久しぶりに朝から青空がのぞく晴天に恵まれた。多摩川の上流へ向かっての
散歩で、明治時代に福生で製糸工場をいち早く造った森田富豪の跡地に建てられて
いる地元の小学校の生徒が書いたと言われている長塀の絵を見ながら一巡りして
きたところです。最近の新聞で京都のアニメ製作所が放火にあい、逃げ遅れた沢山
の人が亡くなったことがあったが、犯人は、40歳ぐらいの男で、相当に、以前から
目を付けられていた者であったようだ。しかし、ガソリンをポリ容器に入れて運んだ
様子が写真にっている映っているが、ガソリンスタンドで一般の人に売ることはない
と思うが、どうしたのであろうか。若い時から、貧乏で自分の境遇を世間が悪いのだ
と恨んでの犯行のようだ。私の子供の頃にはこのような事件はなかった。
昔は、戦後の混乱の中では、全ての人が生きることに精一杯、将来に向かって頑張ろう
と言う環境であったからだろうか。そのため、他人のせいにするより、自分で努力する
のが当たり前であった。今の世の中は、確かに貧富の差があり、(自分が貧乏で不幸な
のは、世間が悪いのだ)と他人を殺すなどとはもっての外だ。このような同様の人は
沢山いるが、起こすことはない。事件を起こす人の特徴は、相談する人もなく、閉じ
こもりで、スマホやパソコンなどでゲームをやる孤独の人に多いようだが、このような
子供の頃の遊びの環境の違いも時代の変化か。しかし、これも自分が頑張れは、
このような不幸から抜けだせることになるが、その気持ちの無いことは、どこから出て
きたのであろうか。これも、戦後教育の不の部分かとも年寄りには思える。