Hiroyasu-kingの体験記  裏読み思考で社会を暴く、真理不尽の違法許さず! 遊び心で一刀両断 是非に及ばず

ヒロヤスキングの穴馬指南奮戦記から、社会の真相に迫る裏読み体験談 
官僚国家の罠 国民は家畜じゃないよ!主権在民だよ!

家康の謎 石川数正は忠義の人 戦国時代は実力主義の下剋上ってことだね 武士道は戦略的には弱かったということだろ

2017年04月20日 09時47分39秒 | 歴史 戦国時代 徳川家康 織田信長 服部半蔵 新田源氏 武田信玄 八王子千人同心

井伊直虎のドラマを見ると、徳川家康の時代を考察させられるね。徳川家康と服部半蔵、大久保長安の関係を考えると家康の謎に辿りつくよ

家康は何度も入れ替わり人物が変わっているって考えられるね 既成概念になっている歴史観を捨てないと真相は見えてこないかもね

地方の豪族が国取りゲームを始めた群雄割拠の時代では何でもありの時代だからね 群衆を束ねてリーダーシップを発揮するためにはなり替わりなんて当たり前の事だからね

影武者を用意するって事が求心力を失わない為の手段だからね 松平元康と徳川家康は別人だったということが真実なら納得いくことも多いね

山賊集団(豪族)が小国を乗っ取って勢力を拡大するってのはいくらでもあることだからね 群衆を惹きつけるために由緒ある血筋を乗っ取り利用するなんてのは当り前の戦術だよ

この時代に特殊能力を備えた特殊工作員(通称忍者)が功績を上げてトップに立つなんて事が起きてもおかしくはないよ 集団指導体制が起きても不思議ではないね

信長の様な個人の強烈な個性と強さで統治能力を発揮するタイプもいるだろうけどね 身分の低い者が国を統治するまでに成り上がるにはなりすましの背乗りは手段だよ

血筋を生かすって事で政略結婚が起きるんだからね 群衆を納得させて拡大させてゆく手段だよ 徳川家康、豊臣秀吉はその象徴だと思えるね 最下層の人間が天下人になったってことは痛快だよ

徳川幕府の基盤を作ったと言われる大久保長安も同じような生い立ちの人物だからね 血筋では通用しないから、特殊な能力と知識、技術で頭角を現した人物だよ 

血筋では無く能力があれば国をも動かす人物になれるって事を実証した人間が、これらの人物だろう 近親の家臣達にも言えることだね

服部半蔵は初代が忍者で、2.3代は生まれながらの武士ってことだけど、伊賀、甲賀の忍者を束ねて統括していたってことだからね 徳川家の特殊部隊だよ

3代目は関ヶ原の合戦で行方不明(殺された?)になったということだからね 複雑な事情がありそうだね 4代目服部半蔵正重は弟で大久保長安の娘婿だそうだよ

大久保長安と共に佐渡の金山等をを統治したりして、徳川幕府の財政基盤を握っていた面々だからね 政務、財務共に徳川幕府を牛耳っていたのだから、影の実力者グループだよ

3代目服部半蔵の行方不明も謎だけど、関ヶ原の合戦(1600年)で家康が死んでいたってこともあり得るからね 1603年に徳川幕府を開設して2年で隠居しているよ

1605年に将軍職を辞するとともに嫡男・秀忠(2代目)への将軍職を譲っているよ それでも絶対的な権力で死ぬまで影響力を発揮しているからね

側近として大久保一族と本多一族が勢力争いをしていたって事が言われているね 家康の秘密を握った者たちの集団指導体制の勢力争いかもね 家康影武者説が考えられるよ

大久保長安事件(1613年)は不思議な事件だからね 大久保長安が死ななければ、家康たりとも処分ができない程の力があったということだろ 財力も家康と同等であったと言われているよ

長安が病死したことを好機として横領の罪を押し付けて、家康と本多一族が結託して、長安の一族を皆殺しにして莫大な財宝を没収したってことだろ 本多一族が徳川幕府の実権を握ったってことだね

家康自身が影武者だったと考えれば、大久保長安が生きているうちではできなかったと言うことだよ 徳川幕府の特殊工作員は長安の配下であったと考えられるからね

これは家康を盾にして、譜代大名を束ねた本多一族のクーデターみたいなもんだろ 山賊時代から徳川家を作り上げてきた家臣団の集大成だよ 家康も影武者なら殺されたかもね

大久保長安の財宝は、1614年 1615年の大阪の陣の軍資金になったかもね 豊臣家を潰すためにも、大久保長安事件は仕組まれたものかもね

秀忠が将軍職を3代目の家光に譲るのも、近臣者らの集団指導体制の選択だろうね ある意味では血筋の清算も考えられるね 家光は本物の家康と春日野局の子だと言うことにも信憑性があるよ

