AKB48の旅

AKB48の旅

「AKB48 SHOW」の「鈴懸」フル

2013年11月25日 | AKB
「ベストヒット歌謡祭」では、サビのみの短縮バージョンだったけど、まだ発売前だというのに「AKB48 SHOW」では、フルバージョンが披露された。初回からずっと神番組状態が持続してるんだけど、ここまで凄いと、なんか言葉もない。

その「鈴懸」の印象なんだけど、冒頭のコントでまず感じたのが、上枝さんの輝きっぷり。松井Jさん、北原さんと絡んでても何の遜色もない。今回のじゃんけん大会で、一番株を上げたのが上枝さんという感想は既述だけど、私見ではあるけど、チャンスの順番を、上枝さん、見事に実力で掴み取りつつあるんじゃないか。

次に、じゃんけん選抜メンバー全員を見渡してみて、その顔ぶれの絶妙ぶりというか、ほぼ無名であっても、それぞれに個性があって華があって、見劣りするメンバーが一人もいないことに気づく。皆スタイルが良くて、姿勢も良くて、そこを強調する衣装と相俟って、ビジュアルが素晴らしい。というか、この衣装やフリのイメージは、間違いなく松井Jさんのものなんだけど、統一感がしっかり出てる。結果的に、これまでで最高のじゃんけん選抜なんじゃないか思う。新古典主義は過去の遺物だけど、それでも「神の見えざる手」なんて言ってみたくなる。

「鈴懸」の曲調も、ストレートな爽やかさと隠し味のような懐かしさで、松井Jさん、そしてイメージ統一された、このじゃんけん選抜と絶妙に合ってる。外連味のない薄味の「賛成カワイイ!」的な、と言うと誤解されそうだけど、メロディの美しい職人技的な良曲だと思う。

こういう仕事の確実さは、流石に秋元氏。「恋するフォーチュンクッキー」「ハート・エレキ」と来て、これなんだから、フレッシュ感、爽快感が半端ない。それでいて、たとえば、現行新制チーム4から染み出るようなルーキー感も、特にない。揺るぎない存在感みたいなものがあって、ちゃんとAKB選抜になってる。そこもさじ加減が素晴らしい。

歌詞については、今回はあんまり深入りしないけど、これまで書かれたじゃんけん曲の中では、いちばん当て書きレベルが低い感じ。ベースに、松井Jさんへの当て書きはあるだろうけど、よりじゃんけん選抜全体寄りにイメージされてるように思う。もっともそこは、松井Jさんの、それこそ外連味のないストレートな存在様式に忠実なだけ、とも取れるか。

戸賀崎氏の件

2013年11月24日 | AKB
一ファンとして、外部の人間として、あれこれ思うのは勝手でも、上から目線で意見するのは筋違いなんだろう。それ以前に、事実関係がどうなのか、その正確なところも分かっているとは言えないし、現場の因果関係なんて見えるはずがない。それでも、一般論のふりをして、以下書いてしまおう。

まずは、これがAKBの宿痾であり、骨絡みであるということ。office48という人脈が、そっち方面(グラデーションのどこら辺かはともかく)に片足以上を突っ込んでいたのは明らかのようだし、明らかにされている戸賀崎氏の経歴にも、その影がはっきり刻まれてる。

そういうグレーゾーンを物事の出発点にすること自体は、間違いとは言えないし、むしろ未知の可能性を追い求めるという姿勢とは相性が良いとも言える。そもそもにして芸能ごととは、にして歌舞伎者なんであり、そういうエッジにしてリムワールド、境界領域からの異界(=魔界)のパワーの発露という性質を持つものだった。

けれども、ひとたび成功を収めて社会的に認知されたなら、しかもAKBのように、社会に大きな影響を与えるような、それこそ「公器」と呼べるまでになった、そういう存在であるならば、やはり社会常識は弁えなければならない。当然の義務として、コンプライアンスを求められることになる。

スタート地点ではむしろ必要だった、誇張表現としての闇の部分だったかもしれないけれど、公器にまで至ったからには、少なくとも表面的には、闇は消し去らねばならないし、積極的に消滅させる努力を、「見せる」必要に迫られる。

