8月の事、母が高熱が出て救急車で病院へ
急性胆嚢炎で入院
お陰様に一週間ほどで退院ができたので
何回か顔を見に実家に行ってきました
母の部屋でゆっくり二人で話ができました
いつもは二人という機会は少ないので
耳の遠い母と大きな声で会話
食事は少なめでも同じようにいただけるとのこと
眼は益々ぼやけてしまうし
こんなに生きているとは思わなかったと
遺影写真も兄夫婦に一緒に決めてもらうとのこと
気丈な母にも弱音を発するようになりました
確かに、「人生100年」と言われる長寿国となりましたが
その100年、特に人生の後半
老いていくこと、身体は弱り
出来ていたことが段々と低下していき
病気の心配、介護の心配 迷惑はかけたくない
そして、死も迫っていること
明日の朝には息をしていないかもと
真顔で話してくれる
初めて、救急車にお世話になって
入院して、退院が出来て良かったね。と言っても
嬉しい返事もなく
今度はいつ顔を見に来てくれる?
こんなこと言われたこともなかったので
話題を変えて手を握って指相撲をした
私の勝ちだよ!と言っても何のことだか?・・・・?
親指を反対にして 今度は母の勝ち!!って言ったら
ようやく意味が分かって笑った
やっぱり笑顔がいいね!
そんな笑顔のお願いも酷なのかな
一回でも多く顔を見に行って
手を握ってこようと思う
明日は敬老の日
自分もなるべく跡を濁さず
始めつつある旅支度を楽しみながら
与えられた天寿を有難く生きていきたいものです
まだまだお母様は大丈夫ですよ
寝付かれたら心配でしょうけれど 意思の疎通はできますし
とにかくとても寂しがりになりますから
用があってもなくても頻繁に顔だけ見せてあげてください
私のだんなのように意思の疎通も出来ず 目を開ける事もない11か月は
とても寂しかったです
自分の状態を看護師さんに伝えられない分
それをカバーするのにできるだけ通いましたよ
本当にいつお迎えが来るかなんて誰にもわからないんだと
11か月間いやというほど教えられました^^;
>嬉しい返事もなく
お母さまのお気持ちよくわかります。
私の実母はガンで81歳で亡くなりましたが、前向きの言葉もいっぱい言ってましたが・・・・
そうですね。出来る限り会いに行かれてくださいね。
母は2か月の入院でした。夜でしたが(個室)行ってあげました。
私自身に悔いがないわけではありませんが、代わりに兄弟がキチンと見てくれました。
見上げた兄弟でした。
私も、すこしずつ旅支度ですが・・・まだ現世で、やることが多くて(跡継ぎがまだ入らないので)。
ホントに寂しがり屋になってしまいました
気丈な母ですがやはり年齢には勝てません
一回でも多く顔を見に出かけております
出来ることは大きな声で会話をして手を握って
来ることだけですが、待っていてくれる母に感謝
「ありがとう」をいっぱい伝えたいですね
ご主人様は11カ月目も開けることがなかったのですね
私も父を見舞う時、願掛け地蔵さんにお参りしては
病院へ行ったのを思い出します
いつどうなるか誰も分かりません
出来ること、したいことは後回しにしないことって思います
私の父は78歳でした。ガンでした
母は今でも仏前に5分で消えるろうそくを供えております
兄がお茶をお供えするので火の確認は大丈夫ですが…
今は、良いものがあってパットやトレーニングパンツは
持っていきますが、ポチ袋に「おむつ代」と書いて
渡してくれます。要らないと言っても納得することはないので使わずにとっています
一回でも多く語れることに感謝です
誰にも一生はそれぞれのドラマがあり
みんな素晴らしい人生と思います
実は私も旅支度始めております
そろそろ紹介出来そうです