石に点の打った謎
百度石には点の入った石を使った文字がある 古い神社ほど石に点が打ってある 点は何を意味するものなのか?謎を推理する
天孫降臨から巨石信仰へと繋がる日本神話の時代では、石には神が降臨して神が宿っていると捉えていたものと考えられる
神の宿した石には点を打つということかもしれない 点は「勾玉、神璽」を表している
王に点を打って玉となす。玉は勾玉の首飾りを掛けた王の姿を現したものであり、王の椅子を玉座という。点は勾玉の首飾りの化身である。
石に点を打った文字は、意味のある文字であると推測する。
天孫降臨の語源とも思える「石に`点の入った文字」 発音は「いわ」巨石信仰の文字 あめのいわとわけ神
「百度石とは」
社寺の境内にたてて、百度参りで往復する距離の標識とする石(おひゃくどいし)。
寺社側でも百度参りのために,百度石を立てて本堂との間を往復参拝できるようにしたり,数取りのための掛札をかけたりする。百度参りは俗に〈お百度を踏む〉といわれ,千度参りも同一の形式と趣旨をもつ習俗である。
「石に点がある謎」西代神社の百度石には点がある
西代神社 住所:大阪府河内長野市西代町16-5
明確な創建は不詳。ただし南北朝時代にはすでに南朝側の諸将から崇敬されていたという記録があり、中世以前に存在したことがわかります。
7柱の祭神です。この中でも最初の国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、日本神話でも最初の天地開闢のときに登場しますが、最後までその姿を現しませんでした。
そのほかには、次の6柱。
素盞嗚尊 足仲彦命(仲哀天皇) 息長足比売姫命(神功皇后) 品陀別命(応神天皇) 武内宿禰命 菅原道真公
素盞嗚(すさのお)に、応神天皇とその御両親(仲哀・神功)。それから12代景行から16代仁徳まで5代の天皇に仕えたとされる武内宿禰(たけのうちのすくね)が祀られています。さらには天神の菅原道真も祀っており、そうそうたるメンバーがそろいました。
大神宮とあります。大神宮が何か調べると、どうやら伊勢神宮と関係があるようでした。
。。。。。。ネット記事より転載しました
近年では天照大神と書くが、五角柱地神では「太神」と刻まれており、点`が打たれている。天照大神と同じと思われるが、点`には何か意味があるのではないか
「古代人が神を斎きまつった所・斎庭(ゆにわ)として人々の崇敬の中心」という事か、神が降臨される依代(よりしろ)という事か、神の降臨を意味する点`なのか?
神籬(ひもろぎ)、磐境(いわさか)とは
太古の人々は、万物に神々が宿ると信じ、神の力を戴き、神と共に暮らすことを願っていた。
そして、神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行っておりました。それに答えて神が降臨される、依代(よりしろ)が磐境・磐座であり、神籬(ひもろぎ)であり神奈備(かむなび)でした。
神々は、祭祀の度ごとに降臨(こうりん)され、祭りが終わるとお帰りになられました。
神聖とおもえる岩の点在している所や巨石、大きな樹木、森、山などを依代(よりしろ)として神が宿られたのです。
そのほかにも丘、川、滝、海、島というような処にも神々がお降りになられたのですが、現在でも当時の祭祀の片鱗に触れることはできます。こうした磐境神籬(いわさかひもろぎ)は現在の神社の原形といわれています。
追伸 2022年9月 ネットブログ記事より転載
ミシャグジの謎 【大先神社】長野県 樋の底村跡地 2022-09-08 | 古代ミステリー
【大先神社】
長野県富士見町『稗の底村』跡地にある。
稗の底村は戦国時代まで小集落ながら存続していたが、寒さが酷く住人は隣の乙事村と立沢村に移っていったという。火の底村とも。
鳥居はなく幡立の石柱が二柱左手にあり、その奥に小さな石段が続く、社殿はなく、巨石と祠があるだけ。ここは、神社というより、ミシャグジの依り代の様だ
ミシャグジは諏訪地方を中心にひっそりと広がり今も残る、遥か古代の信仰だ。その起源は、5000年前に栄えた縄文中期にまで遡って考えられる事が多い。
沖縄の聖地『御嶽』の様に古木の前に石を配するスタイルは、ミシャグジと同じ。弥生人の渡来により沖縄へ逃げた縄文人達が持ち込んだ可能性もあるかもしれない。
木を伝わり降りてきて岩に宿る、というのが渡来人が来る以前の、日本の原始からのスタイルらしい。
元々、八ヶ岳山麓にある諏訪盆地は巨石が多く、八ヶ岳噴火で飛んできた岩も多い。噴火前は、富士山より八ヶ岳の方が高かったが、日本最高峰だったその頃の八ヶ岳の残骸だ。
13世紀の史書に 硯石 沓石 蛙石 小袋石 亀石 兒玉石 御座石 諏訪七石とあり、失われた諏訪大社の神事の1つ、『たたえ神事』が行われていたのではないかといわれている。しかし、諏訪七石にしろ、こちらの大先神社の巨石にしろ、神社というよりもミシャグジ感が漂う。