集団指導体制が確立していたからこそ、徳川幕府250年の存続を可能にしたって事だろうね お殿様は飾りで、優秀な家臣団で統治したってことだろう

 

家康は謎の人物だね 世良田事件に真相ありとも思えるしね 別人の世良田次郎三郎が松平元康になり替わったという説を真実と捉えることもできるよ 得川から徳川に新たな苗字を名のるからね

家康の身辺には服部半蔵とか成瀬正一、大久保長安などの特殊な人物が大きな働きをしているからね 実務に長けた特殊工作員って感じだね

血筋の良い武士ではできない仕事だよ 成瀬正一は、徳川→武田→徳川と仕官替えしているからね 武田領を奪い、武田の家臣(長安等)を家康の直参にした功労者だよ

武田の家臣で諸角虎定の首を取り返した猛者ぶりは普通ではないからね 川中島の決戦で敵陣に忍び込んで主君の首を取り返して来たなんて特殊工作員(忍者なみ)の仕事だよ

武田軍の動きや戦略を一目で記憶して覚えたって話だからね 後に、家康の家臣となって石川数正の出奔で戦略を武田方式に切り替えたのも成瀬正一の所業だよ 

根来忍者と強い繋がりがあったようだし、息子は根来衆の鉄砲隊200人を部下にしたって事だからね 成瀬正一は特殊工作員って感じだよ

山本勘助は忍者の頭領だったという話もあるしね 大久保長安は猿楽師の血筋だからね 諸国を廻る探索の忍者って感じだよ 特殊工作員の血筋って感じだよ 勘助に学んでいる世代だね 

伊賀、甲賀同心を仕切ったのが服部半蔵で、八王子千人同心を仕切ったのが大久保長安で、根来衆を仕切ったのが成瀬正一(一族)なら、家康の特殊工作員は最強だよ

家康を中心とした集団指導体制が出来上がっていたとも考えられるね 表向きの家臣たる武士の行動では成しえないことを「実践できる影の軍団」として抱えていたってことだろね 

 

松平元康から徳川家康に入れ替わった時から、家康を長とした集団指導体制で、徳川家が成り立っていたと考えれば納得がいくことも多いね

優秀な山賊集団(豪族)が、松平家を乗っ取って、武田の家臣を吸収して、今川、北条を吸収することにより天下人になったと考えれば、適材適所の人材が多々居たってことだろ。

外様の家臣を直参旗本で使いこなし、身辺警護までさせるなんてことは、統治能力を持った信頼できる人物を家臣として抱えているってことだろ 新規採用の人心術の天才だよ

実戦に長けた山賊上りだからこそできる芸当でもあるよ 血筋の良いお坊ちゃまではできないことだろ できるとすれば信長の様な神格化した独裁者にならなければ統治できないよ

家康は信頼できる家臣団の集団指導体制の神輿に乗った殿さまって感じだね 殺されても身代わりを立てて組織の統治体制を守るって考えが家臣団に確立していたって感じだよ

家康は関ヶ原の合戦で既に死んでいたって説もあるからね その後は影武者が家康を演じて、集団指導体制で徳川家を天下国家にしたって感じもするよ

主君に命を賭けて仕えるのが武士の本分なんて教えだけではできない芸当だからね 策士が武家魂を利用して組織を統治するなんて工作は、特殊工作員(忍者)の思考だよ

戦国時代の歴史は徳川幕府に捏造された歴史って感じだね 能力と力があれば天下人になれるような時代でもあったということで、血筋だけではない実力主義の時代であったということだね

 

ここで、石川数正の出奔の謎に仮説をたてて見るとすると、石川数正は忠義の人であり裏切り者ではないと言えるよ

数正は松平元康には竹馬の頃から仕えた家臣だよ 今川の人質生活を共に過ごした重鎮だよ 元康の家老として尽くした人物だからね

1562年の清州同盟を成立させたのは石川数正だと考えれば納得がいくよ 

1560年「桶狭間の合戦」後に、今川からの独立を目指した松平元康が、勢力拡大を考えて豪族を統治する戦いの最中に死去(殺された?)したとすればその後の話が納得できるよ

石川数正は松平家を守るためには、松平元康は生きていなければならないと画策するからね そこで登場したのが後の徳川家康の元康なりすましって事になるからね

今川と織田家と争っては生き残れないから、石川数正が偽の元康(後の家康)を連れて織田信長に逢い、人質交換を持ちかけて、清州同盟も成立させたってことの方が納得がいくよ

