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北方領土の日 スターリンの領土的野望が今のプーチンにも 

2024年02月07日 | 日記

 今日は北方領土の日。都内で「北方領土を返せ」の集会。

ロシアは全く返す意思を見せず、島のロシア化を進めている。

 日本政府も北方領土返還を求めている団体も「北方4島の返還」を主張しているが、日本共産党は全千島列島の返還を求めている。

 第2次世界大戦で日本は連合国に敗れ、ポツダム宣言を受け入れ無条件降伏をした。ポツダム宣言は領土不拡大を宣言し、日本は武力などによって不法に占領した土地を返還し、本州、北海道、四国、九州とその周辺の島々とすることとなった。

 しかし、千島列島はもともとの日本の領土であり、明治8年、ロシアと平和的な交渉で当時、帰属が定かでなかった樺太をロシアに、千島列島を日本にすると決めた「千島樺太交換条約」で日本の領土となったもの。

 スターリンは第2次世界大戦の戦後の国際的な取り決めであった領土不拡大の原則を守らず、あけすけに領土的野望を実現すべく、北海道の占領をも画策していたという。明治の日露戦争での敗北をやり返すという「大ロシア主義」という野望。

 そこにはレーニンが主張し、実践していた民族の独立、平和共存の精神のひとかけらもない。

 一方で日本政府も、戦後アメリカの世界戦略に組み込まれ、サンフランシスコ平和条約を結び、日本の独立を果たすと同時に、日米安保条約を結び、沖縄を米軍に差し出し、日本全国に米軍基地を配備、ソ連との冷戦に備えた。

 この時のサンフランシスコ条約で日本は樺太、千島の帰属権を放棄したことで、千島を返せといううことができなくなってしまった。北方4島は千島ではない、と言うのが日本政府の苦しい言い訳。

 千島を放棄した日本政府の誤りと、スターリン、そして現在のプーチンに至るソ連、ロシアの覇権主義、領土的野望が今日の北方領土問題の出口の見えない事態を生み出している。

 夕焼けの中に浮かぶスカイツリー。


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