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「美食」を求めた旅も三日目です。美食にたどり着くのはいつのことやら…
ホテルの朝食は洋中バイキングでした。8時前にガイドさんとバスが到着。ガイドさんは大同に住んでいます。
最初の目的地は懸空寺だが途中にある窖洞家庭生活を見学することにした。以前は洞穴に住んでいたそうだが、今は倉庫などに使われているらしい。バスが停まると付近の住民が民芸品などを売りに来た。
懸空寺は人気スポットで多くの観光客が集まっていた。崖っぷちによくもまあ、建てたものだと思う。
次に応県木塔へ。日本の五重の塔と違ってスマートではない。でも築950年も経っても残っているのは凄いことだと思う。第2層までは登っても良いので、登ってみた。ガイドさんによると山西省には古い木造建築が数多く残っているらしい。山西省は大きな戦乱に巻き込まれることが少なかったと思う。日本でも奈良県の法隆寺付近は政治的に中心といえる場所ではない。
応県で一番らしい二つ星ホテルの食堂(レストランと呼ぶのはつらい)で昼食。個室ではなく先客グループが丸テーブルを一つ使っていた。残りの丸テーブル2つに分かれて座った。ここでも美食にめぐり合えなかった。
このお店でショッキングなことがあった。先客グループが先に食事を終えて個室を出て行った。しばらくして、店の小姐が後片付けにやって来た。手にはバケツを2個持っていた。小皿・お椀・匙子を集めて片方のバケツに入れた。そのまま持って行くかと思っていたら、その場で洗い始めた。次にもう片方のバケツで濯いで、配膳台にそのまま置いた。次の客にそれを使うらしい。よく見ると灰皿まで一緒に洗っていた。
以後の食事では、皿や匙子をお茶で洗うかウェットティッシュで拭くようになった。

次の目的地である太原の双塔へ出発した。スケジュールでは四日目に訪問する予定であったが、時間的に厳しそうなので先に行くことにした。とにかく300km以上の移動になる。ガイドさんは適当に休憩を取ると言ったものの…途中、古い長城を眺めたり、長いトンネル抜けたが、休憩なしで太原に到着した。休憩は申請しないと無かったようだ。
皆さん、お疲れモードだったので双塔には登らなかった。太原から1時間半ほどかけて最後の宿泊地である平遥に向かった。19時ごろ到着した。
平遥は周囲6.2kmの城壁に囲まれた街で一般車は中に入れない。荷物を入り口まで運んで電気自動車2台で移動した。この電気自動車、結構飛ばします。道路が狭いせいかもしれない。料金は翌日の分も含めて全員で50元でした。ガイドさんの知り合いらしい。電気自動車も中心部には入れない。荷物を持って、最後の宿泊場所へ歩いていった。
そこはホテルではなく、おそらく清代の四合院造りの民宿だった。我が家の部屋は写真にあるようにオンドルつきの部屋だった。写真の真ん中にある小さな台には急須と湯飲みと何故かロウソク立てが置いてあった。冷蔵庫は無いものの、飲水機が設置されていた。トイレは、私が以前紹介したチャイナユニットバス形式だった。
四合院造りで中庭があり静かで、ツアー全員が気に入った。子供連中も喜んでいた。中庭においてあるテーブルでポケモンカードを始めた。
夕食は先客の日本人ツアーの食事が長引いたので、20時ごろ開始となった。最後の夕食なので、「美食」を期待したが、期待はずれに終わってしまった。暗くて料理の内容もよく分からなかった。全体的に甘かった。奥で中国楽器による生演奏が始まっていた。中国の曲だけでなく、季節はずれだがジングルベルなども演奏していた。
20時半ごろ、いきなり停電になった。我々の所だけでなく、周りの店も全部停電になったようだ。店員は慌てずロウソクを持って来て、火を点けてテーブルに置き始めた。生演奏の人たちも何もせず、座っているだけだった。そのうち、中国人の客達が勝手に歌を歌い始め、踊りだした。生演奏の人もそれに合わせて演奏をしていた。子供達も踊りだした。
停電は回復しそうに無いので、部屋の方に戻った。途中の厨房ではロウソクの明かりを頼りに料理をしていた。中庭にも数本のロウソクが点されていた。ロウソクを2本もらったので、部屋とトイレに置いた。ここでロウソク立ての意味することが分かった。することも無いので、寝ることにした。携帯電話が掛かってきた。水道の水が止まったらしい。でもお湯は出る。不思議だ。
24時ごろ、いきなり部屋の明かりが点いた。電源が回復したらしい。水道も復活していた。よくあることなのだろうか?