石川数正は織田信長とは顔見知りであったはずだからね 幼少の頃から元康に仕えているからね 年が元康、信長よりも上だからね 両者を熟知していた人物だよ

数正は1532年生まれ、信長は1534年生まれ、本物の元康は1542年生まれだからね 子供の頃の年齢差は大きいよ 数正は信長より2才年上だよ 信長と元康が8才違いでは面影は薄くなるよ

信長から見れば家康の付き人をやってた石川数正は2才年上だからね 幼少の頃は、信長たりとも、数正は年上の立派な侍に見えたと思うよ 数正の顔は覚えていただろう

幼少の頃の共通の記憶を持っているからね 信長の思い出話に敏感に反応できるのは石川数正だよ 数正の言葉を信長は信じたと思うね 偽物でも元康だと紹介すれば信じただろう

数正が積極的に信長に話しかければ意思の疎通は可能だったと言う事だろう 幼少の元康の面影からでは見破ることはできなかっただろうね それとも似ている影武者を使ったかもね

成人した元康の嫡子(松平信康)が、織田信長の人質となっていた時代の顔合わせだからね 29才の信長も、32才の数正を信じて、21才の元康が本物かどうかの疑いは持たなかっただろうね

数正は人質交換を実現して清州同盟を成立させたんだから、後々の政略結婚となる、信康と五徳(信長の子)の結婚の約束も成立させたって感じもするよ 信康の強烈な後ろ盾になるからね 

この同盟で信長を味方につけたって事が、後々の徳川家を守ったということだろ 信長には明かせない秘密を抱えても、数正は信長の庇護の下に、信康の家督相続の確証を得たってことだよ

これらの事を、数正を中心にして元康の家臣団と家康の家臣団が合議制で決めて実行したとすれば、その後の石川数正の出奔の謎が解けてくるよ ここまでは数正に主導権があったということだろ

数正は主君たる元康を失ったが、嫡子の信康を守って、元服すれば徳川家の当主にする約束の下に、家康グループとの共同指導体制を受け入れていたって考えられるよ

元康の正室(築山殿)と信康を取り戻しても、偽の元康(家康)と筑前殿とは対面させられなかったということにもなるからね 信康は本当の元康の顔は分からなかっただろうから信じただろうね

家康(偽の元康)は築山殿と顔合わせはできないからね 逢わずに隔離したことも納得できるね 世間を騙し続けるためには、築山殿を殺して処分するのは、家康の望むところだからね 

家康から見れば、信康は血のつながった実子ではないからね 石川数正グループとの約束で成り立っている跡取りだよ 信康を殺すことによって徳川家の乗っ取りが成立するってことだよ

五徳を煽って織田信長を怒らせて、信康に切腹をさせたって事が、松平家の乗っ取りを完遂させる、家康(グループ)の最終章って事だろう 数正も為す術も無かったということだね 

絶対的なバックボーンとして期待した織田信長が激怒して、家康の謀略によって信康を失うことになったことが、数正の誤算であり、大きな失望になったということだろうね

信康を主君とする岡崎城派(数正)と家康を主君とする浜松城派の協定(信康に家督相続させる)で成り立っていた徳川家の集団指導体制が「信康切腹」で崩れてしまったんだろうね

信康切腹後、徳川家の実権が数正を筆頭とする岡崎衆(信康派)から酒井忠次ら浜松衆(家康派)に移ったということで、家康の「松平元康のなりすまし」が完遂したってことだろ 

挙句の果てに、数正がバックボーンと考えていた織田信長も、本能寺の変で殺されたよ 光秀、家康の謀略とも言われているからね 石川数正も自身を守る手段も無くなったよ

羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い(1584年の小牧・長久手の戦い)で織田家は家康の手中に入ったからね 家康への対抗手段は無くなったよ

残るは羽柴(豊臣)秀吉に縋るってことかな 秀吉と数正の利害は、打倒家康で一致したってことだね 謀略で松平家を家康に乗っ取られたことに敵対する数正の仇討が想定できるよ 自らも生き残る選択だよ

同じ成り上がり者でも、秀吉の方が忠義者に感じただろうね 織田家をたてる姿勢に家康よりも信頼感を持てたってことだろうね 家康には殺されると確信できたんだろう

数正は、その後は秀吉に仕え、松本城(10万石)の城主となり、1592年に死去(享年61)しているね 短命だし、病死(ふぐ毒とも)の死因も気になるね 家康に毒殺されたかもね

 

