”のデビューでした。
さらに伊佐との”初 ラインダンス”も懐かしい思い出です。
このときのダニのコメントです。
「(トリニータのみんなが)ここで5年間プレーしているように、接してくれます」
彼が一生懸命にトリニータに溶け込もうとしているのが感じられる、そんなコメントではないでしょうか。
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2015年 大分トリニータのキャプテンとして1年間その重責を全うしてくれました。
しかし、トリニータはこの年、J3に降格してしまいます。
町田との入れ替え戦の後のダニコメントです。
「強いチームを作っていきたい。
自分は前のように大分がJ1で戦ってJ1で勝っているチームをもう1回見たい。
できるだけこちらに残って1年間でまたJ2に上げて、また1年間でJ1でプレーしたい。
これからも頑張るので応援よろしくお願いします」
この言葉どおり、一番先に契約更新してくれたのがダニでした。
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2016年
ダニの調子が良くないことは、素人の私達でも分かるほどでした。
どうしたんだろう? と嫁と何度も話したことを思い出しながら・・・
このときすでに癌と戦っていたんだと考えると、そのメンタルの強さを改めて感じながら、でも辛かっただろうなぁって。
ダニの気持ちを考えると再び泣けてきます。
私はブログの中で”ダニは危なくなったときは必ず駆けつけて助けてくれる、まるでスーパーマンのような選手”と書いたことがあります。
相手選手に裏を抜けられそうになると”なんとかしてくれた”のがダニでした。
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2016年8月14日 トリニータファン感謝デーの写真です。
腰をかがめて、小さい青葉(孫)にとても優しく接してくれました。
スポパでの練習後のファンサは常にニコニコして、「ダニちゃーん」と言う子供に「ハーイ」と手を挙げ陽気に挨拶を返すナイスガイでした。
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公式から「ダニエル選手 契約満了」のリリースが出たのが2016年12月26日でした。
でもお別れに際し、サポーターになんのコメントもなかったんです。
2年半、ダニと接してきて”ダニの人となり”を知っている私には、そのことが不思議で不思議で仕方がありませんでした。
今思えば、とてもコメントができるわけがないことはよくわかります。
2016年11月20日、J3優勝を決めた鳥取戦にダニはいました。
しかし翌21日の”J3優勝報告会”にダニの姿はありませんでした。
私が、ダニと話をした最後の日となったのが、2016年11月17日、鳥取戦の3日前でした。
この日、ダニは”笑顔でピースサイン”をしてくれました。
どうして笑顔だったのだろうとか、どうしてピースサインだったのだろうとか・・
そんなことをとりとめもなく考えてしまいます。
優しくて、紳士で、子供好きで、試合では頼もしくて、スーパーマンのようで・・・
ダニのいろいろな姿が思い出されます。
もう一度会いたかった。
「大分に来てくれてありがとう」って言いたかった。
涙が止まりません。
「偉大なるディフェンダー ダニ!
大分でのあなたとの思い出は決して忘れません。
ありがとう!
心よりご冥福をお祈りいたします」