ねこなんて大っ嫌い

ってずっと思ってたのに。
死にそうな子ねことの出会いが生きる力を与えてくれました。
バツ2でも結構幸せにやってます!

お父さん、帰ってきとるんやろ?

2017-08-16 05:55:55 | 雑記
(画像お借りしました)

急いで帰ってきてほしいけぇ、きゅうりの馬で迎えに行くんやろ?帰りはゆっくりゆっくり・・・てナスの牛で送って行くんやてね。そんなん、なんも教えてもろたことないけ、知らんかったよ。

お母さんが新興宗教始めたけ、そういう、日本人として常識て言われとること、なぁ~んも教えて貰えんかった。でもまぁ、えぇよね。お仏壇にどうやってお盆のお迎えしようかと思うたけど、分からんけ、考えた。そうやん、お父さんが好きやったもん、たくさん作って、お父さんの好きな日本酒を一緒に飲めばええやん。

これ、覚えとるやろ?お母さんから何回も聞かされたっちゃ。ものすご高かったんやろ?そやのに、どうしてもお父さんがこの箸置き欲しいゆうて、分不相応やて言いながら買うたんやてね。

なんぼしたん?お母さんも値段はもう覚えとらんかった。でも多分相当高かったんやろね。ま、センスえぇけぇ、ええよ。タダで、あたしは使わしてもろうとるよ。

お父さんは「女は勉強なんかしたらダメやけ。旦那の言うことをハイハイ素直に聞いとけばええんよ」って言うたやろ?大学も行きたかったけどそれは絶対ダメやった。でもね、お父さん、あたし、職人さんになりたかったみたいやわ。この年になってやっとわかったんやけど、職人さんがよかった。

「職人みたいな、手に職付けたら女はダメよ。お前みたいな気の強い女は特にそうよ」そんなようなこと、ずっとゆうとったっちゃね。だけ、あの頃それがわかっとったとしても、お父さんはやっぱり賛成してくれんかったんやろうね。もうええわ。どうせあの頃には戻れんし。

何て言うても、鶏のから揚げが一番好きやったね。

枝豆も、お父さんが好きやっただだ茶豆よ。分かっとるっちゃ。ちゃんとお母さんがやったみたいに、ハサミで両端切っとるよ。塩加減もバッチリやけ。

タケノコと小松菜のお浸しよ。昔とちごうて、タケノコ高いんよ。ちっちゃい切れ端みたいなのが600円やった。お父さんの好物やなかったら、絶対買わんかった。今日は特別やけ。え?恩着せがましい?お父さんの血ぃ、引いたんよ。

お刺身はねぇ、昔みたいに美味しゅうないよ。門司の魚市場で買いよった刺身に比べたら、全然美味しゅうない。あの頃は毎晩ふぐ刺しやったもんねぇ。あれは美味しかったよねぇ。まぁ今日はこれで勘弁して。

あたしが二十歳を過ぎた頃、二人で飲みに行ったことがあったねぇ。「おれ、今日は本当に幸せやわ。お前とこうして酒を飲める日が来るとは思わんかった。」そうゆうたお父さんの顔、今もハッキリ思い出せる。

お母さんはね、今はここにはおらんよ。でも、ちゃんと毎日美味しいもん食べて、元気にしとる。お母さんのこと大好きやったもんね。お母さんを粗末にしたら、お父さん化けて出るやろ?分かっとるよ。

言う割にはお父さん、生きとった時、お母さんのことあんまり大事にしとらんかったやん。今は反省しとる?まぁ、反省だけなら猿でも出来るけねぇ。

あたしが〇〇くん(第一夫)に「好きな人が出来たから別れてくれ」て言われた時のこと覚えとる?「子供、ひとりやったら面倒見てやるけど、ふたりは無理やけ。息子の方はあっちに渡せ」ていうたやん。あたし、あの時お父さんのこと、心底恨んだ。この人、絶対許さんて。でもそれが、誰のこともあてにせんで、子供二人を自分の手で、何としてでも育てていくていう決心、つけさせてくれた。

お父さんのこと、恨んだことたくさんあったけど、もう全部水に流した。我儘放題で、やりたい放題やったけど、そういうお父さんのこと、本当は嫌いやなかった。不器用やったけど、あたしのことは一番可愛かったんやて、お母さんがいっつも言うとった。お父さんが心配しとった紫外線アレルギーの湿疹も、〇〇(娘)のお陰で今はキレイな腕しとるんよ。もう心配せんでええんよ。

ご先祖様を迎えたお盆の行事、何一つまともには出来ませんでしたが、我が家では北九州弁丸出しの、父と私との会話で終始しました。こういうお盆があってもいんじゃね?と思いつつ。
今日はもう送り火ですね。


お父さん、また来年一緒に飲もうや。
っておまえ~!足の骨折まだ治っとらんやろがーー!
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