石川数正は元康の嫡子信康を殿様にすることが、終生の忠義として捉えていた武士であったと考えられるよ すべてを投げ捨てて主君に仕えた武士ってことだろうね

その証として、一向一揆が起きた時にも、石川一族(父、兄弟、親類)に反しても、浄土宗に改宗しても、徳川家に仕えているよ すべて、信康を殿様にするために私事を捨てたってことだろ 

既に徳川家の命運を握っていたってことだろ これこそ武士の本分だろ 信康を守るために数正の近親を信康の家臣としているよ 信康の切腹により多くの近臣を失っているよ

信康を失ったということで石川数正の徳川家康に仕える理由は無くなったよ むしろ近臣が次々と殺されてしまったよ 数正なら次は俺だって分かるだろ 

徳川家康の真相を知るものは粛清されたってことだね 石川数正が家康に殺されるのは時間の問題となり、数正は察知していたってことだろ だから、突然の出奔だよ

逃げる絶好のチャンスが訪れたってことだろ 厳重な監視下での逃亡だったと思うよ 秀吉なら受け入れてくれるとの確証もえていたのだろう 秀吉の探索能力なら「家康の真実」を知っていたかもね

豊臣秀吉に仕えたってことの真相は、家康の汚さと自らの命の危険性を察知したってことだよ 数正から見れば、当初は、偽の元康(家康)は主君では無く、操り人形であったということだろ

家康の策略と近臣の力や知恵は、強くて優秀であったがために、松平家は「軒先を貸して母屋を取られた」って事だろうね 忠義の武士では特殊工作員には勝てないよ 術中に嵌ってすべてを取られるってことだね

石川数正は知恵ものだった! 忠義の武士だった! けっして裏切り者ではない! ただ、野武士の知恵と策略には勝てなかったということだろ 

家康は、百姓の宮本武蔵が天下一の剣豪になったようなもんだよ 勝つためには手段を選ばずだろ 忠義者の武士道精神では理解できない山賊なんだろ

徳川家康を美化すれば、石川数正は裏切り者ということにされるけどね 家康に殺されることが分かれば、逃げ出すのは当り前だよ 「為す術も無し」って事態に追い込まれたってことだよ

主君として仕えた、松平元康と、信康の敵討ちと考えれば、豊臣秀吉に仕えるって事が再起を目指した第二の人生になるよ 松本城で家康と戦う覚悟で臨んだと言うことだろうね

裏切ったと言われる家康ののど元に、たったの10万石で臨むなんて、玉砕覚悟のことだろ 真実は秀吉も知っていたってことだろうね 数正は絶好の捨て駒になるからね

石川数正を忠義の武士として称賛したいね 家康の謎を追求すると想定できるストーリーになったよ 戦国時代は実力主義の下剋上ってことだね  

武士道は戦略的には弱かったということだろ 勝つためには手段を選ばずってことが勝利の方程式ってことかな 知略戦では、武士道では既に負けているってことだね

石川数正は裏切り者では無く、松平元康、信康に心底仕えた、忠義の武士だったと思いたいね 見方を変えれば「武士の鏡」だろ


大久保石見守長安は優秀な人物だよ 徳川家康の財政基盤を作った功労者だよ 歴史の闇に埋もれさせたくないね

2015年02月04日 12時23分47秒 | 歴史 戦国時代 徳川家康 織田信長 服部半蔵 新田源氏 武田信玄 八王子千人同心

この文章は2013年の11月に書いた文章だよ 八王子千人同心のことを書いたから載せ直すけどね 
大久保石見守長安について書いたものだからね 重複するけど補足説明になるだろうから合わせて読んでよ 資料を確認して書いたからね
こちらのほうが正確に記載している内容もあるね 歴史上の重要人物が徳川家の陰謀で悪人扱いされているのはおかしいからね
財力に任せて素行が悪かったという一面も大久保長安にはあったかもしれないけどね 優秀な人物だよね 歴史の闇に埋もれさせたくないね

