紀州攻め2-3からのつづき
紀州攻め3日目
3:30 起床
トイレに行って、更に二度寝をしようと
したが、完全に目が覚めてしまった。
今日回る予定の城を車のナビに地点登録
したり、スタンプ、御城印の入手場所を
確認したりした。
スワロー親
スワローズ(子らが6羽程いるみたい)
8:00 道の駅みつえを出発
8:30 最初の目的地 多気北畠氏城館跡(北畠神社)到着
初日に来る予定だったが、時間の制約でなかなか来れず。
3日目にやっと来れた
今日もまた、既に暑い
まっすぐ進むと神社へ
北畠神社は城を攻略後にする。
攻城始め
少し登っただけなのに、かなり高い位置まで来たようだ。
左に神社内建物の屋根が見える。
10分ほど登ると
山道から開けた平らな空間に出た。①北東方面を撮影
もう城に到着か? 1.3Kmも歩いたか??
解説板を発見
詰城だった
今いる場所は曲輪Aのようだ
詰城から東側城下の眺め②東方面を撮影
南側通路③西方面を撮影
竪堀④北方面を撮影
曲輪B?
風化のため、竪堀、堀切、曲輪等の位置が、今1つ
断定できないので、石碑や案内板があるとうれしいが。
霧山城の本丸を目指す。
半分は来ただろうか?
ハーハーと息を切らしながら、ただ登る。
こんな山に居城を造り構えるとは
北畠氏おそるべし
分岐案内板
9:33 攻城開始から約1時間
あともう少し
霧山城の案内板と鐘突堂跡の表示
鐘突堂はこの上。
鐘突堂に到着。
この場所は霧山城南曲輪に位置する。
とりあえず水分補給
ひと息ついて
石碑後ろ(南西側)に土塁跡
いよいよ北曲輪群へ
尾根を大きく下り、また登る。応えるUPDOWN
北曲輪群の中で東に位置する矢倉跡
矢倉東側の堀切
本丸へ
本丸
霧山城
南北朝時代初期の1342年(1343年とも)南勢を拠点としていた
北畠顕能(あきよし)が北勢の霧山に築城した。その後、歴代北畠氏が
この地を本拠として治める。1499年に一度焼失するが、1506年
に再建。1567年からの織田信長による伊勢侵攻に伴い、大河内城に
本拠を移し城代として北畠政成が残った。1569年の大河内城の戦い
を経て、織田との和睦条件として北畠具房の養子となった織田信雄は、
具房を隠居させ、北畠家を家督相続、田丸城へ本拠を移転させ、翌年の
1576年11月に北畠一族を謀殺。その直後、信長命により羽柴秀吉、
神戸信孝、関盛信らの大軍が霧山城を攻め、城代であった政成が必死の
防戦をみせるも、城館を焼き払われて落城した。別名を多気城ともいう。
本丸南側の土塁
本丸北側の土塁
本丸西から東
米倉跡へ
米倉跡
米倉と本丸の境界は、風化のためか不明瞭
下城
鐘突堂前
堂を経由するとまた登りだが、左に迂回路を発見
迂回して正解
神社から本丸まで1時間30分
帰りは同じ道で30分であった。
一度車に戻り、攻城装備を解き神社へ
10:30 北畠神社社務所で続名城スタンプを押印。
御城印も合わせて購入。
参拝
残りの城巡り安全を祈願
北畠氏居館の入り口跡
神社の隣にある商店でジュースとクーラーBOX用に氷を購入。
11:00 多気北畠氏城館跡を出発
次は伊賀上野城を目指す。
紀州攻め3-2へ
紀州攻め3日目
3:30 起床
トイレに行って、更に二度寝をしようと
したが、完全に目が覚めてしまった。
今日回る予定の城を車のナビに地点登録
したり、スタンプ、御城印の入手場所を
確認したりした。
スワロー親
スワローズ(子らが6羽程いるみたい)
8:00 道の駅みつえを出発
8:30 最初の目的地 多気北畠氏城館跡(北畠神社)到着
初日に来る予定だったが、時間の制約でなかなか来れず。
3日目にやっと来れた
今日もまた、既に暑い
まっすぐ進むと神社へ
北畠神社は城を攻略後にする。
攻城始め
少し登っただけなのに、かなり高い位置まで来たようだ。
左に神社内建物の屋根が見える。
10分ほど登ると
山道から開けた平らな空間に出た。①北東方面を撮影
もう城に到着か? 1.3Kmも歩いたか??
解説板を発見
詰城だった
今いる場所は曲輪Aのようだ
詰城から東側城下の眺め②東方面を撮影
南側通路③西方面を撮影
竪堀④北方面を撮影
曲輪B?
風化のため、竪堀、堀切、曲輪等の位置が、今1つ
断定できないので、石碑や案内板があるとうれしいが。
霧山城の本丸を目指す。
半分は来ただろうか?
ハーハーと息を切らしながら、ただ登る。
こんな山に居城を造り構えるとは
北畠氏おそるべし
分岐案内板
9:33 攻城開始から約1時間
あともう少し
霧山城の案内板と鐘突堂跡の表示
鐘突堂はこの上。
鐘突堂に到着。
この場所は霧山城南曲輪に位置する。
とりあえず水分補給
ひと息ついて
石碑後ろ(南西側)に土塁跡
いよいよ北曲輪群へ
尾根を大きく下り、また登る。応えるUPDOWN
北曲輪群の中で東に位置する矢倉跡
矢倉東側の堀切
本丸へ
本丸
霧山城
南北朝時代初期の1342年(1343年とも)南勢を拠点としていた
北畠顕能(あきよし)が北勢の霧山に築城した。その後、歴代北畠氏が
この地を本拠として治める。1499年に一度焼失するが、1506年
に再建。1567年からの織田信長による伊勢侵攻に伴い、大河内城に
本拠を移し城代として北畠政成が残った。1569年の大河内城の戦い
を経て、織田との和睦条件として北畠具房の養子となった織田信雄は、
具房を隠居させ、北畠家を家督相続、田丸城へ本拠を移転させ、翌年の
1576年11月に北畠一族を謀殺。その直後、信長命により羽柴秀吉、
神戸信孝、関盛信らの大軍が霧山城を攻め、城代であった政成が必死の
防戦をみせるも、城館を焼き払われて落城した。別名を多気城ともいう。
本丸南側の土塁
本丸北側の土塁
本丸西から東
米倉跡へ
米倉跡
米倉と本丸の境界は、風化のためか不明瞭
下城
鐘突堂前
堂を経由するとまた登りだが、左に迂回路を発見
迂回して正解
神社から本丸まで1時間30分
帰りは同じ道で30分であった。
一度車に戻り、攻城装備を解き神社へ
10:30 北畠神社社務所で続名城スタンプを押印。
御城印も合わせて購入。
参拝
残りの城巡り安全を祈願
北畠氏居館の入り口跡
神社の隣にある商店でジュースとクーラーBOX用に氷を購入。
11:00 多気北畠氏城館跡を出発
次は伊賀上野城を目指す。
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