こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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それぞれの3・11 歴史の目撃者

2018年03月11日 | 日記
 東日本大震災から7年目の3・11。
あの日、私は学校の教室で同僚教員と学年会議の最中。
いきなりの大揺れ。プールの水が大きく波打っているのを2階の窓からよく見えた。
低学年の先生たちが中庭に避難。揺れが収まり「中学生の教室へ!」と声をかけ
帰りの会の最中だった中学生の教室へ手分けして入り、生徒たちに付き添う。
その後も大きな余震に襲われ、子どもたちがざわつく。
夜になっても生徒の引き取りのための保護者が来校できず。
 家族が心配な先生たちは徒歩であっても帰宅。
私は夜遅く、自転車で帰宅。とんぼ返りで車で学校へ。
翌朝、再び自家用車で学校へ。帰宅できない同僚教員を
何人か載せて水戸街道を松戸、つくば方面へ走る。
その時の異様な風景が今も鮮明に蘇る。
水戸街道を延々と歩いて自宅へと向かうスーツ姿の人たちの群れ。
押し寄せる巨大津波、福島原発の爆発の瞬間、がれきと化した三陸沿岸の街などが
まるで特撮映画のようにテレビ画面に流れる。
 「歴史を目撃する」とはこういうことかと、今改めて実感する。
我々は「歴史の目撃者」なのだ。ならば、目撃者は何をなすべきか。
福島、南相馬市小高区の海岸。巨大津波は海岸の防波堤を
いとも簡単に破壊し、田畑と家々を飲み込んだ。