「侍社会といえば江戸幕府の立役者である大久保長安って人物に興味を持ったよ 家康の財政基盤を作って、江戸幕府の統治体制を固めた人だろ
最後は横領の罪を死後に負わされ一族が皆殺しにされた人だね 経歴と功績は凄い人物だね 歴史的評価は低いようだけどね 実績は凄いね
父親は猿楽師だったそうで、武田信玄に仕えていたんだね 成長と共に大久保長安も武田の家臣になったそうだよ 金山の発掘技術に長けていたそうだよ
測量技術も優れていたらしく、領地の検地などを行い年貢の取り決めなどをしていたらしい 川の氾濫を防ぐための護岸工事や治水技術もあったようだね
武田家の技術屋さんだね 末端の家臣や領民とも人心が深かったんだろう 武田の財政を支えた切れ者だったようだ
武田家の滅亡と共に家康の家臣になったそうだよ 家康は目が利くんだね 武田の財政を支えていた手腕をヘッドハンティングしたんだね
家康は武田家の家臣で実務に長けた実働部隊を、そっくり家康の家臣として召抱えたんだね 大久保長安を中心に纏め上げたんだよ
そして、八王子に着住させて、八王子千人同心と言うグループを直属の家臣として召抱えたんだよ この旧武田軍団が江戸幕府の基盤を作ったんだね
家康にとっては江戸は新天地で敵地でもあるからね 関東を統治するためには実務に長けた精鋭部隊が必要だった 旧武田軍団は便利だったんだね
外様だから使い捨てができる つわものぞろいで技術があり、実務に長けた傭兵部隊だよ 直参にすれば忠誠心が強く命がけで働いてくれるからね
大久保長安の統治能力と金山開発技術、検地技術で財政を豊かにして、関東を統治して江戸幕府を磐石なものに育て上げたんだね
家康が関が原の合戦に勝利して天下を手中に治める事ができた立役者だね この大久保長安のような能力が今の政治家に必要だよね
実務に長けた実践型の能力だよ 武田信玄の家臣が如何に優秀だったかが伺われるね 敵であったものを抜擢して生かした家康の能力が天下を取ったのだと思うよ
旧武田の家臣は平和が訪れると使い捨てにされたけどね 家康の警護をした親衛隊も家康の死後は、外様である故に冷や飯を食わされたからね
大久保長安の断罪は、有能で力を持ちすぎたことに恐れた徳川の幕臣の陰謀とも言われているよ 旧武田軍団との決別でもあったんだろうね
八王子千人同心は半農半士の身分で、都合よく徳川幕府に使われて中途半端な扱いを受けたんだね 徳川幕府の基盤作りの功労者だけどね
八王子18代官の統治能力や治水技術は年貢の増収に貢献したし、北海道の開発にも貢献しているよ 家康に対する忠誠心も強かったけど、死後は冷遇されたね
金山奉行でもあった大久保長安の金の力は恐ろしいほど強大なものになっていたんだろうね 幕府転覆の力を持ったと恐れられたんだろうね
平和な世の中になると、卓越した能力は恐れられるんだろうね 権力闘争の中で消されていくのが政治力なんだろう 得てして無能者が天下を握るって事かな
八王子千人同心の末裔が徳川幕府終焉の時代の活躍者である新撰組だからね 近藤勇は千人同心の末裔だよ 新撰組は最後まで徳川幕府に仕えたからね
八王子千人同心に興味を持ったのは、俺の先祖が代々名乗った名前と同じ名前の元祖千人同心がいたんだよ 時代を追いかけると繋がりそうなんだけどね
まだ確証が得られたわけではないよ 可能性はかなり高いけどね そんな訳で400年も遡ってロマンに触れたよ 武田家臣の末裔かもって感じだね
歴史を見る目が変わったね 徳川の基盤を支えた牛窪六ヶ騎とか、武田信玄に仕えた山本勘助とかが身近に感じたよ 時代劇を見る目が変わったね
牛窪六ヶ騎の山本一族の末裔が山本勘介とも言われているしね 八重の桜に出てくる山本家は勘介の血筋だそうだね 八重はスペンサー銃を持った鉄砲の技術者だよ
鉄砲の技術は根来衆、雑賀衆が優れていたんだろ 勘介は忍者の頭領だったとも言われているからね 特殊能力を持った技術者だったのだろう
城作りの名人だったし、金山開発の技術や測量等の知識もあり、軍師と言われるほど戦略にも長けていたんだろ 大久保長安も学んだのかもね
戦国時代に杞憂な能力を発揮したつわものは、雑草のごとく育った能力者であり技術者だったんだね 身体能力の優れた傭兵部隊であり、卓越した知識人だった
秀吉が天下人になったぐらいだからね 実務に長けた能力者を生かしたものが天下人になれたんだよ 学者が天下を取れるって事ではないよね
末端の技術者を粗末にしてはいけないね 末端の知識を馬鹿にしてはいけないよ 机上の空論がすべて正しいと評価するのは危険だね
卓越した能力者は現場にもいるからね 政治が埋没させることの無いように配慮すべきだよ 無能な資格者に天下を取らせてはいけないよ 
資格者は有能でなければならないだろ 豊富な経験と有効な知識を身に着けた資格者を育てないとね 国の成長を妨げるよ
政治家の能力が日本の未来を決めるって感じだけどね 金権選挙では期待が持てないね 安倍総理はできる立場にいるからね
政治家としての信念が確立していると良いね 政治家の血脈をプライドと生かして意地を見せて欲しいね 憂国の獅子であって欲しいね」