よく見ると、顔の上に剣の様な形が掘られている。ミシャグジの神具は上に小刀が刺さっているが、これだとまるで上に剣が生えてる様だ
【古代信仰ミシャグジの謎】
かつて稗の底村には山神社もあったようで、諏訪大社と同様「前社」があったので、この辺りが地域のミシャグジの中心だったのかもしれない。
前宮とは弥生人の祭る神社に対し、それ以前からミシャグジの祭祀場があった場所のことをさしていう。
通常、神社の本宮に対して 元宮、奥宮、など元々祀られていた神社が存在するが、『前宮』という名称の神社は諏訪大社にだけ存在する。
本殿はなく、古代信仰ミシャグジの聖地が、弥生人の神道の神と習合した時に『前宮』と呼ばれるようになった様だ、具体的には、出雲の国譲りで、天孫族に敗れた建御名方命が諏訪まで逃げてきて、元々諏訪にあったミシャグジと習合した。
建御名方命は大祝となり、諏訪大社上社本宮に祭られ、ミシャグジの祭祀場が諏訪大社上社前宮となり、諏訪大社下社『春宮』と諏訪大社下社『秋宮』も、ミシャグジの季節神事に対応していると思われ、日本神道の神社となることで、そのまま神事だけを残した。
『前宮』の神事は冬に対応している。
ミシャグジは漢字で書くと御社宮司、御社宮神、御佐口など当て字が地方ごとに多数あり、800種以上あるという。
漢字文化が伝来するずっと以前の古い信仰なので、元々の漢字の意味を考えても意味が無いが、ミシャグジ=御社宮神は、神仏との習合で生まれた比較的新しい(といっても千年以上前だが)漢字表記で今に続くミシャグジの公式表現っぽく思える。
大和朝廷が日本を統一し、神道や仏教が広がる中でも、諏訪地方を中心に『ミシャグジ』という石棒や巨石を依り代にした古代信仰は根強く存在していた。
(日本書紀に「蝦夷は従っても信州は従わない」と苦言が記されるほど)
ミシャグジとは、人・岩・木を依り代に降ろされたり上げられたりする得体の知れない何かだ。人・木・岩は、その入れものにすぎない。
神道であれば『○○坐す○○神社』と名高らかに祭られ、必要があり封印する場合でさえ違う神の名で祭る。
ミシャグジは降ろす依り代になる、人・岩・木を「ミシャグジ」と呼んでいる様なので、とりあえずその体で理解していくことにした。
大国主も人名ではなく大いなる国を建た国主のことであり、初代・大国主がスサノオで、二代・大国主が大己貴命だが、諏訪大社に祭られている大国主の子・建御名方も神名かどうかは分からない。
そのまま読めば建御名方=『建国者の御名を持つお方』という意味で、親方、賄方、勘定方など役割の呼称の類いと変わらない。
確かに、建御名方とその子らは佐久地方に農耕を拓いた開国者であり、土地を開墾することを、土地を「さく」と言うが、そのまま「佐久」という地名になったらしい。
ミシャグジ=御社宮神は、御○○神、ミ=御が敬語で、ジ=神が神であり、真ん中の「シャグ」二文字が、信仰の依り代に降りてくる何かをさしているという説があるが、ここに「佐久」を当てはめる説もある
諏訪大社、大先神社なども、神社の名を冠しているが、『神道』ではなく『ミシャグジ』をただ神道風にふりをして祭っているだけの様に感じる。
古神道の祭祀の様に社殿が無いか、あっても、ミシャグジを隠すために社殿で覆ってる気もする。
諏訪大社の様に四本の御柱を立てるのは、ミシャグジの特徴だ。
確かに縄文との繋がりも感じるが、短絡的に、縄文と結びつけてしまったり自然崇拝と結びつけたりといった、初歩的な間違いはしたくないので、あまり王道ではないが、あえて【ユダヤ人渡来説】から考えてみた。
聖なる国 日本 歴史も謎も深い! 以上、ネット検索ブログより転載
#ミシャグジ #建御名方命 #佐久穂町 #瀬織津姫 #梓巫女 #神使 #大祝 #精進屋 #柳田國男 #諏訪七石の謎
ネット検索ブログの コメント欄より転載
みじゃくし・みしゃくじは、石神井の読み方があるように石神と考えたくなります。「み」は、そのまま「巳」蛇ですね。
諏訪大社の伝説に、蛇になった男の話もあったと思います。また、大社と、つくところは、前の統治者を塞ぐ(怨念塞ぎ)かと、思わされる「大赦」に通じるところが多い気がします。
出雲大社・・とか。出雲大社・大国主命となると「巳」がかかわってくる大物主。そして、建御名方 大国主命の子供ということになっているが・・ 「巳」(大物主)が、かかわってきてもおかしくない。
建御名方をやっつけたのは、大和朝廷側になるが、これが、やはり、ユダヤ系かと?
その証拠のように、ユダヤの祭祀が残る諏訪大社。建御名方は、「美穂須々美」という話もある。出雲の美穂神社に居たという話もある。
みじゃくし、が、大国主命系統の「巳」に関わるのならば、あるいは、諏訪大社から派生した信仰ではなかろうか?