最後の夜は、シャワーなし。
ホテルの朝食は洋中バイキングでした。8時前にガイドさんとバスが到着。ガイドさんは大同に住んでいます。
最初の目的地は懸空寺だが途中にある窖洞家庭生活を見学することにした。以前は洞穴に住んでいたそうだが、今は倉庫などに使われているらしい。バスが停まると付近の住民が民芸品などを売りに来た。
懸空寺は人気スポットで多くの観光客が集まっていた。崖っぷちによくもまあ、建てたものだと思う。
次に応県木塔へ。日本の五重の塔と違ってスマートではない。でも築950年も経っても残っているのは凄いことだと思う。第2層までは登っても良いので、登ってみた。ガイドさんによると山西省には古い木造建築が数多く残っているらしい。山西省は大きな戦乱に巻き込まれることが少なかったと思う。日本でも奈良県の法隆寺付近は政治的に中心といえる場所ではない。
応県で一番らしい二つ星ホテルの食堂(レストランと呼ぶのはつらい)で昼食。個室ではなく先客グループが丸テーブルを一つ使っていた。残りの丸テーブル2つに分かれて座った。ここでも美食にめぐり合えなかった。
このお店でショッキングなことがあった。先客グループが先に食事を終えて個室を出て行った。しばらくして、店の小姐が後片付けにやって来た。手にはバケツを2個持っていた。小皿・お椀・匙子を集めて片方のバケツに入れた。そのまま持って行くかと思っていたら、その場で洗い始めた。次にもう片方のバケツで濯いで、配膳台にそのまま置いた。次の客にそれを使うらしい。よく見ると灰皿まで一緒に洗っていた。
以後の食事では、皿や匙子をお茶で洗うかウェットティッシュで拭くようになった。

次の目的地である太原の双塔へ出発した。スケジュールでは四日目に訪問する予定であったが、時間的に厳しそうなので先に行くことにした。とにかく300km以上の移動になる。ガイドさんは適当に休憩を取ると言ったものの…途中、古い長城を眺めたり、長いトンネル抜けたが、休憩なしで太原に到着した。休憩は申請しないと無かったようだ。
皆さん、お疲れモードだったので双塔には登らなかった。太原から1時間半ほどかけて最後の宿泊地である平遥に向かった。19時ごろ到着した。
平遥は周囲6.2kmの城壁に囲まれた街で一般車は中に入れない。荷物を入り口まで運んで電気自動車2台で移動した。この電気自動車、結構飛ばします。道路が狭いせいかもしれない。料金は翌日の分も含めて全員で50元でした。ガイドさんの知り合いらしい。電気自動車も中心部には入れない。荷物を持って、最後の宿泊場所へ歩いていった。
そこはホテルではなく、おそらく清代の四合院造りの民宿だった。我が家の部屋は写真にあるようにオンドルつきの部屋だった。写真の真ん中にある小さな台には急須と湯飲みと何故かロウソク立てが置いてあった。冷蔵庫は無いものの、飲水機が設置されていた。トイレは、私が以前紹介したチャイナユニットバス形式だった。
四合院造りで中庭があり静かで、ツアー全員が気に入った。子供連中も喜んでいた。中庭においてあるテーブルでポケモンカードを始めた。
夕食は先客の日本人ツアーの食事が長引いたので、20時ごろ開始となった。最後の夕食なので、「美食」を期待したが、期待はずれに終わってしまった。暗くて料理の内容もよく分からなかった。全体的に甘かった。奥で中国楽器による生演奏が始まっていた。中国の曲だけでなく、季節はずれだがジングルベルなども演奏していた。
20時半ごろ、いきなり停電になった。我々の所だけでなく、周りの店も全部停電になったようだ。店員は慌てずロウソクを持って来て、火を点けてテーブルに置き始めた。生演奏の人たちも何もせず、座っているだけだった。そのうち、中国人の客達が勝手に歌を歌い始め、踊りだした。生演奏の人もそれに合わせて演奏をしていた。子供達も踊りだした。
停電は回復しそうに無いので、部屋の方に戻った。途中の厨房ではロウソクの明かりを頼りに料理をしていた。中庭にも数本のロウソクが点されていた。ロウソクを2本もらったので、部屋とトイレに置いた。ここでロウソク立ての意味することが分かった。することも無いので、寝ることにした。携帯電話が掛かってきた。水道の水が止まったらしい。でもお湯は出る。不思議だ。
24時ごろ、いきなり部屋の明かりが点いた。電源が回復したらしい。水道も復活していた。よくあることなのだろうか?
最後の夜は、シャワーなし。
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