安倍総理は秀吉や家康のようになれるかな? 優秀な人材が見つかると良いけどね 実務に長けた人材が見つからないと苦労するからね
指導者としては強気でぶれないから合格だけどね タイトロープだね ゆとりが感じられないのが気になるね 親分肌のふてぶてしさが足りないね
真面目なエリートのイメージだね 気負いすぎるところがあるよ 中曽根元総理のふてぶてしさは相手を飲み込んでいたからね 軍人だから強かったね
安倍総理はリップサービスに気をつけないとね 互角に接しないと上から目線で見下されるよ 各国の首脳会談で度量を見せてもらいたいね 
上を見ても諂わずだね 選挙民に話しかけてる訳ではないからね 言い過ぎれば約束にもなるからね かけ引きの加減を考えて冷静に喋ったほうが良いね
相手が何を喋らせたいのか読んで、冷静に喋ってもらいたいね 踊らされて相手にとっては100点満点の回答をすると飲まれるからね 
素直すぎるところが気になるね 海外での発言は少し飛んでる感じがするね かっこつけ過ぎって感じるね ズシリと重い人間になって欲しいね 
 


徳川幕府の礎を築いた者は武田信玄の旧家臣達だった 大久保石見守長安を逆賊として歴史から抹殺してるね

2015年02月03日 17時36分24秒 | 歴史 戦国時代 徳川家康 織田信長 服部半蔵 新田源氏 武田信玄 八王子千人同心
日本の時代劇映画も少なくなったね レンタルビデオを借りまくって見尽くしてしまったよ 
旧いもののほうが役者の気迫が伝わってくるね 現在の俳優では時代劇の良さが希薄になってしまうね 
ストーリーも演出も現代人向けに弄るからね 面白くしたいと捏ねるから時代劇の緊張感が薄らいでしまうね
時代劇を演じれる最近の役者も平均年齢が60歳を既に超えてしまっているだろ 
若い役者では侍然とした雰囲気は出せなくなってるね 演技が軽くなってるし漫画的になってるからね
このままでは時代劇は衰退する一方で寂しい思いになるね 
日本の歴史を知るのにも時代に即したストーリーが小説家されると新たな時代劇が生まれるんだろうけどね
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代では史実がストーリーを知らしめてしまうからね 
新鮮度が不足するって事なんだろうけどね 激動の時代では隠れたドラマが沢山潜んでいるって感じたよ
時代の主役を支えた武士の存在に目を向ければ面白い時代劇が作れそうだけどね 
山本勘助、黒田官兵衛、水戸黄門、新撰組等はヒット作品だからね 
時代劇作家がいなくなったから難しいだろうけどね 小説の主人公にできる人物は沢山潜んでいるって感じたね 
昔は時代劇を漠然と見ていて時代系列を十分に認識しないで見ていたんだけどね 
ひょんなことで興味を持つようになってあらためて観漁ってみたよ 時代背景が見えてきて面白くなってきたね 
興味を持った原因は我が家のルーツを探求してみたら戦国時代までたどり着けたからね 歴史資料を観漁って追いかけたよ
知れば知るほど身近に感じて面白くなったね 武田信玄に仕えた先祖がいるって感じたからね
山本勘助との関係、徳川家康に仕えて八王子同心となる史実から巡り巡って我が家にたどり着いたってことだね
確証できない期間が少しあるんだけどね 江戸時代から代々名乗ってきたフルネームが史実の名前と一致したんだよ 
40年程前にね、先祖の墓は親父が一度調べたんだよね 歴史家で墓の研究をしてる人物が営業に来たからね 
30万払って墓石の文字を写し取ったんだよね 
このままでは石が崩れて文字が読めなくなるから今のうちに書き取ったほうが良いと持ちかけられてね
親父も金を出して資料を作ってもらったんだよ 最古の墓石と思われる石は享保の墓だった 生まれは1650~60年頃になるね
それ以前の墓石は見つからなかったからルーツは享保までしか分からなかったからね 我が家の初代だと思っていたよ
調べた歴史家はルーツは八王子にある可能性が高いって教えてくれてね 記憶に残っていたんだよ
平成13年に急に思い出して、インターネットで情報を集めたら同姓同名の人物を見つけたんだよ 衝撃だったね
その人物が1617年に死んでたからね 我が家の初代は40年後位に誕生したことになるよ この期間が推測になってしまうけどね
八王子で繋がる根拠となる墓石に出会ったよ ルーツである可能性は極めて高いって確信したよ 空白の74年間があったんだよ