石神は、石上神宮にもおもえて、石神信仰は饒速日?と思ったり、判らないから、好きなように考えてしまい、迷路に入ってます。
石神井神社 「石神井・しゃくじい」という地名の由来 『ミ シャグジ?』
通説とされているのが、昔ある村人が井戸を掘っていたところ、奇瑞(きずい、めでたいことの前兆として現れた不思議な現象)があった石棒(青色の石棒)が出てきました。村人たちはその石棒を霊石と崇め、石神(いしがみ)様として祭ったことから、いつしかこの地域はこのことにちなんで石神井と呼ばれるようになったといわれています。これが石神神社、現在の石神井神社の始まりとされています。他の説として、石神様は三宝寺池から出現した石剣であったとも伝えられています。
※ 「石楯尾神社奥之院」と称する小石祠にも、神宝として石器時代の石棒(青黒い石棒)が完全な形で残されている。霊石は、石神井神社と似た(青色の石棒)だよ
以上のネット記事を見ました。
天孫降臨から巨石信仰へと繋がる日本神話の時代では、石には神が降臨して神が宿っていると捉えていた。太古の人々は、万物に神々が宿ると信じ、神の力を戴き、神と共に暮らすことを願っていた。そして、依代(よりしろ)に神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行っていました。
古代信仰のミシャグジは「古代人が神を斎きまつった所・斎庭(ゆにわ)として人々の崇敬の中心地・依代(よりしろ)」という事ですかね
神が降臨される、依代(よりしろ)が磐境・磐座であり、神籬(ひもろぎ)であり、神奈備(かむなび)であり、そこに神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行っており、神々は、祭祀の度ごとに降臨(こうりん)され、祭りが終わるとお帰りになられました。
神聖とおもえる岩の点在している所や巨石、大きな樹木、森、山などを依代(よりしろ)として神が宿られたのです。
千度石、百度石 「石に点がある謎」 。。。。ネット検索写真より
ネット検索で探した百度石(石に点の入ったもの)の写真
石に「点 `」が入った文字の謎
天孫降臨の語源とも思える「石に`点の入った文字」 発音は「いわ」巨石信仰の文字
茨城の石船神社と三国峠の頂に「石楯尾神社奥之院」と称する小石祠がある神社の石には「点 `」が入った文字を使っている。
石楯尾神社(いわたておじんじゃ)は、「烏帽子岩」という巨石信仰で
『この世のはじめ、天地創造の折に、神々が国の鎮めとなさっておくだりになった、天然の神籬(ひもろぎ)磐境(いわさかい)の「エボシ岩」を人々が尊んで、拝み仕えまつった祭政一致の生活の行なはれた所が京塚山の頂上にあった。
ここが富士神界( 肉体ある人の世より前の霊体の神神の世)の中心地・高御座(たかみくら)であった。 (相模の国の奥津宮=総産土神) このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここが産土(うぶすな)路(ろ)にあたり (石楯が粘板岩でここが変成粘板岩) 古代人が神を斎きまつった所・斎庭(ゆにわ)として人々の崇敬の中心となった。』
『三国峠の頂に「石楯尾神社奥之院」と称する小石祠がある。神宝として石器時代の石棒が完全な形で残されている。(青黒い石棒)
ご神体は本殿前方部の床下の巨石で下方は広くなり土中に没しているという。
※ 追伸 諏訪地方を中心に『ミシャグジ』という石棒や巨石を依り代にした古代信仰と同じである。
祭神として名が残る石村石楯(いしむらいしたて)は当地の住人で高座郡の県主(あがたぬし)であった。』等と記載されていた。
天界から神々が京塚山の頂上の「エボシ岩」に降臨して「国の鎮めとなさっておくだりになった」ということらしい。天孫降臨だよ
天界から山頂の「エボシ岩」に降臨した光景を表した文字が、石に「点 `勾玉」を打った文字ではないか?
石の語源から想定すれば口が石(エボシ岩)を表すので、巨石に降り立った神は「点 `勾玉」で表すのではないか?
“一”は天界で、“ノ”は山頂を表し、口は神の宿った巨石(エボシ岩)と捉えれば、神は「点 `勾玉」で表すということだろう。
点 `は勾玉でもある。王に点を付けると玉になる。玉の点は勾玉の首飾りを意味する。
王が勾玉の首飾りをした姿を表し「玉」の文字になる。 王の椅子は玉座であり、点 `は勾玉(神璽)の化身でもある。
五角柱地神では「天照太神」と刻まれており、点`が打たれている。天照大神と同じと思われるが、点`は神が降臨し、神を宿した石柱(霊石)となり、古代信仰の依り代である。
天孫降臨を表わした文字が石に`を付けるってことかな? 山頂から西に突き出た烏帽子岩に、天界から神々の降臨だよ
天孫降臨の語源とも思える「石に`点の入った文字」 発音は「いわ」巨石信仰の文字
平野郷 杭全(くまた)神社 力石にも`点がある
だんじり祭りの中で、数少ない夏祭りの平野郷 杭全神社の地車祭。