東日本大震災から7年目の3・11。
あの日、私は学校の教室で同僚教員と学年会議の最中。
いきなりの大揺れ。プールの水が大きく波打っているのを2階の窓からよく見えた。
低学年の先生たちが中庭に避難。揺れが収まり「中学生の教室へ!」と声をかけ
帰りの会の最中だった中学生の教室へ手分けして入り、生徒たちに付き添う。
その後も大きな余震に襲われ、子どもたちがざわつく。
夜になっても生徒の引き取りのための保護者が来校できず。
家族が心配な先生たちは徒歩であっても帰宅。
私は夜遅く、自転車で帰宅。とんぼ返りで車で学校へ。
翌朝、再び自家用車で学校へ。帰宅できない同僚教員を
何人か載せて水戸街道を松戸、つくば方面へ走る。
その時の異様な風景が今も鮮明に蘇る。
水戸街道を延々と歩いて自宅へと向かうスーツ姿の人たちの群れ。
押し寄せる巨大津波、福島原発の爆発の瞬間、がれきと化した三陸沿岸の街などが
まるで特撮映画のようにテレビ画面に流れる。
「歴史を目撃する」とはこういうことかと、今改めて実感する。
我々は「歴史の目撃者」なのだ。ならば、目撃者は何をなすべきか。
福島、南相馬市小高区の海岸。巨大津波は海岸の防波堤を
いとも簡単に破壊し、田畑と家々を飲み込んだ。
あの日、私は学校の教室で同僚教員と学年会議の最中。
いきなりの大揺れ。プールの水が大きく波打っているのを2階の窓からよく見えた。
低学年の先生たちが中庭に避難。揺れが収まり「中学生の教室へ!」と声をかけ
帰りの会の最中だった中学生の教室へ手分けして入り、生徒たちに付き添う。
その後も大きな余震に襲われ、子どもたちがざわつく。
夜になっても生徒の引き取りのための保護者が来校できず。
家族が心配な先生たちは徒歩であっても帰宅。
私は夜遅く、自転車で帰宅。とんぼ返りで車で学校へ。
翌朝、再び自家用車で学校へ。帰宅できない同僚教員を
何人か載せて水戸街道を松戸、つくば方面へ走る。
その時の異様な風景が今も鮮明に蘇る。
水戸街道を延々と歩いて自宅へと向かうスーツ姿の人たちの群れ。
押し寄せる巨大津波、福島原発の爆発の瞬間、がれきと化した三陸沿岸の街などが
まるで特撮映画のようにテレビ画面に流れる。
「歴史を目撃する」とはこういうことかと、今改めて実感する。
我々は「歴史の目撃者」なのだ。ならば、目撃者は何をなすべきか。

福島、南相馬市小高区の海岸。巨大津波は海岸の防波堤を
いとも簡単に破壊し、田畑と家々を飲み込んだ。