我が家の初代がその中間点で死去しているんだよ 名前を継承しているのは我が家の初代だった その墓は名前を継承していなかったよ
村の長老が話した内容に古い墓石は江戸城の修復工事で供出したから無くなってしまったんだと聞いたよ 更に先代が居たって事かもね 
俺は昔ながらの百姓だから墓石も取られてしまったんだなと思っていたらね どうやら武士の流れのようだと分かってきたんだよ 
村の長老の話では先祖は旗本に仕えた御家人の子孫らしく、旗本が知行地を受領して、先祖がこの地に移住したらしいと言ったんだよ
代々百姓だと思っていたけど名前があるってことは不思議だなとも思っていたんだけどね 知行地の管理で移り住んできたって事かもね
俺もお祖父さんの言葉を思い出したよ 
「この辺一帯の土地は我が家を拠点にして測量をしたんだ」とね いつの時代の話なのか分からなかったけどね
「実測すると公簿より面積が多くなるのには理由がるんだ、縄で測って少なめに面積を記録したからだよ」って言ってたね 
「だから多い面積を縄延べって言うんだよ」と聞かされたよ 単純に測量技術が未熟だったからだと思ったけどね
「面積が実測で少なくなると境界争いが起きたときに治められないから、実面積は多くしたんだよ」って説明されたよ
それと「納める年貢を軽減する処置も考慮して、荒地の面積は更に多くした」って言ってたね 縄延べがある意味がよくわかったよ
豪農でもないし、何故、我が家が拠点で一帯の測量をやったのか分からなかったけどね 今になって職務だったのかもしれないと思ったね 
歴史を辿ったらどうやら特殊な存在の武士の流れらしいって思うようになったよ 先祖の嫁ぎ先は武家が多いからね
農家との縁結びは大正以降なんだよ 職種も明治は役場勤務で大正昭和と刑務所勤務と続くからね 農業から自営業となったのは親父からだよ
農業は女手の仕事として続けてきたけど男は勤め人だったからね 武士が役人になったって構図と一致しているね   
古い墓石は江戸城の基礎となって埋まっているって事かもね 八王子千人同心は江戸城の改築事業を負わされているからね
千人頭は旗本身分で小頭が御家人身分だからね 家康の時代は信頼されて大事にされていたんだよね 家康の警護部隊だからね
没前の不明な100年間を遡ると同性同名の武士が八王子千人同心の祖形名簿に記載されていたからね 我が家の初代がひ孫位の年代差だね
この人物は武田信玄に仕えて武田家滅亡後、徳川家康に仕えた武士だった 信玄に仕える以前は辿れないけどね 
山本勘助の同族と行動を共にしていたようだから、先祖は三河の出身かもね 武田家臣では横目衆で槍組のようだよ 
元々は牛窪六騎の流れのようだから、弱小だった時代の徳川家康を支えた一族に繋がりそうだよ 家康に仕えても不思議ではないよね 
我が家のルーツに繋がる確証はまだ無いけどね 近くが知行地だった記録があるからね 俄然とこの時代に興味が湧いたよ 
知れば知るほどこの時代には多くのドラマが潜んでいるとね 激動の時代を生きてきた人間像を追えば面白いストーリが生まれるよね 
八王子千人同心の歴史には江戸幕府の功労者としての実績と武田の武士だった外様意識が徳川の本流から妬まれて虐げられた歴史があるって事だね 
家康には傭兵のごとく警護部隊として重用されたからね 槍組として当初は老中の直属だったんだよね その後に槍奉行の支配下に置かれているね  
関ヶ原の合戦にも参加しているし、明治になるまで日光東照宮の見回り火番警護を続けているよ 江戸市中の火番もさせられているからね
国境警備隊として八王子に定住させられて敵の侵略を防ぐ役割をさせられていたんだね 北条の残党を抑えて治安の維持を命じられていたんだよ 
江戸に敵が攻めてきたときは、八王子で敵の侵略を防いで時間稼ぎをする玉砕部隊だよ ある意味では捨て駒なんだよね 
八王子千人同心の頭として大久保石見守長安なる人物が登場するよ 
旧武田の家臣を八王子に定住させて千人同心として家康の家臣にした人物だよ 猿楽師だった親の代から武田信玄に仕えた人物だね
金山の発掘技術や測量、治水工事、護岸工事の技術を持ったスペシャリストらしい 武田信玄の蔵前衆として金山開発をしていたらしい
家康に重用されて金山奉行になっているよ 佐渡の金山も管理していたんだね 国奉行として美濃奉行にもなった異色の天才だよ 