もちろん、きれい事では済まない部分もあるだろうわけで、けれどもそういうヨゴレ仕事は、表から見える場所に置いておいてはいけないもの。闇とは表に出られないからこその闇なんであって、闇に潜んでいてこそ存在価値がある。それが日の当たる場所に晒されてしまえば、腐臭を放つだけのものに成り下がる。

秋元氏にその権限が与えられているなら、そういう大鉈を振るうだけの見識も膂力もあるかも知れない。けれども、常々「経営にはタッチしていない」と明言してることだし、そこは最初から意図的に距離を置いていた、避けてたと見えなくもない。それ以前に、そういう表面的なキレイゴトを、面白いとは思わない可能性が高い。そんな面白くないことに対して、秋元氏が果たして汗をかこうとするだろうか。

けれども、スルーすることは、蟻の一穴を見過ごすことに他ならない。誰も責任という名のリスクを取ろうとせず、利権にしがみつくことに汲汲とするのであれば、それはこれまでも幾度となく繰り返されてきた、日本社会の悪弊に取り込まれた、そういうことになるのかも知れない。

「賛成カワイイ!」MV

2013年11月23日 | AKB
「賛成カワイイ!」

楽曲が分かり易すぎるくらいのストレートなのに合わせてか、MVもストレートそのもの。これで無問題だし、奇を衒う必要なんてこれっぽっちもない。ロケ地はタイのパタヤらしいんだけど、異国情緒も南国情緒も、見ていてほとんど意識に登らない。象がやたらに映ると、そこだけなんか「変」な感覚になるけど、それも吹っ飛ばして、結局、元気いっぱい感しか残らない。

こういう曲調にしてMVということになると、なんでタイまで行ったのか、外国ロケの理由を邪推したくなるところ。選抜メンバーにはご褒美、スタッフには慰安旅行、そんなあたり?

「ここで一発」

この二人のユニットを出してきたのは素晴らしいと思うけど、なんでMVが営業どさ回りになるんだろう。ここは思いっきりスーパースター演出で行くべきと思うのは、私だけ?そして最大の問題は、須田さんがちゃんと「だーすー」なのに、なんで松村さんは「つーまー」なのか。謎だ。

「いつのまにか、弱いものいじめ」

高校の部活に、女子高生トーク、告白模様。平凡と言えば平凡だけど、なんか非現実感があって、なのにそれがあんまり面白さに繋がってないような。もうちょっとリアル感があっても良かったんではとか思ってしまうし、逆に、アニメ的な方向に振って、胸キュンな要素をまぶすなんてのはどうだろうとか、まあ、不満とかではないのだけどね。

「カナリアシンドローム」

アイドル三原則は「笑顔」「爽やか」「清純」という掴みが面白い。MVとしては何と言うか、脈絡がない感じだけど、MVとしての目的がそこにないのは明らか。コンセプトは、選挙結果に対するご褒美と、ファンへの慰労という感じかな。そういうのは悪くないと思う。

「石榴の実は憂鬱が何粒詰まっている?」

これは素晴らしい。コンセプトがしっかりしてる。物語や象徴表現が作り込まれてて、しかもそれを説明するのではなく、映像表現に落とし込んでる。その上で、印象的な楽曲に併せるように、個性的なダンスとセットが組まれてる。そのどこからでも、物語が紡ぎ出せる。絶賛ですわ。

「Q10」第一話再見

2013年11月22日 | AKB
2010年10月放送の作品ということで、3年前が初回放送。3年ひと昔を実感させてくれる。たぶん私が、最初に前田さんのことを認識した作品ということになる。当時の記憶はあやふやだけど、それなりの印象は残った。たぶん、ああ、これが噂に聞く前田敦子か、そんな感じだったような。

今あらためて見直してみて、当時のリアルタイムとは前田さんの見え方がまったく変わってしまったことが実感されるし、それとともに作品の見え方もずいぶんと変わったように思う。私の記憶が確かなら、リアルタイムでの前田さんに対する見方は、当時のマスコミの論調みたいなものに迎合してて、演技なんかろくにできないんで、苦肉の策としてのアンドロイド設定、みたいな感じだったように思う。

けれども、こうしてそれなりに前田さんという人物を知った後になって見返してみると、むしろ前田さんという人にジャストフィットされた設定に見える。14歳でAKBに入ってから、普通の女子中高生であれば経験したであろうことをまったく知らず、その一方でAKBのセンターという、極めて特殊で特異な経験を積んできた、そんな前田さんと、このQ10/久戸花恋の設定が、見事に重なる。このあたり、秋元氏の陰があるのかなとも思うけど、どんなもんだろう。少なくともクレジットはなかった。

作品自体は、佐藤健さんの独白で進む感じだけど、世界観がなんとも古くさいのが興味深い。台詞回しも、描かれる街の様子も、心臓病なところも、これっていつの時代だよって突っ込みたくなる。Q10の始動が奥歯のスイッチというのも、それってサイボーグ009?だし、アンドロイドの抑揚のないしゃべり方も、電池切れのQ10に充電するシーンで描かれるアンドロイドの体内も、何もかも古めかしい。そして、極めつけが、ラスト近くでなぜか流れる「戦争を知らない子供たち」。

いちおうこのまま最終回まで見続けるつもりだけど、記憶の彼方の最終回の「感動」は、そのまま再現されるんだろうか。

「ここにだって天使はいる」初日

2013年11月21日 | AKB
初お披露目の緊張からなのか、それともまだまだ準備不足だったのか、冒頭の全体曲は、あのチームNにしてまとまりがなくて、うまく乗れてない感じ。フリも揃わない。修正もままならないようで、そのまま自己紹介まで持続してしまう。そんな、ちょっと重苦しい感じを吹き飛ばしてくれたのが、山本さんのソロ曲「夢のdead body」。そっから急激に盛り返して、「ジッパー」で完全に振り切れた、そんな流れに見えた。やはり、さやみる頼みなのかな。

「ここにだって天使はいる」という公演そのものについては、素直に素晴らしいできだと思う。良曲揃いだし、衣装も文句なし。ダンスも、あのチームNが「苦戦」してると見て良いと思うんで、そうとうにレベルが高そう。今後の伸びしろが、たっぷり期待できる。歌詞についてはまだよく分からないところもあるけど、大阪という地盤を強く意識したものになってると思われる。

新公演の初日というものを、準リアルタイムで初体験だけど、こんな高揚感のあるものなのかという感じ。次予定のチームS新公演が待ち遠しい。

あとは、秋元氏、高橋さん、青木編集長という並びでの「視察」を、何と言うか、重く受け取らざるを得ない。前日にゲネプロがあったようなんで、関係者という枠組みでの視察なら、前日に済ませれたはず。秋元氏が観客の反応を知りたかったというのであれば、そこに高橋さんが並ぶ必然性は乏しい。なのに当日、しっかり公開される映像に、この並びで映り込むことを、敢えて選んだ。その絵柄が外部からどう映るのか、秋元氏は熟知してのことなんだろうし、それが秋元氏の意思と言うことになる。

もちろんその位置取りを、「総監督」という役職として理解することは可能かも知れない。けれども、ならばその存在様式は、後付けのはずの「総監督」の範囲を遥かに超える、かつて秋元氏が冗談のように語った通りの、秋元氏直属のナンバー2としての「総監督」の姿そのものではないだろうか。

聞き知ることのできる、最近の高橋さんの言動からは、どこか腹を括った節が感じられる。既述のドラフト会議にしてもそうだし、戸ヶ崎さんの件も含めて、いろいろピースが都合良くはまり過ぎのような気がして怖いくらい。こういう予定調和な流れは、秋元氏的らしくないとも言えそうだけど、既にAKBGの内部的には、不可逆点を越えてるのかも知れない。単に漏れてきた情報を外部から眺めてるから、予定調和に見えるだけなのかも知れない。うーん、この辺り、単なる妄想であって欲しいかも。