代官頭でもあり八王子18代官を関東各地に派遣して統治して、徳川幕府の財政基盤を確立した人物だからね
多くの治水事業も実施して年貢の安定収入を確立した知恵ものなんだね 部下は八王子千人同心だよ
家康は荒くれた新天地の関東平野を統治するために武田の旧家臣達をを利用したんだよ 危険な仕事は武田勢ってことだね 
大久保石見守長安を重用して徳川幕府の財政を豊かにして治安の維持にも利用したんだよ 徳川家の大蔵大臣だね
金山、銀山等の発掘は請負制度だったらしく経費を負担して、発掘した金銀の半分を家康に納めていたらしいけどね 
大久保石見守長安も莫大な金銀を保有するようになり妬まれ恐れられたんだね 家康の右腕として力を持ちすぎたんだよ 
外様大名も一目置くようになり、莫大な金銀を持つ大久保石見守長安が恐ろしくなったんだね それでも生きているうちは手が出せなかったんだね
死んでから、武田家再興の疑いと徳川幕府転覆の陰謀露見を理由にして、墓から掘り出して逆賊として処罰されたんだね 冤罪だよね
金銀財産を没収のうえ一族皆殺しの処分を受けた悲劇の一族だよ 死人に口なしだよね 生きているうちは裁けなかったんだからね 
部下の八王子千人同心も当然のごとくとばっちりを受けて身分は格下げとなり待遇は悪くなったってことだね
平同心は半農半士で身分は百姓であり、徳川幕府のお役に付くときは武士扱いという戦国時代の郷士と同様に扱われたんだね 
徳川幕府の功労者で在りながら旧武田家臣は差別待遇で仕え続けたんだね 家康の死後は目障りな存在になったんだよ
歴史上の人物としては大久保石見守長安は評価されるべき重要人物だよね 経歴も異色だし功績も絶大なものがあるからね 
日本国民が知るべき史実だろう 江戸幕府はこの功績を妬んで逆賊として葬り去ったと言うことだね 表舞台から消したんだよ
江戸時代では語る事も出来ない人物なんだろうね 家光の時代に徳川幕府に都合の悪いことはすべて葬り去って隠してしまったんだね 
旧武田の家臣の功績は称賛するわけにはいかなかったのだろう あくまでも徳川家本家の手柄でなければならないからね
現代だからこそ掘り下げて史実を追及してドラマ化すれば新たな視点で歴史上の重要な人物が浮上することになるね 
武田信玄の財政基盤作りや統治能力が武田の家臣によって徳川幕府の礎を築いたって事が明白になるからね
徳川家康を支えた影の重要人物でありながら栄光と悲劇の人生のドラマは日本の歴史観を変えるよ 歴史から埋もれさせる人物ではないよね
八王子には武田信玄の6女と言われている松姫が逃げてきて定住したんだよね 
武田家滅亡後、大久保石見守長安に八王子に匿われて尼となり、八王子千人同心に守られて生涯を全うしているよ
八王子にある信松院というお寺に祀られているね 松姫の生涯はドラマ化できるよね 
武田信玄の悲劇の姫君として、お涙ちょうだいのドラマに書けるだろうね 徳川から守る旧武田家臣の苦労も絵になりそうだね
姫君が尼となり生き延びて、庶民生活と交わって機織りの技術を伝えた生き様などは十分にドラマにできる生涯だと思うけどね 
旧武田の家臣の忠誠を垣間見ることができるよ 徳川を忍んで守ったんだろうね 尼になって子孫を残さないって運命が侘しいね
それからの武蔵なんてドラマに比べれば、武田武士と松姫の生涯はスケールが大きいよね 
時代に埋もれた史実は武田武士の功績を明らかにするだろうね 
優秀な知識人と技術者を抱えた武田信玄の統治能力はさらに評価される史実となるだろうね 徳川幕府の陰に隠された武田武士の功績だよ
八王子市が郷土の史実として宣伝しないのは不思議だね ドラマ化しないのはもったいないね
今こそ大久保石見守長安の汚名を返上して徳川幕府の礎を築いた重要人物として売り出すべきだよね 
逆賊の汚名を科せられて一族皆殺しにされた悲劇のヒーローとして知らしめるべきだね 松姫が花を添えるよね
郷土の英雄として汚名を返上すべきだよ 家康の懐刀として財政基盤を盤石なものとした功績は絶大なものだからね
汚名を科せたまま歴史に埋もれさせてはいけないよね 八王子市は広報活動を工夫して頑張るべきだね 
新撰組が八王子千人同心の末裔だったと言うことさえ知られていないからね 多摩の郷士出身で終わりだからね 
新撰組の魂は八王子千人同心である武田武士の魂と繋がっているってことを宣伝すべきだよね 語らないのはもったいないよね